特集・コラム
映画のとびら
2019年9月27日
お嬢ちゃん|新作映画情報「映画のとびら」#028
神奈川県鎌倉市に暮らす女性のひと夏を追った青春ドラマ。市井昌秀監督『あの女はやめとけ』(2012)、今泉力哉監督『退屈な日々にさようならを』(2016)、上田慎一郎監督『カメラを止めるな!』(2018)などに続くENBUゼミナール主催〈シネマプロジェクト〉の第8弾企画作品である。
昨年、監督・主演作品『枝葉のこと』で注目された二ノ宮隆太郎が脚本、監督、編集を担当。『お嬢ちゃん』とは幼女を指した題名でもなく、深窓の令嬢を気安く呼んでいるわけでもない。
その名も「みのり」という庶民的な生活を送る21歳の女性が主人公。演じるのは、萩原みのり。もちろん、二ノ宮隆太郎が創造した登場人物が基盤となっているが、節々に主演女優の人生経験、言葉遣いなどの実像を絡めての作劇であり、もしかしたら『みのりのこと』という題名を使う手もあったかもしれない。その意味では、ふたつの「みのり」を見る映画ともいえるだろうか。あるいは、ふたつの意志が重なった虚実錯綜の女性映画ともいえるかもしれない。
祖母とふたり暮らし。甘味処で給仕の仕事。まっすぐ帰宅後の自宅ではスマホでゲーム三昧。たったひとりの親友とは草バドミントンや食事で時間を共有。そんな女の子、みのりの日常が淡々とスケッチされていく。とはいえ、静かで穏やかな生活風景に終始するわけではない。女子の可愛い生態が描かれるわけでもない。無論、オシャレな恋愛劇が展開するわけでもない。むしろ、すべてがその逆。
最初から最後まで仏頂面。常に苛立ち、不機嫌にタバコをふかす主人公は、自宅ではあぐらをかいて食事を取り、気に入らない態度を取る男どもには口汚くののしり、蹴っ飛ばしもする。容姿が優れているだけに、余計にぞんざいな言動が際立つ彼女は、いわゆる杓子定規の女性像は刻まれていない。「たをやめ」など片腹痛いとばかりに、ぶっきらぼうなまでに素のまま、ナマの「女」が浮き彫りにされる。ここまで思うがまま、無遠慮に不平不満の怒鳴り声をぶつけるヒロイン像など、いつ以来のことだろう。
劇音楽も流れることなく、基本、ワンシーン・ワンカットの会話劇体裁。その場の生々しい空気、感情をわしづかみにするような仕掛けは二ノ宮演出ならではである。わしづかみにするということは、演じる側はわしづかみにされているということ。否応なく無防備にさらされる主演女優は、この強硬に敢然と対峙する。役が発する言葉の汚れは、恐らく台本に書かれた台詞と役者本人の本音の境界線にあるものだろう。
いったい、この女は何に怒っているのか。何にイラついているのか。たぶん、身の回りのすべてのこと。世の中、全部がくだらない。幕間に挟まれる「バカな男たちの風景」は、父親への憎しみを含めた、ヒロインの怒りの対象としての具体例だろう。けれど、そういうことを考えている自分もくだらない。自分も嫌。その中で彼女は回る。ぐるぐる回る。ついに泣きべそをかいたりもする。
罵詈雑言が耳に痛いだけの映画化といえば、そうではない。ウンザリするような激しい自己主張に終わる作品でもない。誰にもこびへつらわない主人公にはウソがなく、そのたたずまいは実は誠実。飾り気のない仏頂面も、単に正直というだけ。彼女が蹴っ飛ばす世間の「クソ」とは、もしかしたら、なあなあの常識、慣習に日々まみれている我々自身。ある意味、「正義の人」だったりする。くだす鉄槌もどこか痛快。その迫力がりりしい。その飾らない眼差しが美しい。
主人公の意志の強さは、たとえばただ歩いているだけの場面にもしっかりと刻まれている。歩行場面に人間の本質を託そうとする二ノ宮演出に、前作『枝葉のこと』同様、北野武映画を連想するのも、もちろん自由であろう。ただし、ほとんど口を開かない前作の仏頂面男=二ノ宮隆太郎に比べ、今回のヒロイン=萩原みのりは吐き出す言葉が明快であり、その意味では取っつきやすいかもしれない。強いけど弱い。意気地なしだけど頑固。女性主人公ならではの感情移入のしやすさに加え、そんな人間臭さがなおのこと魅力的。呆気にとられながらも、きっと誰もが最後まで彼女を追いかけてしまう。彼女に心を奪われていく。
