特集・コラム

映画のとびら

2020年6月26日

カセットテープ・ダイアリーズ|映画のとびら #063

#063
カセットテープ・ダイアリーズ
2020年7月3日公開


©BIF Bruce Limited 2019
『カセットテープ・ダイアリーズ』レビュー
スプリングスティーンの「ことば」にふるえる

 英・ガーディアン紙の現役パキスタン人ジャーナリスト、サルフラズ・マンズールの自伝的回顧録を映画化した青春映画。ブルース・スプリングスティーンに感化されたパキスタン人少年の葛藤と旅立ちを笑いと涙の中に描く。マンズールと友人関係にあり、『ベッカムに恋して』(2002)などの好編を発表しているナイロビ生まれのインド系女性監督グリンダ・チャーダがマンズールと共同で脚本を書き、監督も務めた。主人公の高校生ジャベド・カーンには、これが銀幕デビューとなったヴィヴェイク・カルラ。原題の「光で目がくらみ(Blinded by the Light)」はスプリングスティーンのシングル・ナンバーに由来したもの。

 1987年、イギリスの田舎町ルートンで暮らすパキスタン系一家の長男ジャベド(ヴィヴェイク・カルラ)は鬱屈(うっくつ)を抱える日々を送っていた。隣人の親友マット(ディーン=チャールズ・チャプマン)には新しいガールフレンドを見せつけられ、封建的な態度を振りかざす父(クリヴィンダー・ギール)には抵抗もできず、揚げ句に学校では人種差別に遭ってツバまで吐きかけられる始末。できることといえば、10歳の頃から続けている日記や詩を書くこと。それに、ソニーのウォークマンで流行りのペット・ショップ・ボーイズの歌を聴くことくらいだった。そんなある日、不況でジャベドの父が勤務先の自動車工場をリストラされ、カーン家の家計はいきなり逼迫(ひっぱく)。進学の夢も危うくなり、いよいようちひしがれたジャベドはその嵐の夜、同じムスリムの同級生ループス(アーロン・ファグラ)から借りたカセットテープを聴く。そこに収められた楽曲こそ、ループスが「くさった世界で真実へ導く男」と呼ぶアメリカのロック・ミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンの手になる歌だった。心を鼓舞するような《ダンシン・イン・ザ・ダーク》《プロミスト・ランド》などの熱い歌詞にジャベドは一念発起。ヤケクソで捨てた自作の詩を回収し、文学を教えるクレイ先生(ヘイリー・アトウェル)に見せ、新聞部にもスプリングスティーンの歌曲評記事を投稿するなど、「自分」を前に出す生き方を模索し始める。やがてイライザ(ネル・ウィリアムズ)という行動的で理解あるガールフレンドもできるが、家計が苦しい環境は変わらず、ろくにバイトが見つからないうえに、父親との対立は深まる一方だった。

 時代はサッチャー政権下。貧富の差が広がり、移民への排斥運動も起きる状況は、ジャベドの一家にとってまさに苦難の日々。移民ならずとも、労働者階級には不況による生活苦がのしかかっている。そんな30年あまり前のイギリスの世情が庶民目線で眺められる設定がまず興味深い。なんらかの障害がつきまとうのが青春映画の常だが、ここでは目前の社会苦境がパキスタン人少年を悩ませてリアルだ。

 ガールフレンドのイライザが政治活動に熱心なリベラル派の白人女性というのも悪くない設定。政情の窓口になっているだけでなく、パキスタン人の主人公に偏見もなく向き合っており、ある意味、現代的な存在といえる。主人公にブルース・スプリングスティーンを紹介する友人がムスリム系というのも面白い。当時の若いイギリス人にとって、スプリングスティーンの音楽など古いものとの認識があった。主人公ジャベドの親友マットは「スプリングスティーンなんて親父の曲」「シンセこそ最高」などと言ってのける。ジャベドもマットと同じように流行歌を聴いていたわけだが、むき出しの叫びをぶつけてくるスプリングスティーンの歌を聴いた瞬間、世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。イギリスに住む異国の人にとって彼の歌は想像以上に激励の声だったかもしれない。ループスにしても単なるアメリカ音楽かぶれというわけではないだろう。なにより、ジャベドは幼少期から日記、作詞を続けていた人間であった。「ことば」に敏感な少年が「ことば」を大切にするミュージシャンによって心が洗われる。美しく、ダイレクトな構図といっていい。スプリングスティーンの歌詞が文字となってジャベドの周囲に浮き上がり、時にミュージカルばりのダンスシーンへと昇華されるあたりなどは、蒙を啓(ひら)かれた思春期の感動と幸福がわかりやすく描かれていて、節々に込められた軽快な仕掛けとともに、若い観客の共感を呼ぶのではないか。

