特集・コラム
映画のとびら
2020年10月16日
みをつくし料理帖|映画のとびら #082
累計発行部数が400万部を超える高田郁による同名ベストセラー時代小説を映画化。1~3巻の物語をもとに、上方出身の年若い女性料理人が送る江戸でのけなげな日々を情感豊かに描いていく。原作に惚れ込み、文庫発売時に書店を回ってプロモーションに努めただけでなく、ドラマ化、映画化への道も模索してきた角川春樹が自ら「最後の監督作品」とかかげ、映像化の決定版ともいうべき至高のわざを成し遂げた。
文化9年の江戸に物語は始まる。10年前、大坂で大洪水に遭遇し、孤児となった澪(松本穂香)は、今は江戸の蕎麦処「つる家」で、当時は珍しい女料理人として働いていた。当初は、薄口の関西風味に江戸庶民から不興を買っていたが、澪の腕を見込んだ「つる家」の主人・種市(石坂浩二)や常連客の御膳奉行・小松原(窪塚洋介)、町医者の永田(小関裕太)らに勇気づけられ、苦心の末、上方と江戸、両方の長所を備えた出汁を完成。江戸中の評判をとる。そんなある日、遊郭・扇屋で料理番をしている男・又次(中村獅童)が澪を訪ねてきた。聞けば、上方出身の「ある方」のために茶碗蒸しを持ち帰りたいとのこと。やがて、澪はその「ある方」が世間から「幻の花魁(おいらん)」と呼ばれる「あさひ太夫(たゆう)」にして、洪水以来、消息を絶っていた幼なじみの親友・野江(奈緒)であることを知る。
作品をカテゴライズするなら、人情時代劇ということになる。確かに、人の情をめぐる抒情感においては遜色なく、とりわけ太い基軸を成すのは澪と野江の友情劇。世間に顔出しができない吉原の高級花魁と町中の料理人では世界の隔たりが大きく、幼少期に生き別れた彼女たちがいかにして障壁を乗り越え、互いの情を交わすのか。原作ファンもきっと驚く大胆なラストに向かって、丹念に描写が積み上げられていく。
もちろん、友情劇だけが「人情」の場ではない。主人公が働く蕎麦処に通う客、彼女を支える長屋の仲間らとのコミカルなやりとりは、時代劇ならではの庶民感情をにじませて、澪が遭遇する苦難にほどよい温もりをくゆらせる。刃傷沙汰が起きかけても、侍同士の斬り合いなどない。女性読者を意識して創作され、後押しされてきた原作のエッセンスを、最大の理解者が壊すはずなどなかった。
お話だけを切り取れば、ある意味、何の変哲もない定番の時代劇であり、友情物語であろう。では、真にこの映画の個性を屹立(きつりつ)させている要素はないかといえば、角川春樹の演出、これに尽きる。
カメラワークは基本的にフィックス(固定)か穏やかなズーミング、それにレールを使った横移動程度。手持ちのカメラで短絡的な臨場感や扇情的仕掛けをねらうことはない。短いショットを積み上げるような慌ただしいモンタージュもなければ、登場人物の表情をアップで追いかけ回すこともない。引き画(ひきえ)の美徳、美観をわきまえ、熟知した映像が中心となって、気品と詩情を無理なく立ち上らせていく。無駄を省いたワンショット、ワンシーンがいちいち機能的かつ端正で、これまでの監督作品7本がすべてこの映画のための習作だったのではないかと思うほど、その簡潔さ、深みにおいて、至芸の域に達している。
簡潔といえば、台詞にも耳を傾けなければいけない。映像面同様、これほど説明的な台詞、余計な無駄口を省いた映画もなかなかないのではないか。必要十分な「ことば」しかない。それが名調子で刻まれる。これまた、俳人としての角川春樹の面目躍如たる至芸だろう。2時間という映画の尺を心得ている。テーマとそれに伴う必要な要素を、いかに急くことなく、効率よく映像に込めていくか。それがわかっている。
観客によっては一見、何でもない平易で淡泊な作品に映るかもしれない。現代の長編映画の大半が説明を添えるようにわかりやすく作られていることを思えば、この映画はそれらが省かれている分、相応の読解力を求めている節がある。平たく言えば、観客にこびていない。くどくどしゃべらない。ある意味、イマドキのメディアに対するアンチテーゼを含んでいるともいえるだろう。ぱっと見、サービスの少ないあっさり風味。しかし、その実、人間ドラマのコクが奥底に潜む「あわせ出汁」の作品。現代の映画にあふれる雑味や灰汁(あく)が丁寧に、絶妙に取り除かれた、透きとおるような「映画の出汁」がここにある。
