特集・コラム
映画のとびら
2021年3月19日
騙し絵の牙|映画のとびら #107
『罪の声』(2020)の原作者・塩田武士が大泉洋を念頭に書き上げた同名小説を大泉自身の主演で映画化した痛快ミステリー。とある出版社の跡目争いを背景に、大胆な雑誌改革を進める敏腕編集者と、新人発掘に情熱を燃やす若き編集者の奮闘が描かれる。敏腕雑誌編集者に大泉洋、その配下の若き編集者に松岡茉優。監督は『桐島、部活やめるってよ』(2012)、『紙の月』(2014)の吉田大八。
大手出版社「薫風社(くんぷうしゃ)」の社長・伊庭(山本學)が散歩中に急死した。伊庭の令息(中村倫也)の後見人でもある保守派の常務・宮藤(佐野史郎)を尻目に、新社長に選ばれた改革派の専務・東松(佐藤浩市)は、これを契機に老舗の文芸誌『小説薫風』を含めた不良採算部署を次々にやり玉に挙げていく。廃刊の危機を迎えたカルチャー誌『トリニティ』では編集長に就いた速水(大泉洋)が誌面の大胆な刷新を断行。人気ファッションモデル・城島咲(池田エライザ)やイケメン新人作家・矢代聖(宮沢氷魚)に新しく連載を持たせるだけでなく、『小説薫風』の看板作家・二階堂大作(國村隼)まで担ぎ出そうとする。速水が二階堂を陥落させるために「利用」したのは小説好きの新人編集者・高野(松岡茉優)だった。もともと『小説薫風』の一員だった彼女はリストラ寸前のところを速水に拾われたわけだが、実は誰よりも早く矢代の才能に着目していた人間。自分を差し置いていつの間にか矢代を担ぎ出してきた速水の「速攻」にはただただ呆然。それならば、と、この20年間、消息を絶っているベストセラー作家・神座(かむくら)詠一を探し出して、その作品を手に入れようという新たな行動に躍り出る。一方、二階堂や矢代を引き抜かれた『小説薫風』の編集長・江波(木村佳乃)も速水の「横暴」に黙っていない。社の伝統を守ろうとする宮藤とともに、やがてあっと驚く反撃に転じるのだった。
会社の将来をめぐってさまざまな思惑と陰謀が渦巻く仕掛けはミステリーの色合いを大にするところで、跡目争いの部分だけを抜き出すと、まるで池井戸潤原作の『半沢直樹』(2013/2020)のごときシリアスドラマの様相。そんな「重さ」を大泉洋という「当て書き」された俳優が鮮やかに一掃する。腹案まみれの登場人物たちが見せる「だまし」をヒラリヒラリとさばき、かわしていくその姿は実に痛快。ラストのどんでん返しまで、肩をこらすことなく、とことんコメディー感覚で社内バトルの顛末が楽しめる。
大泉洋の配下を演じる松岡茉優もなかなかのコメディエンヌぶり。大泉の芝居を受け、あるいは跳ね返しながら、軽やかかつさわやかな笑いを全身で獲得している。大作家を演じる國村隼のやりすぎ扮装の一方で、佐藤浩市は腹に一物を抱えたトップを愚鈍なほど重厚に演じてバランスをとった。ちょっとだけ顔を見せる投資家役・斎藤工もいい薬味になっており、『トリニティ』の副編集長を演じる「我が家」坪倉由幸、高野の父親役・塚本晋也などといった面々が醸し出す空気も味わい深い。
込み入った物語を見事に操り、テンポよくつむいだ吉田大八の演出はさすがのひと言。コンゲーム(だまし合いのゲーム)という意味では、ジョージ・ロイ・ヒル監督の『スティング』(1973)あたりが有名だが、手数の多さではかなり健闘しているとしてよく、語り口も巧妙。あまたのくせ者を束ねつつ、クライマックスへ向けて娯楽性豊かにたたみかけてくる仕掛けに、よどみは全くない。
ゲームのドキドキとワクワクに全く終始するかといえばそうでもなく、映画は「出版不況」を見越した社内抗争劇を本軸としながら、その過程で本好きの若き編集者の決断を通じて、活字=書物という形態への愛惜をささやかに謳いあげる。出版の可能性、未来をめぐって刻まれる人間の情に「だまし」は必要ない。いや、まっすぐな思いこそ、時に最大の「だまし」ともなるというべきか。息もつかせぬだまし合いの果てに、ウソのない素直な心が突きつけられるスリル、じっくりと味わっていただきたい。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。