特集・コラム
映画のとびら
2020年1月24日
パリの恋人たち|映画のとびら #044
フランスの名手フィリップ・ガレルの息子ルイ・ガレルが主演も兼ねた長編監督第2作。現在36歳。第1作は今なお本邦未公開に終わっているが、この作品ひとつで、その才能やセンスは十分、窺い知ることができるだろう。第66回サンセバスチャン国際映画祭ではコンペティション部門で脚本賞を受賞している。
ジャーナリストのアベル(ルイ・ガレル)は、恋人のマリアンヌ(レティシア・カスタ)と同居生活をして3年。ある日、彼女から妊娠を告げられ、喜んだのも束の間、「父親はあなたじゃない」とのこと。しかも、相手はアベルの友人のポール。関係も1年以上にのぼり、今月には結婚式もあげるという。9年後、そのポールが死んだ。就寝中の突然死だった。すっかり大きくなった息子のジョゼフ(ジョゼフ・エンゲル)とともに哀しみに沈んでいたマリアンヌに、アベルは優しく声をかけ、再び彼女と同居することにする。そんなある日、ジョゼフが「パパはママに殺された。医者と浮気していた」と言いだし、さらに幼い頃からアベルに思いを寄せていたポールの妹のエヴ(リリー=ローズ・デップ)がマリアンヌに「アベルが欲しい。断ったら戦争よ」と詰め寄った。エヴの気持ちを知ったアベルがとった行動とは?
ストーリーだけを追うと、重々しくも込み入った恋愛劇に映るだろうか。しかし、実際は終始、軽い口当たりで展開する物語で、どこまでも喜劇に近い。
端的にいえば、ラブコメディー。ふたりの女性の間で、ひとりの男が右往左往する。いや、ひとりの男をめぐる女ふたりの感情のもつれ、との見方をする向きもあるだろうか。主人公は中心に立っていても、モノローグが三者三様、均等に画面からこぼれるという独特の仕掛け。結果、男女それぞれの感情が独り歩きして、なんとも摩訶不思議な空気を醸し出す。恋の甘みを謳歌するわけでもなければ、恋の苦みを気取って見せるわけでもない。恋愛をめぐるおかしみと混乱の連鎖があるのみ。概して「どうするの、この人たちは?」という思いがにじみ、見る側まで振り回される。ラスト、我に返るような場面に直面するとき、この奇妙な三角関係をめぐる痛快な戸惑いを、我々はどう言葉にすればいいのか。
主人公アベルの優柔不断、信念があるようでない人間的やわらかさが大きな妙味となっている。流されやすくだらしない男を自ら演じ、加えて私生活のパートナー(レティシア・カスタ)を恋愛対象のひとりに置くというルイ・ガレルの仕掛けは、どこかウディ・アレンのそれに近い。ただ、アレン喜劇ほど笑いが広がっていくわけでも、オシャレが横溢するわけでもない。やはり、独自の色、気分が際立つ。
パリの街並みで始まり、パリの空で終わるブックエンド形式が、もしやこの作品のすべてかもしれない。すなわち、パリという街、パリに住む人間だけがかなえられる「ユーモアとウィットに富んだ恋騒動」であるということ。ワインを水のように飲み、恋を呼吸のようにする、というパリジャンのイメージは、少なくともこの映画においては的を射ているといっていい。特別なんだけど、特別じゃない。ゲームにするつもりはないけど、自ずとゲームになる。恋愛のベテランたちによる、どこか自分勝手な感情の衝突。そのぶざまさ、どうしようもなさが、鋭い観察眼を持った若き演出家によって優しくも滑稽なドラマに昇華した。
うらやましいほどに、このパリの住人たちはそれぞれの人生を生きている。奔放闊達におしゃべりを重ね、感情のままに心を弾ませる。そんな子どものように心を解放する大人たちがまぶしい。かわいらしい。
エヴ役のリリー=ローズ・デップは、その名のとおり、ジョニー・デップとヴァネッサ・パラディの間に誕生した女優。彼女の美貌もさることながら、エヴの少女時代を演じたダイアン・クールセイユも美しい。
2018年、第31回東京国際映画祭時には原題の『ある誠実な男』で上映されている。
公式サイトはこちら
(C) 2014 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS – CLOSE UP FILMS – ARTE FRANCE CINEMA
タイトル | パリ、恋人たちの影 (原題:L’ombre des femmes) |
製作年 | 2015年 |
製作国 | フランス |
上映時間 | 73分 |
監督 | フィリップ・ガレル |
出演 | クロチルド・クロ、スタニスラス・メラール、レナ・ポーガム、ヴィマーラ・ポンス、アントワネット・モヤ、ムニール・マルグム |
ルイ・ガレルは映画監督のフィリップ・ガレルと女優のブリジット・シィの間で1983年に誕生している。幼少期より父親の作品に出演し、まず俳優としてのキャリアを先行させた。映画デビューは、ジェーン・バーキン共演の『Ceci est mon corps(これが私の肉体)』(2001)にて。ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ドリーマーズ』(2003)で主役格のひとりを演じて注目を浴びたのち、父親の『恋人たちの失われた革命』(2005)に出演し、セザール賞有望若手男優賞を受賞している。
登場人物の感情をズバッと切り取るフィリップ・ガレルの作品は、大なり小なり、恋愛がモチーフとなっている。そんな父親の目前で「恋人たち」のひとりをたびたび演じてきたルイ・ガレルが、その作風、スタイルに全く影響を受けなかったといえばおかしいだろう。むしろ、父親の描くさまざまな恋愛の形を体験したがゆえに、『パリの恋人たち』(2018)のような監督作品が生まれたのだと考える方が自然だ。
最初の映画『恋人たちの失われた革命』は、1968年に起きたパリ五月革命を題材にした3時間超えの作品。フィリップ・ガレル自身の体験を元にしており、ルイ・ガレルはある意味、父自身を演じた形になる。革命戦士にして、彫刻家の女性と恋に落ちるフランソワ役だった。
『愛の残像』(2008)では女優の人妻(ローラ・スメット)と恋に落ちて苦しみ抜くカメラマン役。なぜか、役名がまたもフランソワ。
モニカ・ベルッチが相手役となった『灼熱の肌』(2011)では、画家役。愛のすれ違いがややシリアスなタッチで描かれていく。続く『ジェラシー』(2013)では、祖父モーリス・ガレルの若き日々を演じた。役名はなぜか、ルイ。同棲する舞台仲間の女性と、やはり愛情がすれ違う物語。
現時点での父親の監督作品への最後の参加は、『パリ、恋人たちの影』(2015)となる。ここでは画面に登場せず、ナレーターとしてドキュメンタリー作家夫婦の愛の物語を見つめた。父、祖父と演じてきて、役割も変わってきたのかもしれない。一連の流れで作品を吟味すると味わいも一層、深くなるはず。
ちなみに、フィリップ・ガレルは『つかのまの愛人』(2017)で、ルイ・ガレルではなく、娘(ルイの妹)のエステール・ガレルをヒロインに迎えている。私生活の家族や親しい人を巻き込んで私小説的な世界を編むということでは、やはり父子の血筋を感じざるを得ない。
ルイ・ガレルの監督としての活躍が広がりつつある現在、フランス映画界の「親子鷹」はまた別の新たな作家的魅力を放ちそうな気配である。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。