時代劇という枠の中に収められているとはいえ、きちんと青春映画になっているあたりも実に角川春樹作品らしい。さらに言うなら、アイドル映画。角川春樹は女優に慧眼を持つ映画人である。かつて薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子らを輩出したように、今回も松本穂香、奈緒という当代注目の若手を主演に抜擢し、鮮やかに世に問うた。角川春樹はこのふたりの女優に自信を持っている。その自信がまた、まぶしい。
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(C)KADOKAWA 1982
タイトル | 汚れた英雄 |
製作年 | 1982年 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 112分 |
監督 | 角川春樹 |
出演 | 草刈正雄、レベッカ・ホールデン、勝野洋、奥田瑛二、浅野温子 |
角川春樹が映画人として世に登場したのは1976年10月16日、映画『犬神家の一族』を「角川春樹事務所製作第一回作品」として発表したときである。当時は、映画は映画会社が作るもの、一介の出版社の人間が全国ロードショーの大作をプロデュースするとは考えられない「事件」だった。
正確には、横溝正史小説を映画化するという動きを1970年代初頭には始めており、まず同作家の文庫化運動なるものを全国の書店に対して働きかけた。このあたり、高田郁とその著作『みをつくし料理帖』のプロモーション活動と通じるものがあり、出版人にして映画人でもある角川春樹の特質が垣間見える。
結果として『犬神家の一族』(1976)は大ヒットとなり、続くプロデュース作品『人間の証明』(1977)、『野性の証明』(1978)も次々に成功を収める。『人間の証明』の劇場公開前に流布された「読んでから見るか、見てから読むか」という宣伝コピーは刺激的な流行語として依然、記憶に生々しい。
角川春樹の映画監督デビューは、草刈正雄主演の『汚れた英雄』(1982)において。バイクレースの迫力を第一にし、台詞を大胆に刈り込んだ演出は、最新作の演出の萌芽といってもいい。
第2作『愛情物語』(1984)は青春ミュージカル。原田知世のアイドル映画でもある。続く『キャバレー』(1986)は野村宏伸がサックス奏者を演じた青春映画。これも一種のアイドル映画ではある。野村は『みをつくし料理帖』で「つる家」の常連客に扮している。
第4作『天と地と』(1990)は川中島の戦いをカナダでの長期ロケで描いた時代劇大作。上杉謙信役には当初、渡辺謙の出演が発表されていたが、渡辺の白血病罹患が明らかになり、榎木孝明が代役を務めた。その榎木も『みをつくし料理帖』では小松原の上役・駒沢弥三郎役で出演している。
第5作『REX 恐竜物語』(1993)は安達祐実を主役に少女と恐竜の交流を描いた家族向けファンタジー。第6作『時をかける少女』(1997)は大林宣彦監督作品をモノクロ映像でリメイクした青春ファンタジー。松任谷由実が大林版で発表した主題歌を自らリメイクしたことでも話題になった。
第7作『笑う警官』(2009)は大森南朋の主演で描いた刑事サスペンス。大胆な引き画の連続は、今思うと『みをつくし料理帖』への布石だったのかもしれない。
映画『みをつくし料理帖』には角川春樹がこれまでプロデュース、もしくは監督を務めた作品の出演者が数多く集まっている。先述の野村宏伸、榎木孝明のほか、『犬神家の一族』からは石坂浩二、『男たちの大和/YAMATO』(2005)からは中村獅童、松山ケンイチ、『蒼き狼 地果て海尽きるまで』(2007)からは反町隆史、若村麻由美、『スローなブギにしてくれ』(1981)からは浅野温子、『野性の証明』からは薬師丸ひろ子、『伊賀忍法帖』(1982)からは渡辺典子、『悪霊島』(1981)から鹿賀丈史、『復活の日』(1980)や『黒いドレスの女』(1987)から永島敏行などなど、画面の隅々に豪華な面々がひしめいている。さしずめ、角川映画の俳優博覧会といった趣向。目にも舌にも楽しい「惣菜」がいっぱいなのだ。もちろん、出演者クレジットには角川春樹の名前も刻まれている。自作で常にカメオ出演を果たしている角川春樹だが、今回はどこに映っているのか、目をこらして探してみるのも一興だろう。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。