特集・コラム

映画のとびら

2019年6月3日

海獣の子供|新作映画情報「映画のとびら」#011【森崎ウィンインタビューあり】

#011
海獣の子供
2019年6月7日公開


©2019 五十嵐大介・小学館/「海獣の子供」製作委員会
レビュー
濃密なる海、繊細なる少女の夏

 これは、ひと夏の物語。とある少女の夏の物語。幼少期、彼女は水族館の巨大水槽で幻想的な光景を見た。視線の先には、きらめくような肌を持つザトウクジラ。まばゆい光。その情景は夢かうつつか……。

 少女は中学生。名前は琉花(るか)。14歳。ハンドボール部所属。夏休みの初日、部活動中に部員を故意に負傷させたという理由で、先生から活動禁止を言い渡される。始まったばかりの夏休みに行き場所を失い、久しぶりに父の職場の「新江ノ倉水族館」をのぞくと、そこで不思議な少年に出会った。

 少年の名は「海(うみ)」。ジュゴンに育てられたという謎めく少年。皮膚が乾燥に弱い。水族館で跳ね回る彼は、琉花に無邪気に尋ねる。「夏休みって、夏のお休み?」。飛び込んだ大水槽では魚たちがまるで彼を歓迎するように集まってくる。そんな海に誘われて、琉花はある夜、隕石落下の瞬間を見た。

 海には兄がいた。名は「空(そら)」。海と同じく、幼い頃、ジュゴンに育てられた過去を持つ。褐色肌の海と異なり、白い肌、金髪の容姿。そして、海以上に謎めき、はかない印象。「誕生祭」と呼ばれる海の祭りを世界中、追っている。ほかの海棲生物と同様、ザトウクジラの「歌」に導かれて。

 「祭り」をめぐっては利権をむさぼろうとする「大人たち」もいた。海洋生物学者のジムとアングラードは彼らに同調して海と空の面倒を見ている節がある。やがて、日本近海にザトウクジラが現れた。琉花、海、空の3人は「祭り」を見つけることができるのだろうか。いったい「祭り」の正体とは何なのか。

 五十嵐大介による同名人気コミックを映像化した長編アニメーション『海獣の子供』は、まず海の神秘をモチーフとした海洋ファンタジー/アドベンチャーとして楽しめるだろう。隕石の落下地点に集まる鯨や魚たち、それを「祭り」と呼んで、おいかける不思議な兄弟。我々観客は、中学生の主人公・琉花を窓口に、そのミステリアスな旅をわがごとのように体験し、ゾクゾクするような瞬間を目撃するのである。

 製作に5年をかけた映像=作画のありようは圧巻のひと言に尽き、これまでにない海や水の感触をもたらす。濡れる、というより、まとわりつくようなそれは、もはや見ていて息苦しいほど。ある種の艶めかしさを感じる向きもあるだろう。これほど豊潤にして濃密な海を動画化した例もほかにあまりないのではないか。

 きめ細かな作画のスリルはクライマックスの「祭り」で頂点に達する。筆舌に尽くしがたい「現象」の数々に説明はなく、いや、説明などできようもなく、めくるめくイメージの洪水に、ただ我々は巻き込まれるほかない。『2001年宇宙の旅』(1968)のスターゲート場面を想像する映画ファンも多いのではないか。それと同様に「誕生祭」をめぐる表現も我々観客の想像の外にあるとしていい。強烈な映像描写に程よい疲れを感じつつ、それぞれ解釈を家に持ち帰って悦に入るのも、この作品の楽しみのひとつである。

 一方で、これは紛れもなく思春期の物語であった。居場所を失った少女は、海洋の化身ともいうべき少年たちと出会い、人智を超えた「感応」を果たしていく。その強烈な体験。でも、終わってみればささやかな夏の思い出。彼女はちょっとだけ変わる。エンド・クレジットの途中で席を立ってはならない。最後の最後に登場するエピローグこそ、もしやこの作品の根っこかもしれないからだ。

 目もくらむ映像スペクタクルに、多感な少女の心のひだを鮮やかに対比、同居させた監督・渡辺歩の手腕は見事。琉花に少女の実感を与えた芦田愛菜、海を溌剌と演じた石橋陽彩、空の不思議を魅せた浦上晟周、ジム役の田中泯、そしてジムの元相棒アングラードを声優初挑戦とは思えぬ手際で演じきった森崎ウィン、それぞれヴォイス・キャストは快調。米津玄師の書き下ろし主題歌『海の幽霊』、かつてないほどにミニマル・ミュージックの技法を徹底させた久石譲の劇音楽も、観客、作品の双方に効果をもたらしている。

