特集・コラム
映画のとびら
2019年11月8日
テルアビブ・オン・ファイア|映画のとびら #034
第75回ヴェネチア国際映画祭の〈Interfilm〉部門で作品賞を受賞したイスラエル製喜劇。「テルアビブ炎上」などという物騒な題名がついているが、イスラエル/パレスチナ問題を深刻に描いているわけではない。正確には両者の衝突を描いているのだが、戦争映画ともサスペンス映画とも違う形でこれを扱ってのける。「外国人」の発想ではちょっと思いもつかない関係性を思い切った切り口で軽妙に見せる注目作だ。
くだんの「テルアビブ・オン・ファイア」とは、具体的には劇中劇として描かれるテレビドラマの題名を指す。第三次中東戦争前夜のテルアビブを舞台にした同ドラマは、俗に言う「昼メロ」。イスラエルもパレスチナも関係なく、女性を中心に大人気の番組だった。主人公として登場する青年サラーム(ナディム・サワラ)は、同ドラマでプロデューサーを務めるバッサム(ナディム・サウラ)の甥に当たり、ドラマの制作現場ではインターンとしてヘブライ語の言語指導の役職を受け持っていた。ある日のこと、職場のラマッラー(パレスチナ自治政府の首都)から自宅のあるエルサレム(イスラエルの都市)に戻ろうとしたとき、検問所で不用意な発言をしたかどで止められてしまう。当初はイスラエル軍司令官のアッシ(ヤニブ・ビトン)に萎縮するも、なんとアッシの妻は『テルアビブ・オン・ファイア』の大ファン。サラームがドラマの関係者だと知ったアッシは、妻にいいところを見せたい欲にも駆られ、やがてサラームに勝手な意見を押しつける。しかし、そのアッシの提案がドラマの現場で大ウケ。これに激怒した女性脚本家は降板。代わりに脚本を書く役職を与えられたサラームは、逆にアッシにドラマのアイデアを求めるのだった。
エルサレムに住むパレスチナ人青年が、パレスチナ側の土地のドラマで働き、イスラエルの軍人に「内政干渉」され、さらには幼なじみのパレスチナ人女性との恋を成就させようと躍起になる物語。一方、テレビドラマの内容といえば、ユダヤ人移民を装ったパレスチナ人女性スパイがイスラエル軍の将校を惑わし、フレンチレストランのシェフとの狭間で揺れるという設定。考えるだけで混乱してくる入り組んだ民族の図式は、実のところ、彼らの現実として真っ当であり、そのまま両民族の「奇妙な隣人関係」に重なってくる。監督のサメフ・ゾアビ自身がイスラエル育ちのパレスチナ人というのも大きいのだろう。ともすれば重い緊張感がはらむ状況を、スルリとユーモラスな笑いに替えていく。そのささやかながら小粋な仕掛け。
一般的な日本人の立場で眺めるなら、大きな事件が起きるわけでもなく、恐らくコメディーとしても大笑いするような仕上がりでもない。最大の見どころは、彼らの特殊な関係図であり、イスラエル/パレスチナの別の日常を見るところにある。パレスチナ人の常食フムスを主人公が苦手と言うのに、イスラエル軍司令官が缶詰のフムスまで「うまい」といってバクバク食べる構図などは、納豆を苦手とする日本人がどんな納豆でも大好きと話す外国人を相手にするような風景だろう。節々にクスリとさせられる瞬間がにじむ。暴論を承知で記すなら、イスラエル/パレスチナ問題を『サザエさん』感覚で楽しむ作品としてもいい。
もちろん、厳しい現実から全く目を背けているわけではない。劇中、登場人物による「オスロ合意」をめぐる発言などは悩ましい。和平がどんどん遠のいている感のある両国の現状を思うに、この作品と劇中劇が選択する軽やかにして冷静な解釈を「幼稚な幻想」と見るか、それとも「優しい皮肉」と受け取るのか。アラファト議長が生きていたら、この映画をどう見るのだろう。そんなことまで考えさせられる。
イスラエル/パレスチナ問題に関心があればあるほど面白く見られる作品であることは確か。では、それ以外の観客には単なる「対岸の火事」なのだろうか。いや、いがみ合っている隣人の物語は決して他人事でもない。「かの地のカオス」にはこんな一面もある。そんな独特の観測がかなう絶好の機会なのだ。
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(C)2005 Augustus Film, Lama Films, Razor Films, Lumen Films, ARTE France Cinema
タイトル | パラダイス・ナウ (原題:Paradise Now) |
製作年 | 2005年 |
製作国 | フランス |
上映時間 | 87分 |
監督 | ハニ・アブ・アサド |
出演 | カイス・ネシフ、アリ・スリマン、ルブナ・アザバル |
劇中劇をめぐるコメディーといえば、シドニー・ポラック監督、ダスティン・ホフマン主演による『トッツィー』(1982)が有名。売れない役者が昼メロに女性俳優として出演し、女性共演者と恋に落ちる騒動を描いた作品。デイヴ・グルーシンの音楽も快調な、よくできたシチュエーション喜劇だ。
喜劇とは異なるが、劇中劇の手法で原作を軽やかに超えた『Wの悲劇』(1984)という日本映画の秀作も忘れてはいけない。澤井信一郎監督のもと、薬師丸ひろ子がアイドル脱皮を図った一本。
テルアビブといえば、モサド(イスラエル諜報特務庁)。モサドといえば『ブラック・サンデー』(1977)などと連想する映画ファンもいるのではないか。同ジョン・フランケンハイマー監督作品は、ロバート・ショー演じるモサドの諜報員がテロリストの陰謀を封じようとするアクション。スーパーボウルの会場上空で起こる飛行船をめぐる戦いは、ジョン・ウィリアムズの音楽に乗せて迫力満点。原作は後年、『羊たちの沈黙』で爆発的人気を得るトマス・ハリスだったりする。
モサド絡みではエイダン・クイン、ベン・キングズレー主演の『アサインメント』(1997)なる秀作アクションもある。有名なテロリスト「ジャッカル」をめぐる苛烈な駆け引きに、思わず手に汗がにじむ!
パレスチナ・ゲリラの「黒い9月事件」を描く映画としては、スティーヴン・スピルバーグ監督の『ミュンヘン』(2005)を筆頭に、ウィリアム・ホールデン主演の『テロリスト 黒い九月』(1976)、ケヴィン・マクドナルド監督の『ブラック・セプテンバー/五輪テロの真実』(1999)など秀作がいっぱい。
パレスチナを舞台にした映画となれば、最近では『ガザの美容室』(2015)が有名だろう。イスラエル側にいる友人たちと交流する青年を描く『オマールの壁』(2013)、自爆攻撃に出る青年を描く『パラダイス・ナウ』(2005)などは、いずれもイスラエル/パレスチナ問題を真摯に見つめた力作。『テルアビブ・オン・ファイア』とあわせて見ることで、「現実」を立体的に観測することができるはずだ。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。