特集・コラム
映画のとびら
2020年9月25日
甘いお酒でうがい|映画のとびら #077
お笑い芸人のシソンヌじろうが持ちネタの人気キャラクター「川嶋佳子」名義で発表した同名小説を、じろう自身の脚色により映画化。原作同様、日記形式の構成で、とある40代独身OLの日常をほのぼのとつづっていく。監督は『勝手にふるえてろ』(2017)の大九(おおく)明子。脚本担当・じろうとは『美人が婚活してみたら』(2019)に続くタッグとなった。
ファーストシーン。主人公の足下の描写から始まる。玄関から一旦、外に出るも、その足は別のパンプスを選び直し、それを終えると再び外へ向かう。アパートの自転車置き場に来ると、足下から映像は転じ、サドルをポンポンと軽くたたく主人公の手を映し出す。続いて、彼女のモノローグが重なる。「これは私の日記。誰が読むわけでもなく、自分が読み返すわけでもない。ただの日記」。そして、題名よろしく、お酒でうがいをする場面が首筋のアップとともに登場する。彼女のクセ、ということだろう。
ひとり暮らしのOL・川嶋佳子(松雪泰子)の生活は、2019年3月20日を起点に、そこから1年5カ月にわたって短いエピソードが淡々と重ねられていく。5月9日に「鏡に映る私と、他人の目に映る私って、同じなのかな。小さい頃からの疑問」とつぶやけば、5月26日には「(街頭で)女性にしかティッシュを配らない人が、なんで私に配らないのか知りたい」と愚痴をこぼす。6月19日には後日、大親友になっていく年下の同僚“若林ちゃん”(黒木華)が登場。「嫌いじゃない図々しさ」と彼女を評すると、徐々にオフィスでの情景も追加され、会食の場でのガールズ・トークもスタート。その若林ちゃんから11月26日に紹介されたのが、若林ちゃんの大学時代の後輩で自分より二回りも年下の岡本(清水尋也)だった。やがて3人で交流を重ねるうちに、佳子の中で岡本への気持ちが本物になっていく。
特になんということのない女性の日常や習慣がモノローグとともに展開する物語は、劇的な高まりを迎えることはなく、終始、軽いタッチでスケッチされるのみ。感情の激しい浮き沈みや恐ろしい事件などを期待する向きには、もしかしたら物足りない部分があるかもしれない。やや視界の狭い導入部に居心地の悪さを覚えるかもしれない。しかし、最初の30分ほどで作品のテンポ感に馴れ、語り口の妙味に歩調が合わせられたら、その後のヒロインに興味をそがれることはほぼないだろう。独り言しかなかったような佳子の日常が同僚とその後輩によって静かに色づき、温もりを得ていく過程は、ただただ微笑ましく、楽しい。
例によって女性心理のひだを巧みにすくい上げる大九明子の演出は好調で、自身と身の丈が近い40代OLを中心に据えた作品にあっても、これまでの若い女性たちの物語同様に、いや、もしかしたら自身の世代に近いからこそ、いつも以上の余裕をもって、その肖像を刻むことに成功しているかもしれない。ある意味、細部の仕草に目が行きすぎている「女性観察」のドラマが、いつの間にかその内面へ観客の興味を惹きつけ、中盤以降はヒロインとの距離をほぼゼロにしてしまっているあたりはさすがである。そこににじむのは、主人公への共感や同情というより、応援に近い感情だろう。お酒でうがいをするという世にも奇妙なクセを持つOLは、物語のヒロインではあっても、人生の主役にはならない。主役になろうとも思っていない。そんな、ある種の諦めにも似た慎ましさが我々に親近感を抱かせる。無理のないエールを招く。
さえないOLにしてはどう考えても容姿が整いすぎている松雪泰子は、とはいえ40代のひとり暮らし女性を等身大の雰囲気を漂わせながら品よく演じており、穏やかなたたずまいの中にも、ほどよく心の機微をのぞかせて作品の朴訥としたトーンを損なわない。対して、若林ちゃん役の黒木華は表情豊かに松雪の周囲をめぐり、そのささやかな日常を明るく弾ませる。この作品の喜劇的要因を探すなら、間違いなくそれは黒木であり、ある意味、この作品最大の宝になった。劇中、登場を重ねるごとに目が離せなくなるが、とりわけ12月16日のシーン、彼女がカラオケで森高千里のヒット曲《私がオバサンになっても》を歌って見せるダサかわいい振付には、もはや笑いすら軽く飛び越えた魅力が爆発して、男女を問わず卒倒すること間違いなし。これほど愛らしく楽しい黒木華はこれまでいなかった。こんな黒木を脇の要所に配し、その持ち味を最大限に発揮させた監督もいなかった。そんな最高の女優体験が味わえるのもこの作品の美徳である。
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(C) 2017 映画「勝手にふるえてろ」製作委員会
タイトル | 勝手にふるえてろ |
製作年 | 2017年 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 117分 |
監督 | 大九明子 |
出演 | 松岡茉優、渡辺大知、石橋杏奈、北村匠海、趣里、前野朋哉、古舘寛治、片桐はいり |
一時は億田明子名義でピン芸人もやっていた大九明子は、映画美学校で学んだ後、自ら主演する短編『意外と死なない』(1999)で監督デビュー。続く、新垣結衣の初主演映画『恋するマドリ』(2007)で商業長編映画に進出している。その後、谷村美月主演の『東京無印女子物語』(2012)、百田尚樹原作、高岡早紀主演の『モンスター』(2013)、優希美青、足立梨花主演の『でーれーガールズ』(2015)、黒川芽以主演の『美人が婚活してみたら』(2019)など、女性主人公の物語を主に発表してきた。
コンスタントに佳作を撮ってきた人だが、中でも注目されたのは綿矢りさ原作、松岡茉優主演の『勝手にふるえてろ』(2017)だろう。経理部に勤める若いOLの日常を描いたこの作品は、やはり主人公のモノローグとともに、さえない生活からの脱出→新しい恋の獲得までを追ったもの。ただし、松岡演じる24歳のヒロイン、ヨシカがパワフルかつ激しい七転八倒を見せるあたりは『甘いお酒でうがい』(2020)と対照的であり、原作者が男女異なる部分も含め、比較して楽しみたい一本になっている。
新作に、綿矢りさ原作、のん主演の恋愛喜劇『私をくいとめて』(2020)が待機中。今年52歳。日本のヒロイン映画を牽引する存在としてこれからも目を離したくない監督のひとりである。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。
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