 これは、濃密なる海の物語。海と生命の物語。そして、ほんの小さな、心の回復の物語。ここで起きたこと、起きた結果など、誰にも正確な説明はできない。どこにも正しい解釈はない。未知が未知のまま。わからない。だから、感じようとする。感じることが心地いい。わからないままが楽しくなる。そんな作品。

原題:海獣の子供 / 製作年:2019年 / 製作国:日本 / 上映時間:111分 / 配給:東宝映像事業部 / 監督:渡辺歩 / 声の出演:芦田愛菜、石橋陽彩、浦上晟周、森崎ウィン、稲垣吾郎、蒼井優、渡辺徹、田中泯、富司純子
公式サイトはこちら

インタビュー|森崎ウィン(声:アングラード)
直感で「自分の声質にピッタリ!」と思えた役でした

――森崎さんが演じられたアングラード、不思議な人ですね。

森崎:不思議ですね、本当に。でも、メチャクチャ、おいしい役です(笑)。純粋に(作品の)キーパーソンじゃないですか。ビジュアル的にも所作的にも「美」という言葉が似合う感じもしていて。存在感もありますし、見ていると引き込まれるような表情も持っている。ちょっと中性的な感じもありますよね。最初に映像を見たときは「どんな人?」って感じでしたけど。ちょっと謎でした(笑)。

――アングラードは外見的にも、説明されないと、海洋生物学者だとわからない人です。

森崎:わかりませんよね。どこのカッコイイ兄ちゃんなんだろうって(笑)。

――森崎さんの声がついて初めて男性的な部分が感じられるところがあります。

森崎:ありがとうございます! 自分では「自分の声ってどうなのかな?」って、まだ自信がないところもあって、ちょっとわからないんですけど。でも、海辺で話すシーンを最初に映像だけで見たとき、「あ、ここで決まった! オッケーだ!」と思ったんです。あそこがアングラードの話す最初の場面で、映像を見ながら「自分の声で合ってる。自分に(アングラード役は)ピッタリだ! よかった!」って。僕の勝手な直感だったんですけどね。僕の耳ではアングラードと自分の声はピッタリ合うように聞こえたんです(笑)。

――幸福な確信ですね。

森崎:僕は歌もやっているんですけど、結構、声が高いんです。普段、話している声もそうなんですけど、アングラードに感じた中性的な部分や自由な感じが、そんな僕の高めの声に合うんじゃないかなって。できあがった作品を見たときはホッとしました。自分、間違ってなかったなと思って。でも……難しかったです、声で演じるのは。アフレコのときは、不安もあり恐怖もあり、でした。なんとかできたっていう感じです。

――初めてのアフレコが無事に成功したというのは安心しますよね。

森崎:はい、本当にありがたいです。普段、アニメーションが好きでよく見るんですけど、やっぱりアニメーションって「声質」が大事だなって感じていて。でも、声質なんてそう簡単に変えられないじゃないですか。そこは役との出合いが大きいんですよね。その意味でも、今回はラッキーでした。

――アングラードの役は海洋生物学者ジムのかつての相棒であり、映画の中で起きる現象のガイド役みたいなところがあります。だから、台詞も説明的な内容が多いですし、初めての声のお仕事としては厄介というか、難しい表現もあったのではないですか。

森崎:厄介どころではなかったです(笑)。最初は「なんていうことを話しているんだ、この人は!」って思ったりして(笑)。「星が死ぬときの音は698.45ヘルツ」とか、いやいや、難しいでしょう、と(笑)。だから、事前にアングラードが話すことを含め、いろいろ調べましたね。役のことを調べるのは楽しいんです。今まで知らなかったことがどんどんわかったりしますから。同時に、今回は言葉の大切さもあらためて感じられた経験でもありました。実写でのお芝居だと、台詞が変わっても、表情や体の動き、監督が作られた映像で補えることもあるんです。それが、今回は100%、声だけでしたからね。現場では、渡辺歩監督をはじめ、スタッフのみなさんが導いてくださいましたので、なんとかやり遂げられたという感じです。

――作品そのものの印象はいかがですか。

森崎:僕の中でこの映画のキャッチフレーズをつけるとしたら、何になるんだろうって考えたんですけど、なかなか出てこない(笑)。でも、監督がどこかで「知らなかった世界がまだこんなにあるということを知らされた作品」みたいなことをおっしゃっていて、確かにそのとおりだな、と。見る人に何かを押しつけてこない作品ですから、自分の思考回路の中で自由に遊ぶことができますし、思考回路にない想像の世界を作り出せる作品ともいえるじゃないですか。たとえば「自分が今まで使ったことのない思考回路を見つけよう!」っていうキャッチフレーズはどうですか(笑)。

