特集・コラム
映画のとびら
2019年12月25日
男はつらいよ お帰り 寅さん|映画のとびら #041
シリーズ開始からちょうど50年。その節目の年に『男はつらいよ』の新作が生まれた。題して『男はつらいよ お帰り 寅さん』(2019)は、実に通算50本目の名物人情喜劇。主演・吉岡秀隆が演じる満男もまた設定上50歳と、どこまで意図されたのか、「50」ぞろいの記念作となった。
脱サラして、小説家を生業としている満男(吉岡秀隆)は、6年前に妻を亡くし、今は中学3年生の娘・ユリ(桜田ひより)とマンションでふたり暮らし。ある日、自著のサイン会を担当編集者の高野(池脇千鶴)と行っていると、たまたま日本に帰国していたイズミ(後藤久美子)とバッタリ再会。リリー(浅丘ルリ子)のいるジャズ喫茶や、両親の博(前田吟)とさくら(倍賞千恵子)が居を構えている「くるまや」に彼女を連れていき、思い出話に花を咲かせる。そして、懐かしい伯父・寅次郎の姿を思い浮かべるのだった。
物語上の「現在」にいるセールスマン・満男が伯父・寅次郎の思いをめぐらせるという形は、シリーズ第49作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇』(1997)と似ている。もっとも、同作品は前年に世を去った渥美清への追悼の意味合いが強いもので、第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980)の「改題再利用」の印象がぬぐえないのも確か。その点、今回は現在の満男を軸にした家族の物語がしっかり根を張っており、その折々に過去作品の寅次郎出演場面が断片的に挿入されるという仕掛け。それらが「あのとき寅次郎はこんなだった」「こんなとき寅次郎ならどうするだろう」といった懐かしき思い出、勇気づける手がかりとなって、満男の現在を優しく包み、照らしていく。
「お帰り 寅さん」という副題がついているが、寅次郎が柴又に戻ってくるおなじみの展開はない。あくまで、寅はどこかの旅の空の下にいるという前提でのドラマ構成。その一方で、満男を見つめる「目線」として時折、満男の背後や場面の端々に過去映像から抜き出された寅次郎が浮かび上がるという趣向もとられる。一種のデジタル合成処理だが、「CG寅」を満男の共演者として闊歩させるような野暮はない。導入部で桑田佳祐が渥美清ばりに主題歌を高らかに歌いあげるなど、多少なりとも記念催事的な意味合いのある作品とはいえ、そこは渥美清という俳優を映画の玩具におとしめるようなことはしたくなかったのだろう。下手な実体の確保よりも、今は亡き名優への心づくしを第一に。そんな作り手の声が聞こえるようだ。
どこか息苦しさを感じる現代、寅次郎の存在は風物映画の人気キャラクターの枠を超えて、もはや日本人の心の拠りどころ、魂のふるさとへと昇華している感がある。記憶の断片として刻まれる過去作品の映像は、言ってしまえば「回想」の機能にとどまっているはずなのに、それが回を追うごとに見る者の心を動かし、いつの間にか笑いや涙をもたらしてしまっている事実には、そんな解釈でも施さないと理解が追いつかない。この筆舌尽くしがたい温もり、もしや作り手側にとっても想定外の事態なのではないか。
シリーズの愛好家にとっては、おいちゃんやおばちゃん、笠智衆の御前様、タコ社長も鬼籍に入っており、他方、佐藤蛾次郎の源吉、美保純の朱美は健在、後藤久美子の及川泉は海外で結婚してイズミ・ブルーナに、さらに新しい御前様に笹野高史が登板と、目に懐かしく、楽しい瞬間がいっぱいだろう。一方、シリーズになじみがない向きには、どこか『男はつらいよ』への入門編的気分もにじんでいるかもしれない。寅次郎は思い出の存在なのに、その体温が直に伝わってくるような仕上がり。不思議な作品である。
「お帰り 寅さん」とは、いわば「いつか帰ってきてくれるかも」「もう一度、帰ってきてほしい」などの願いを託している副題でもあろうか。その意味では、この作品は一種の鎮魂歌であり、讃歌であり、応援歌ですらあるとしていい。どんな人の心の中にも、それぞれの「寅」がいる。それぞれに優しき導き手がきっと潜んでいる。それをあらためて教えてくれる充実の一作となった。
思いをめぐらせているのは、満男だけではない。
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© Rey de Babia AIE, Peliculas Pendelton SA, Morena Films SL, Telefónica Audiovisual Digital SLU, RTVE
タイトル | だれもが愛しいチャンピオン (原題:Champions) |
製作年 | 2018年 |
製作国 | スペイン |
上映時間 | 118分 |
配給 | シンカ |
監督 | ハビエル・フェセル |
出演 | ハビエル・グティエレス、アテネア・マタ |
公式サイト | http://synca.jp/champions/ |
12月27日(金)より 新宿武蔵野館ほか全国公開
現代スペインから届いた秀逸な人情喜劇。本国では2018年度最大の興行成績を残したほか、スペインのアカデミー賞といわれる「ゴヤ賞」で作品賞、新人男優賞、オリジナル歌曲賞の三冠に輝いている。
主人公は、プロ・バスケットボールの一部リーグにランクされている強豪「エストゥディアンテス」の副コーチ、マルコ・モンテス(ハビエル・グティエレス)。ある日の試合で、作戦をめぐり、コーチを罵倒して追い出された彼は、飲酒運転の事故を冒して2年間の免許停止に加え、90日間の社会奉仕活動を命じられることに。女性判事の意向で向かった先は、知的障がい者のためのバスケットボール・チーム「アミーゴス」。当初はチームメートと意思疎通がうまくいかず、試合でも結果を出せずにいたマルコだったが、やがて障がい者たちと心が通いだし、チームをまとめることに成功。徐々に常勝集団へと成長させていく。
パスはおろか、練習で走ることすらできないチームメートを演じるのは、すべて本当の知的障がい者たち。キャスティングののち、個々の個性に合わせて脚本をあらためているあたりが特徴的で、恐らく撮影でも柔軟な対応がとられたことだろう。結果、架空のストーリーではあるものの、根っこではウソがない彼らのたたずまいには、たとえようのない豊かな実感がこもった。笑い自体は、基本的に主人公の思い込み、健常者的な発想から生まれる仕掛けになっており、障がい者たちを笑いものにするような特殊な仕掛けも悪意もない。純粋無垢な彼らは「物語」という枠に収まりながらも、心は自由そのもの。夢中にプレーをするアミーゴスの姿には、きっとだれもが心をほだされ、同情を超えた快哉を叫ぶことになる。ちなみに、ゴヤ賞の新人男優賞を獲ったのは、チームメートのひとり、マリンを演じたヘスス・ビダルだ。
総じて、伝統的ともいっていいスポーツ成功物語の構造を持つこの作品は、そのわかりやすさにおいて開放的であり、ひねりすぎない朴訥な笑いを堅実に敷き詰める点において誠実である。それでいて、本来クライマックスであるべき最後の試合にピークを持ってこず、クライマックス後に真のクライマックスを配置するという一種の荒技も見せた。彼らにとって勝利とは何か。試合に出るということにどんな意味があったのか。その感情が一挙に押し寄せる歓喜の描写には、思わずさわやかな涙をこぼしてしまう。
物語の締めくくりもまた、いい。通常の感動劇にあるべき結末を、この映画は用意しない。そのりりしき「決断」において、マルコと知的障がい者たちは最後の最後で立場を逆転させたとするべきか。自由な意志は、相手の心も閉じ込めない。真の「人情」とは崇高なる寛容を指すのかもしれない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。