特集・コラム
映画のとびら
2020年11月27日
天外者|映画のとびら #090
題名の「天外者(てんがらもん)」とは、鹿児島弁で「すさまじい才能の持ち主」の意。そんな称号にふさわしい人物としてここで描かれるのが、五代友厚(1836-1885)である。薩摩藩の上級武士の家に生まれ、維新後、中央官僚から実業家へと転身して大阪経済を復興させた男。そのタイトルロールを任されたのは、これが最後の映画主演作となった三浦春馬。『化粧師 kewaishi』(2001)、『火天の城』(2009)、『利休にたずねよ』(2013)の田中光敏が監督を務めている。
物語は1857年の長崎から始まる。長崎海軍伝習所へ派遣されていた五代才助(後の五代友厚/三浦春馬)は、若くしてすでに商才にすぐれ、新貨幣をつくる提案をするなど、勝海舟らを感嘆させていた。藩主・島津斉彬(榎木孝明)や異母兄弟の島津久光(徳重聡)にも信頼が厚く、長崎の武器商人のグラバーとも懇意となっていくと、やがて上海、イギリス、ベルギーなどを歴訪。土佐藩脱藩・坂本龍馬(三浦翔平)、土佐藩士にして後の三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎(西川貴教)、長州藩士・伊藤利助(後の初代内閣総理大臣・伊藤博文/森永悠希)らと切磋琢磨し、日本の新しい夜明けを陰に日向に導いていくのだった。
五代友厚といえば、NHK連続テレビ小説『あさが来た』(2015-2016)でディーン・フジオカが演じたことにより、その名を知った向きも多いだろう。ただし、今回の映画はそれ以上に伝記映画という折り目から遠く、むしろ評伝であり、さらにいえば五代友厚という傑物の魂をめぐるドラマだとするべきか。史実を元にしている部分はもちろん多いが、フィクションの描写も少なくなく、足跡が編年体形式でつぶさに刻まれているわけではない。したがって、五代友厚の立身出世や功績を学ぶにはある意味、不向きの作品ともいえ、事前に彼の来歴、沿革を予習しておく方が事態を呑み込める箇所も多いのではないか。一方で、何も知らずとも、情熱面における彼のありし日を感じるには十分かつ新鮮すぎる全力疾走の力作であった。
フィクションの部分でいえば、坂本龍馬、岩崎弥太郎、伊藤博文との交流劇が目新しい。グラバーを基点に考えれば、それぞれが個々に交わったのは確かだろうが、この映画ではなんと4人がともに鍋を囲む場面もある。想像すらかなわない情景なのだが、思えばいずれも商人、もしくは経済に敏感な人物。後の日本史を考えれば、一種の縮図として意味は浅くなく、この映画の野心的かつ象徴的な描写ともいえる。そもそも、藩や志士の分け隔てなく、海外経験も豊富だった五代友厚は誰よりも早熟のコスモポリタンであった。
芸子・はる(森川葵)との悲恋も多分に映画用の創作をはらんでいるだろう。しかし、これまた五代の人間性を示すには非常にわかりやすい指針となっており、単なる「そろばんの人」に終わらせない。やはり、歴史のプロセスよりもロマンを優先させた作品なのである。
ロマンという部分では最大の功労者を忘れてはならない。三浦春馬である。数字に強いことから利発なイメージが先行している五代友厚だが、ここでの彼はまさにそれとは正反対。一本気で熱血漢。興奮すると相手に目をむいて声を大にする。人を斬ることをよしとしないが、いざとなれば鮮やかな剣豪ぶりも見せる。それも北辰一刀流の免許皆伝・坂本龍馬よりも見事に。その新しさは、そのまま三浦春馬の印象に当てはまるだろう。かつてこれほどたくましく、精悍(せいかん)な顔つきを見せる俳優・三浦春馬はいただろうか。どんな幕末の志士よりも熱く、時代を駆け抜けた真摯の人として描かれた五代友厚はまさに彼自身であった。思い半ばにして世を去ったふたりの「天外者」は、時代を超えてまぶしく結びついている。
たくましさ、美しさを果たしているという点では三浦翔平の豪快なる坂本龍馬も拾いもの。西川貴教の岩崎弥太郎はちょっと風体も似ている? 森永悠希の伊藤博文はコメディーリリーフとしても機能した。森川葵のはるは可憐であり、蓮佛美沙子は豊子(五代友厚の妻)を凜と演じきった。彼らの顔ぶれをもって、一種の青春映画としてこれをとらえるのも悪くない。そんなすがすがしさもこの映画にはある。
五代友厚は言い残した。「地位か名誉か金か。いや、大切なのは目的だ」と。あらゆる意味で幕末同様、風雲急を告げる現代、夢を求めて歩みを重ねた五代友厚の生き方はどこまでも刺激的だ。
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(C)2013「利休にたずねよ」製作委員会
タイトル | 利休にたずねよ |
製作年 | 2013年 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 124分 |
監督 | 田中光敏 |
出演 | 市川海老蔵、中谷美紀、市川團十郎、伊勢谷友介、大森南朋、成海璃子、福士誠治、クララ、川野直輝、袴田吉彦、黒谷友香、檀れい、大谷直子、柄本明 |
五代友厚をめぐる「業績よりも志」「史実よりも情」のごとき独特の語り口の志向性は、田中光敏という演出家の作家性を見渡せば、かなり理解しやすい。
CM制作を経て、2001年、椎名桔平主演の『化粧師 kewaishi』で映画監督デビュー。とある秘密を持った大正期のメイクアップマンを描いた同作からして、まさに「人の情」を第一とした作風であった。第14回東京国際映画祭では最優秀脚本賞を受賞している。
続く内田朝陽主演の『精霊流し』(2003)は、さだまさしの小説を映画化した人間ドラマ。「母と子」をめぐるドラマだが、こちらも心に刺さる秘密が物語にめぐらされており、映画の終盤、内田が松坂慶子演じる叔母の髪を洗うシーンなどに涙を流す観客は少なくない。
時代劇大作『火天の城』(2009)は、安土城建築に尽力した宮大工(西田敏行)を描くもの。ダイナミックな描写も多いが、城の危機に直面するクライマックスでは仲間のきずなが感動を呼ぶ。
『火天の城』と同じく山本兼一小説の映画化となった市川海老蔵主演の『利休にたずねよ』(2013)は、利休の若き時代に大胆に迫った野心作。利休の足跡も描かれるが、彼には隠された恋があったとするフィクション描写が鮮やかで、その情熱に創作の根源があったとする仕掛けがとられた。ある意味、『天外者』に似た映画的解釈ともいえ、『天外者』同様、小松江里子が脚本を担っている。
小松江里子という脚本パートナーとは、以後の『サクラサク』(2014)、『海難1890』(2015)でも関係が続いており、前者ではアルツハイマーに罹患した父とその家族の交流が、後者では1890年に起きた「エルトゥールル号海難事故」をめぐる日本とトルコ、ふたつの国の友好が描かれた。やはり、人の思いが病気も国境も越えるという意思が貫かれていて心地よいほどであった。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。