――「こうだ」という決めつけがない部分では本当に刺激的で懐の深い映画です。アングラードというキャラクターはそういう「作品の自由な解釈」への水先案内人のひとりでもあったかもしれません。

森崎:アングラードの声をやりながら、何が正解なのか、どんな声でやればいいのか、自分ではわからなくなっていったときもありました。事前にアフレコに備えて台詞を練習しましたし、現場でも口の動きに合わせるようにがんばりましたけど、そこにどう「表現」を乗せるのか、乗せたらいいのか。いろんな言葉の出し方、表現の幅があることがだんだん現場で見えてきて、「このアップにはこういう表現だろう」みたいに最初に方法を決めつけていた自分が壊されていきましたね。実際、現場で台詞の変更はありましたし、「アニメーションでも台詞の変更みたいなことがあるんだな」っていうことも勉強になりました。台詞の意味もわからないまま話していることがまた面白かったりするときもあって。それも初めての体験でした。

――海の生命力がみなぎっている作品ですが、ここで描かれる海は日本というより、もっと南方の、それこそ森崎さんゆかりのミャンマーの海に近いのではないですか。

森崎:ミャンマーにはガパリっていう海があるんです。それこそアジア一番のビーチっていわれるほどきれいなんですけど、ふとした瞬間に恐怖も感じる海なんですね。ガパリの水平線を眺めていると、沖の向こうで何かが起きている気がしてならない。それこそ『海獣の子供』で描かれるような「祭り」が起きているんじゃないかって。もしかしたら『海獣の子供』みたいな世界が本当にあるかもしれないって思ったりするんですよね。それくらい、この映画の映像は説得力があるって思いますし、ミャンマーの海を思わせるところは確かにあります。

――ここはやはり、ミャンマー観光大使の出番じゃないですか?

森崎:あっはははは! やりますか、ミャンマー公開! 行くしかないですね! ミャンマー語バージョンもアフレコやりましょう! でも、メチャクチャ難しいだろうなあ。たとえば、日本語の「たぶん」という3文字、ミャンマー語になると長くなるんです。文字にすると7~8語くらいに。だから、日本のアニメーションが世界中の言葉に翻訳されているのを見ると「よく言い換えられたな」って感心することが多いです。最近、ミャンマーで仕事をさせていただくことが多くなっているだけに、余計にそう思いますね。

――ご自身でミャンマー語に台詞を翻訳されたらいかがですか。

森崎:畏れ多いです(笑)!

――でも、森崎さんは英語のアフレコもできるわけですから、この際、国際バージョンもご自身でやっていただくのはどうでしょう。

森崎:いやー、怖いですね(笑)。どういう表現になるんだろう。それを考えると、ちょっと怖い。今は、まだ自分にはできないんじゃないかなって思います。

――ひと夏の経験が描かれる映画ですが、森崎さんには特別な夏の思い出とかありますか。

森崎:ちょっと前の22歳の頃、知り合いの先輩と江の島へ行って、ビーチパラソルを借り、その下で爆睡した、っていう、そういう思い出が今、浮かびました(笑)。あと、高校時代にもいろいろ懐かしい思い出があるんですけど、最近の夏は、怒濤のように過ぎていますね。夏にかかわらず、日々がどんどん過ぎていく感じです。今もこうやって話しながら、いろいろ考えている自分もいて。つぎのステップに行くには何をどうしたらいいんだろう、とか。『海獣の子供』でも琉花(芦田愛菜)が「この長い夏が始まる」っていうナレーションを話すところがありますよね。僕、その言葉がすごく響いたんです。何かが始まる、みたいな感じがあって。琉花はハンドボールのクラブ活動で仲間をケガさせてしまって、いつもと違う夏を送り始めるわけじゃないですか。そして、新しい経験をしていく。そういうところに勝手に自分をリンクさせてしまっていたのかもしれません。何かを始めたい、始めなきゃ、みたいな。最近は、そういう夏が続いている感じですね。

――それだけ森崎さんの活動が充実しているということなのではないですか。

森崎:楽しいときもありますし、難しいなって思うこともあります。こうやって自分の言葉で自分のことを知ってもらえる場というのはとてもありがたいです。話していて、すごく楽しいですから。でも、楽しんでばかりじゃいけない、と。そう思うことが、もうありがたいことなんだと思うんですけど(笑)、そうやって自分はなんとか前に進んでいるのかなって。今、28歳ですけど、30歳ということにすごくこだわっている自分がいるんですね。もうすぐ来る30をどうしたらいいんだろう、30までに何をしたらいいんだろうって。

