特集・コラム
映画のとびら
2020年7月17日
ステップ|映画のとびら #066
人気作家・重松清が2009年に発表した同名小説を映画化。シングルファーザーとして娘との日々を生きるサラリーマンの日常を2009年から2020年までのおよそ10年間にわたって描く感動作だ。父親役に山田孝之。監督は、その山田とテレビドラマ『荒川アンダー ザ ブリッジ』(2011)とその映画版、テレビドラマ『REPLAY & DESTROY』(2015)でも顔を合わせている飯塚健。
「さあ、行こう」と言って、武田健一(山田孝之)はベビーカーを押し始めた。乗っているのは2歳半になる娘の美紀(中野翠咲)だ。今日も、保育園への道をふたりで進んでいく。1年前、妻の朋子(川栄李奈)を病で失って以来、健一はシングルファーザーとして仕事と育児で孤軍奮闘の毎日。会社の同僚や保育士(伊藤沙莉)、それに妻の両親(國村隼&余貴美子)らに支えられ、なんとかやりくりしている。あっという間に時間は過ぎていった。美紀(白鳥玉季)が小学校に上がると、会社のフレックスタイム制をやめる。上司(岩松了)からは総務部から営業部への復帰を促されたが、自由になったのはわずかな時間だけ。「(父親業を)ギブアップしたくない」と、どうしても首を縦に振ることができない。ある日のこと、娘の担任から相談事を持ちかけられる。授業参観までに母親の似顔絵を描くことになっているのだが、美紀は「お母さんは家にいる」とウソを言っているという。教師に「写真を見ながら描くのはどうか」と提案も受けた健一は一計を案じ、妻にそっくりのカフェ店員・成瀬舞(川栄李奈の二役)に声をかけるのだった。
歳月の流れは大河ドラマ的だが、大きな事件も激情も描かれない。とりわけ、父親を演じる山田孝之の芝居は終始、抑えた感情の中に刻まれており、概して淡々と日常が描かれていくのみ。しかし、それを無駄なく、的確に積み上げることで、どれほどの厚みのある情感が生み出されるのか。テレビドラマのような長い時間をかけることなく、映画という限られた時間で、いや、限られた時間だからこその「省略」がいかにより繊細な日常を浮き上がらせるのか。それを証明している秀逸な手際の作品だといっていい。
父親は折々に仏前で妻に話しかける。保育士をご飯に誘ったことを弁解したりもする。ともすれば鼻白むひとり言だが、それが嫌みに映らない。むしろ心地よかったりする。山田孝之が放つ空気はもちろん、演出自体にも抑制があり、いたずらに観客の関心を欲しがらない。思えば、山田は仏頂面の闇金業者を演じたり、下着一枚のAV監督役で打って出たりするなど、「突飛系の役者」という印象がある。その正反対に位置する父親像はそれだけで見る側の感情を募らせているのかもしれない。演出側に目を転じるなら、飯塚健こそ喜劇作品を中心に、山田以上に観客の心をにぎやかに鼓舞することに注力してきた監督ではなかったか。それが一転したこの作品では、ドラマの底辺で流れているであろう感情をただ見つめる姿勢に徹している。転向、というより、そんな過去作品での経験があってこその至芸ともいうべきか。両者共に、これまでの作品がやんちゃな青年期のそれとするなら、これは懐の深ささえ感じさせる大人の仕事になるのだろう。
いみじくも、父親は仕事の打ち合わせの席で「家族とは変わり続ける場所」とこぼす。10年という時間の流れは、どこにでもある風景を見せながら、絶えず変化する人生の鏡となっている。軸となるのはシングルファーザーの奮闘記だが、映画はそこから「シングルファーザーから見た景色」へ、さらに普遍的な「家族の物語」へと広がっていく。山田演じる父親はドラマの中心人物だが、どこか観察者的な役割も持っており、実際に涙を誘うのはその周囲の人々である。なかでも、國村隼が演じる義父の存在は心にしみるところで、クライマックスのエピソードのためにそれまでの静かな時間が組み立てられていたのかと思うほど。人は前を向き、後ろを振り返る。人は生き、人は死ぬ。幼子を抱えた父親の物語は、小さくて大きい。
意外なカメオ出演もある。父親が上司と食べに行く昼食のお店には、なぜかいつも中川大志が姿を見せるのだ。完全に遊び心だが、飯塚健がにじませたギリギリの喜劇のスパイスだろう。一方、山田は白髪まじりの姿も見せる。彼なりに抑えを効かせた、最大のはみ出し変化(へんげ)かもしれない。
この映画は、部屋の中の「壁」で始まり「壁」で終わる。一歩一歩、進むことで、壁=人生の年輪は広がり、どこまでも豊かに続く。その歩みに終わりはない。それをそっと気づかせてくれる優しい佳作である。
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(C)2017「恋妻家宮本」製作委員会
タイトル | 恋妻家宮本 |
製作年 | 2017年 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 117分 |
監督・脚本 | 遊川和彦 |
出演 | 阿部寛、天海祐希、菅野美穂、相武紗季、富司純子、工藤阿須加、早見あかり、奥貫薫、佐藤二朗、入江甚儀、佐津川愛美、浦上晟周、紺野彩夏、豊嶋花、渡辺真起子、関戸将志、柳ゆり菜 |
重松清文学の映像化は2000年代に入ってからコンスタントに続けられている。
映画化作品を眺めるなら、『ヒナゴン』(2005/渡邊孝好監督、井川遥出演)を皮切りに、『疾走』(2005/SABU監督、手越祐也出演)、『あおげば尊し』(2005/市川準監督、テリー伊藤出演)、短編集『愛妻日記』をもとにした諸作[『愛妻物語』(サトウトシキ監督、永井正子出演)、『饗宴』(緒方明監督、杉本哲太出演)、『ホワイトルーム』(斉藤久志監督、ともさと衣出演)、『童心』(富岡忠文監督、中原翔子出演)、『煙が目にしみる』(亀井亨監督、不二子、木下ほうか出演)、『ソースの小壜』(渡邉謙作監督、未向出演)](以上、2006)、『きみの友だち』(2008/廣木隆一監督、石橋杏奈出演)、『その日のまえに』(2008/大林宣彦監督、南原清隆、永作博美出演)、『青い鳥』(2008/中西健二監督、阿部寛出演)、『十字架』(2016五十嵐匠監督/小出恵介、木村文乃出演)、『恋妻家宮本』(2017/遊川和彦監督、阿部寛、天海祐希出演)、『幼な子われらに生まれ』(2017/三島有紀子監督、浅野忠信、田中麗奈出演)、『泣くな赤鬼』(2019/兼重淳監督、堤真一、柳楽優弥出演)などが過去にある。
人間ドラマ、喜劇、悲劇などのジャンルの差こそあれ、家族を中心に、悩める人間の日常を追いかけた作品が大半を占めており、胸に迫る瞬間が巧みに刻まれている。
テレビドラマでも引っ張りだことなっており、近年ではNHKとTBS系で放送された『とんび』(NHKが2011、TBS系が2013)が印象深いだろうか。これまた、妻を失った父親が子ども(息子)を育てる物語で、NHK版では堤真一と池松壮亮が、TBS版では内野聖陽と佐藤健が親子を演じた。前者では1962年以降の高度成長期が、後者では1972年以降がドラマの背景になっているが、親が子を思う熱情の深さは変わらず、多くの視聴者の涙を振り絞った。『ステップ』(2020)の予習、復習にピッタリである。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。
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その日のまえに / 恋妻家宮本 / 幼な子われらに生まれ / 泣くな赤鬼