短くも凝縮された8日間の撮影、その上、これほど特殊な設定の役を演じるとなれば、俳優としてはどうしても自分自身の人生と向き合わざるを得なかったろう。この物語は主演俳優の忘れがたきポートレートであり、よくも悪くも萩原みのりという女優の名刺になった。今後、「みのり」がどこへ、どういう道を歩んでいくのか。その行く末が気になるのも、この作品がもたらすもうひとつの愉悦である。
喜劇ではない。けれど、妙におかしい。通り一遍のメロドラマではない。しかし、心が動く。劇的などんでん返しがあるわけでもない。でも、スリル。二ノ宮隆太郎という映画監督の作品としては「またやったね!」と手を打つ怒劇。でも、多くの一般観客にとっては、きっと新しい映画体験。きっと新しい女優発見の契機。どれもがたまらない。どれもが新鮮。「目撃のとき」を逃してはならない。
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タイトル | サラブレッド (原題:Thoroughbreds) |
製作年 | 2017年 |
製作国 | アメリカ |
上映時間 | 92分 |
配給 | パルコ |
監督 | コリー・フィンリー |
出演 | オリヴィア・クック、アニャ・テイラー=ジョイ、アントン・イェルチン |
公式サイト | http://thoroughbreds-movie.jp/ |
2019年9月27日(金)より新宿シネマカリテほか全国ロードショー
血統書付きの競走馬を意味する英語を題名に冠した異色のスリラー映画。こちらに登場する女性は、別種の真っ直ぐな行動を起こしていく。舞台は米コネティカット州の郊外。上流階級の少女たちの物語。
ふたりの若い女性が主人公。ひとりは、精神科医に反社会性を疑われるほど感情の自己操作に長けているアマンダ(オリヴィア・クック)。もうひとりは、アマンダの幼なじみで寄宿学校経験者のリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)。ある日、勉強をしている最中に継父嫌いを見抜かれたリリーは、アマンダの「殺そうと思わないの?」という問いをきっかけに、徐々に危険な感情にとらわれていく。
「彼(継父)の殺害は皆の利益にもなるはず」とまで語るアマンダに背中を押されてか、リリーはケチな麻薬売人の青年ティム(アントン・イェルチン)に殺人代行を依頼。だが、事はそう単純に運ばない。
お話だけを追えば、ちょっとした殺人サスペンス、もしくはブラックな計画殺人劇に映るだろうか。確かに、継父殺害はドラマ上の山場になるが、お話そのものを楽しむというより、これは物語をつつむ映画の語り口を楽しむ作品。ほとんどの場面は会話で構成されており、とりわけ女性主人公ふたりの言葉の応酬がひとつの醍醐味となっている。それをとらえるカメラの画角もそこはかとなく様式美を放っており、ミステリーの香りをまぶしながら、エッジのきいた心理劇を模索した格好か。オシャレという表現を使うほどじゃない。万人が腑に落ちるラストが待っているわけでもない。でも、ほんのりと画面の端々に漂うポップな気分は、美人女優ふたりの魅力と相まって、得も言われぬ吸引力を放つ。仲よし女子が友情の果てに殺人を企てるという構図に、ピーター・ジャクソン監督作品『乙女の祈り』(1994)あたりを連想する観客がいるかもしれない。無論、あれほど具体的でも劇的でもない。こちらはずっと感覚的な作品だ。
物語の終結部に接して、「理解不能」とポカンとするか、それとも「理知的な結末」と喝采を送るか。ある種のリトマス試験紙として味わう方法もあるかもしれない。
不慮の事故で夭折したレニングラード出身の人気若手俳優アントン・イェルチンは、これが遺作。J・J・エイブラムスのプロデュースによるリブート版『スター・トレック』シリーズ(2009~2016)のチェコフ役などでなじみが深い映画ファンには、今回の無精ひげを伸ばしたやさぐれチンピラ役はきっと新鮮に映るはず。哀悼の意とともに、鑑賞していただきたい。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。
【小田急沿線での上映予定】
*『お嬢ちゃん』は、あつぎのえいがかんkikiにて2019年11月公開予定
*『サラブレッド』は、新宿シネマカリテにて上映【2019年9月27日(金)~】
*『お嬢ちゃん』『サラブレッド』は、TOHOシネマズ海老名、イオンシネマ、ユナイテッド・シネマでの上映はございません。(2019年9月27日現在)