――でも、この『海獣の子供』の仕事に28歳の今、かかわることになったというのは、偶然ではないかもしれません。そう確信できる日が30歳になったときにでも訪れるのではないでしょうか。

森崎:偶然ではないと思います、きっと。僕、本当にアニメーションが好きなんです。「声優さんってすごいな、かっこいいな」って、遠い存在に感じていたことに今、自分が挑戦している。しかも、こんなすごい作品じゃないですか。きっと何年も経ったときに、実はすごいことをさせてもらえていたんだっていうことが、今以上に僕の中で実感することになるんじゃないかなって思うんです。アングラードのことをもっと理解できていると思うし、アングラードを28歳の自分がやったことの意味も見えてくるだろうと。今は目の前の刺激に追われるだけ、脳がついて行っていないだけで(笑)。でも、追いついていったとき、あれは偶然じゃなかったって思う自分がいるような気がするんです。

――ここは一発、スティーヴン・スピルバーグに映画を見てもらって、感想をもらった方がいいのではないですか。電話をかけてみたらいかがですか。「ねえ、スティーヴン、僕の映画、ちょっと見てよ!」って。

森崎:あっはははは! いいですね、アンブリン(スピルバーグが主宰する映画制作プロダクション)に映画を送って見てもらいますか!

――そのためにも英語に吹き替えないと。

森崎:なるほどー。うーん、でも大変だろうな、英語のアフレコはやっぱり(笑)。ただ、スティーヴンに見てもらうためにも、まずこの映画が日本でヒットしないといけませんよね。このインタビューを読まれているみなさん、『海獣の子供』、ぜひ劇場でご覧ください! よろしくお願いします!

撮影/星野洋介 

森崎ウィン プロフィール
1990年8月20日、ミャンマー生まれ。小学4年生から日本で生活をする。2008年に俳優デビュー。『シェリー』(2014)で映画初主演。スティーヴン・スピルバーグ監督作品『レディ・プレイヤー1』(2018)でダイトウ役に抜擢され、世界的な注目を集める。最近の映画出演作品に『クジラの島の忘れもの』(2018)、『母さんがどんなに僕を嫌いでも』(2018)、『蜜蜂と遠雷』(2019)など。ダンスボーカルユニット「PRIZMAX」の一員として音楽活動も国際的に展開しており、現在、ニューアルバム「FRNKSTN」が発売中。2018年より、ミャンマー観光大使でもある。
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ANIMATIONFANTASY
タイトル マインド・ゲーム
製作年 2004年
製作国 日本
上映時間 103分
監督・脚本 湯浅政明
声の出演 今田耕司、前田沙耶香、藤井隆、たくませいこ、山口智充、坂田利夫、島木譲二、中條健一、西凛太朗

「STUDIO4℃」作品を見よう

 『海獣の子供』を制作した「STUDIO4℃」は、1990年代から斬新な作風の作品を発表し続けている気鋭のアニメーション・スタジオだ。劇場映画では大友克洋監督のオムニバス映画『MEMORIES』(1995)を皮切りに、たかしげ宙&皆川亮二の人気コミックを映像化した『スプリガン』(1998)、後に『この世界の片隅に』(2016)でブレイクする片渕須直監督の小品『アリーテ姫』(2001)、そして松本大洋原作、マイケル・アリアスで一大旋風を巻き起こし、日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞にも輝いた『鉄コン筋クリート』(2006)など、今も記憶に鮮やかなラインアップを構築。オリジナルビデオ作品『アニマトリックス』(2003)に刺激を受けた者もいるのではないだろうか。

 中でも、湯浅政明監督の『マインド・ゲーム』(2004)は同スタジオ制作作品の白眉といってもいい仕上がりだろう。ある種の荒唐無稽な展開、イマジネーション豊かな映像描写は全編、有無を言わさぬ活力に満ちており、湯浅政明という才能を世に知らしめた。物語の後半、クジラの内部で奇妙な描写が続くという点において、『海獣の子供』と地続きといえば地続きか。もっとも、「STUDIO4℃」という社名は「水の密度がいちばん高い温度が摂氏4℃=密度の高い作品作り」に由来している。水の密度の濃さを体現した『海獣の子供』は、まさに同スタジオが放ってしかるべき作品だったともいえる。

文・インタビュー/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。