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映画のとびら

2019年9月13日

ディリリとパリの時間旅行|新作映画情報「映画のとびら」#026

#026
ディリリとパリの時間旅行
2019年8月24日公開
(川崎市アートセンター アルテリオ映像館:9月21日~)

レビュー
勇気あるカナック少女が魅せる、かぐわしきパリの冒険譚

 『キリクと魔女』(1998)、『アズールとアスマール』(2006)のアニメーション作家ミッシェル・オスロが20世紀初頭のパリを舞台に作り上げた物語。ニューカレドニアからやってきた先住民カナックの少女ディリリがひょんなことから男性至上主義を掲げる強盗団に立ち向かっていく、というもの。

 邦題では「時間旅行」と謳われているが、SFファンタジーではない。絢爛たるベル・エポック時代を背景にしていること、あまたの著名な芸術家が登場していることなどから、かの時代へのトリップ感をロマンティックに匂わせようとする趣向が働いたためである。具体的には、ウディ・アレン監督作品『ミッドナイト・イン・パリ』(2011)の気分にあやかったわけだ。もっとも、作品自体はオスロ監督ならではの個性、現実感が例によって輝き、有名作品の浪漫におもねるようなことなどしていない。

 「ニューカレドニア先住民の生活を伝える欧州ツアー」に紛れ込み、華のパリへやってきた少女ディリリは、カナックにしては肌が明るく、どうやら両親のどちらかがフランス人だったとのこと。何ヶ月もの博覧会の仕事を終えた彼女は、彼女を肌の色で差別しない誠実な配達業の青年オレルに誘われ、パリ観光に出かけることにしたが、折しも街では少女誘拐事件の話題で持ちきり。残された犯行メッセージによると、犯人は男性支配団と名乗るグループだった。バカンスしながら、いろんな人に出会って質問すれば、犯罪グループのこともわかるかもしれない……。そう考えたディリリは捕らわれた少女たちの開放を叫んで、オレルとともに行動を開始。ピカソをはじめとする芸術家たちからの助言を受けて、事件の核心に迫っていく。

 ニューカレドニアの原風景かと思ったら、実は博覧会の風景だったり、観光バカンスが始まったかと思えば、いつの間にか犯罪グループの追跡だったりと、物語が地滑りを起こすように進んでいく。一般的な映画常識で接してしまうと、独特のストーリーテリングに戸惑うばかり。オスロという作家の語り口は、常套手段に凝り固まっている現代観客の頭をサラリとほぐしてやまない。一種の冒険譚なのに、大仰な娯楽表現はなく、映像的にも様式美が引き立ち、引きの画を主体にしてどこかユーモラスに熱狂から覚めている。物語の速度も緩急に富むというより、どこか一定で、山場を意識した畳みかけもない。やがて、主人公を通して、異文化の衝突が鮮やかに迫り、異国情緒と旅情感、古き時代の情景美と郷愁に心が満たされていく。

 時代設定は100年以上前になるが、そこに刻まれる問題意識は現代的。男性支配団の壊滅は女性解放の叫びと同義であり、さらわれた少女たちの虐待の図にも教条的な感触がないといえばウソになる。ただ、その作家的気骨が作品を単なる「観光ロマン」に終わらせなかったことも事実で、主人公の少女に混血児を据えたことにも観客は大きな注意を払わなければならない。すべてを平等の見地に立って眺めていること、強い意志を抱えて今を生きようとしていること。このふたつの要素は『キリクと魔女』以来、オスロ作劇において変わらぬ創作姿勢であり、かの高畑勲も強く興趣を引かれた部分である。

 写真素材を生かした背景美術は目に楽しく、CGの特性を無理なくまぶしたキャラクター群の動きも小気味いい。また、どんな芸術家が「ゲスト出演」しているのかを目を皿にして探すのも一興だろう。

 8月24日よりYEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
原題:Dilili a Paris / 製作年:2018年 / 製作国:フランス・ドイツ・ベルギー合作 / 上映時間:94分 / 配給:チャイルド・フィルム / 監督・脚本:ミッシェル・オスロ / 声の出演:プリュネル・シャルル=アンブロン エンゾ・ラツィト ナタリー・デセイ
公式サイトはこちら
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© 2015 SACREBLEU PRODUCTIONS / MAYBE MOVIES / 2 MINUTES / FRANCE 3 CINÉMA / NØRLUM.
ANIMATIONADVENTUREDRAMA
タイトル ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん
(原題:Tout en haut du monde)
製作年 2015年
製作国 フランス、デンマーク
上映時間 81分
配給 リスキット / 太秦
監督 レミ・シャイエ
公式サイト https://longwaynorth.net/