 つまるところ、これは少年の自我開放を描く青春映画であり、その彼をきっかけに新しい一歩を踏み出そうとする家族の絆の物語。歌に感動し、影響され、活路を見いだそうとする若い魂の姿に国境も時代も関係ない。だれにも心を動かされた曲がある。だれにも特別な家族との時間がある。一途なパキスタン人少年が迎えるゴールは、どんな観客にとっても、きっとさわやかなものに映るはずだ。

 7月3日(金)より、全国ロードショー
原題::Blinded by the Light / 製作年:2019年 / 製作国:イギリス / 上映時間:117分 / 配給:ポニーキャニオン / 監督:グリンダ・チャーダ / 出演:ヴィヴェイク・カルラ、クルヴィンダー・ギール、ミーラ・ガナトラ、ネル・ウィリアムズ、アーロン・ファグラ、ディーン=チャールズ・チャップマン、ロブ・ブライドン、ヘイリー・アトウェル、デヴィッド・ヘイマン
公式サイトはこちら

 

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(C)1993 TRISTAR PICTURES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.
DRAMA
タイトル フィラデルフィア
(原題:Philadelphia)
製作年 1993年
製作国 アメリカ
上映時間 125分
監督 ジョナサン・デミ
出演 トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン、アントニオ・バンデラス、ジェーソン・ロバーツ、メアリー・スティーンバーゲン、ジョアン・ウッドワード

スプリングスティーンをめぐる映画たち

 1949年、アメリカはニュージャージー州フリーホールドに生まれたブルース・スプリングスティーンは、1973年にアルバム『アズベリー・パークからの挨拶』でレコード・デビューして以降、今日までにおよそ6,500万枚のアルバムを売り上げている人気ロック・ミュージシャンだ。1999年にはロックの殿堂入りも果たしているが、映画界もこの才能を放っておくはずがない。

 映画のための書き下ろしで有名なのは、ジョナサン・デミ監督、トム・ハンクス、デンゼル・ワシントン主演の『フィラデルフィア』(1993)だろう。HIV感染をきっかけに不当解雇された弁護士が正義を訴えて立ち上がる法廷ドラマ。映画そのものの高い評価も手伝って、スプリングスティーンの手による主題歌《ストリーツ・オブ・フィラデルフィア》は見事、第66回アカデミー賞で歌曲賞を獲得。続く1995年には死刑問題を描くティム・ロビンス監督、スーザン・サランドン、ショーン・ペン主演の『デッドマン・ウォーキング』でもタイトル曲を制作。受賞こそならなかったが、第68回アカデミー賞の歌曲賞候補となった。いずれも、人権問題、社会問題を正面から受け止める歌詞の強さが印象的で、その後も友人のミッキー・ロークのために、彼が主演するダーレン・アロノフスキー監督の映画『レスラー』(2008)にタイトル曲を書き、ゴールデン・グローブ賞で歌曲賞をとっている。

 変わりネタでいけば、ジョー・ダンテ監督の映画『エクスプロラーズ』(1985)を覚えておいてもいい。イーサン・ホーク、リヴァー・フェニックス、ジェイソン・プレソン演じる3人の少年たちが宇宙からの「情報」をもとに裏庭で宇宙船を建造。その初飛行の日に彼らがつけた名前が「サンダー・ロード」。プレソン演じるダレンがファンということで、スプリングスティーンの歌曲《涙のサンダー・ロード》(1975年発表)から拝借したものだ。ダレンの設定が家庭問題を抱える低所得者層の子どもというあたりも、どこか『カセットテープ・ダイアリーズ』の気分に通じている。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 

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