9月6日より東京都写真美術館ホールにて上映

けなげな少女が立ち向かった地球とアニメーションの頂上

 生前の高畑勲が気に入っていたといえば、こちらのフランス製(デンマークとの共作)長編アニメーションも捨て置けない。これが長編映画デビュー作品となるレミ・シャイエが演出に当たった本作品は、北極航路探検に出かけて行方不明となった祖父の消息をたどるべく、ひとり北の海に向かったロシア人少女の冒険行。アヌシー国際アニメーション映画祭2015では観客賞を、東京アニメアワードフェスティバル2016ではグランプリと東京都知事賞をダブル受賞している。

 舞台は1882年。サンクトペテルブルクの貴族家庭に育った14歳の少女サーシャは、1年前にダバイ号で北極遠征に出たきり戻らない祖父オルキンのことが忘れられない。そんな彼女を両親は社交界デビューさせて、良縁をたぐり寄せようとするが、デビュー当日、サーシャは祖父の部屋から新たな航路メモを発見する。捜索隊は間違った場所を探したに違いない。そう信じた彼女は社交パーティーの会場でロシア皇帝の甥っ子トムスキー王子に再探索を願い出るが、王子はこれをすげなく却下。ロシア大使に任命されることを願っていたサーシャの父イヴァン・チェルネソフの希望も打ち砕かれる。父からひどく叱責されたサーシャは、祖父の足跡をたどり、ダバイ号捜索の旅に出ることを決意。ひとり、北へと向かうのだった。

 手法の特徴からいけば、登場人物をかたどる輪郭線(実線)がほぼないということが第一に挙げられるだろうか。あるとしても、せいぜい鼻や口、シワを示す輪郭線が表情に残るくらい。いわゆる色面だけでキャラクターが仕上げられており、ほぼ同様の様式をとった背景と巧妙な馴染み、一体感を獲得している。長編2Dアニメーション形式ではなかなかお目にかかれない、その独特の味わい。配色、画面構成に、いったいどれほどの努力と工夫が投じられたのだろう。人によっては精巧な切り絵、もしくは一枚の絵画を連想する向きもあるのではないか。行きすぎない現実感、決して溺れきることのない幻想味、そして、ほどよい劇的表現。新しいカットが現れるたびに、その躍動感、美しさに目が奪われる。弛緩のいとまもない。

 もちろん、絵の素晴らしさが独り歩きしているわけではない。祖父の背中を追う少女の物語は、総尺81分というコンパクトなサイズに必要十分な形で収められており、余計な描写もおしゃべりも刻まない。これを「シンプル」という言葉だけで片付けては、ちょっとした犯罪になってしまうだろう。いうなれば、真の「簡潔」。作り手の「語り」に対するただならぬ平衡感覚もさることながら、それを果たしている要素のひとつとして、主人公の意志の強さを挙げてもいい。少女の決意がひとつ、またひとつと、困難を切り拓いていく過程は、同じロシアの物語でいけば、レフ・アタマーノフ監督の古典『雪の女王』(1957)を個人的に連想させる。同作品の少女ヒロイン、ゲルダのけなげな魂の伝統は、今日のアニメーションにおいてもどうやら全く揺らいでいない。高畑勲の絶賛も、ひとつにはこの少女の描き方に重きがあったのではないか。それは『アルプスの少女ハイジ』(1974)、『赤毛のアン』(1979)、『じゃりン子チエ』(1981)、『かぐや姫の物語』(2013)などを貫く高畑自身の志向でもある。

 一見、ありふれた物語とどこかで見た世界観。しかし、これほど新鮮で刺激的な映像体験も滅多にない。スッキリと優しい温もりに包まれた友愛のドラマもなかなかない。純粋かつ骨太な少女の自我、意志は、地球の頂上のみならず、アニメーション表現のてっぺんも見事に踏破した。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 


【小田急沿線での上映予定】

*『ディリリとパリの時間旅行』は、川崎市アートセンターアルテリオ映像館にて上映【2019年9月21日(土)~10月4日(金)】

*『ディリリとパリの時間旅行』『ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん』は、TOHOシネマズ海老名、イオンシネマ、ユナイテッド・シネマでの上映はございません。(2019年9月13日現在)