特集・コラム

映画のとびら

2021年3月19日

ミナリ|映画のとびら #106

#106
ミナリ
2021年3月19日公開


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『ミナリ』レビュー
控えめに言って、素晴らしい

 第93回(2020年度)アカデミー賞にて、作品、主演男優(スティーヴン・ユァン)、助演女優(ユン・ヨジョン)、脚本(リー・アイザック・チョン)、作曲(エミール・モッセリ)の6部門で候補となっている要注目の秀作。農場開拓に生活の発展をかける韓国系移民一家の姿を活写した人間ドラマ。ブラッド・ピット率いる映画製作会社「PLAN B」が製作に回り、ピット自身も製作総指揮として名を連ねている。幼少期の経験を脚本に反映し、自ら監督に当たったのは、ハリウッド版『君の名は。』の監督にも指名されているリー・アイザック・チョン(韓国名:チョン・イサク)。去る2月28日に発表された第78回ゴールデングローブ賞では外国語映画賞を受賞している。

 アメリカ南部に位置するアーカンソー州の片田舎へ、とある韓国系移民の一家が引っ越してきた。だだっ広い原っぱにトレーラーハウスのような横長の古い建物がポツリと置かれている。夫のジェイコブ(スティーヴン・ユァン)から「ここが家だ」と説明された妻のモニカ(ハン・イェリ)は「話が違う」と憤慨。家も家だったが、走ることもままならない心臓の弱い息子デヴィッド(アラン・キム)のことを考えると、病院が遠かった。これに対し、ジェイコブは「土がいいからここへ来たんだ」とお構いなし。10年もの間、カリフォルニアやシアトルで孵卵(ふらん)場の仕事を続けてうんざりしていた彼にとって、農業で成功することが大きな夢だったのだ。デヴィッドと長女のアン(ネイル・ケイト・チョー)は、森も広がる「庭」に楽しそうだったが、妻は「すぐに引っ越す」と不満が収まらない。実際、すぐに農業を専業とするわけにはいかず、夫婦はカリフォルニア時代と同様、最寄りの孵卵場へ出向き、ひよこの雄雌の鑑別を当面の生業(なりわい)とした。不満が続く妻に対し、ジェイコブは妻の母スンジャ(ユン・ヨジョン)を韓国から呼び寄せることで一旦、手打ちとする。やがて一家のもとに現れたスンジャは、言葉は汚く、文字も読めず、料理もできない人だった。唯一の特技は花札。はじめは祖母を「臭い」と言って嫌がったデヴィッドも、韓国から持ってきたミナリ(セリのこと)の種を小川のほとりに植え、病気におびえるデヴィッドを優しく励まし、さらに花札遊びも教えてくれるスンジャに、徐々に心を開いていく。一方、ジェイコブは井戸を掘り、朝鮮戦争に参戦した経験があるというポール(ウィル・パットン)を手伝いに雇う。だが、本格化した野菜づくりにいいきざしが見え始めたとき、一家に思わぬ問題が起きていく。

 台詞の中にさりげなくレーガン大統領の名前が出てくる。そう、物語では劇中、特に年代を指定していないが、1980年代半ばであることをうかがわせて進む。毎年3万人の韓国人が移住してきていたというレーガン政権時、その一方では国内の農家や農業の苦境が浮き彫りにされており、彼らの生き残りをかけた闘いが確かにあった。映画『ミナリ』(2020)の描写は当時を反映した貴重な記録の一片ともいえ、たとえば当時、一斉に劇場公開された「農業映画」たち、具体的にはメル・ギブソン、シシー・スペイセク主演の『ザ・リバー』(1984)、ジェシカ・ラング、サム・シェパード主演の『カントリー』(1984)、サリー・フィールド、ジョン・マルコヴィッチ主演の『プレイス・イン・ザ・ハート』(1984)などと比較して眺めるのも面白いだろう。もちろん、トランプ政権の反動として、この趣向の映画が製作されたと考えるのも悪くない。そんな現実感もこの映画の骨格を成している。

 映画は7歳になる長男の顔から始まっており、先述のとおり、監督自身の経験がそこに重ねられている。「幼少期の情景」は映画にとって最高の題材のひとつであり、監督の記憶を登場人物に反映させた例としてイングマール・ベルイマンの『ファニーとアレクサンデル』(1982)、ホウ・シャオシェンの(ちょっと主人公の年齢が上になるけど)『童年往事 時の流れ』(1985)、ジョン・ブアマンの『戦場の小さな天使たち』(1987)、イヴ・ロベールの二部作『プロヴァンス物語/マルセルの夏』(1990)、『プロヴァンス物語/マルセルのお城』(1990)などの傑作が並ぶが、その延長上にこの作品もあると考えていい。デヴィッドの無垢な視点がどんな恥辱も苦境もまぶしい思い出に変える。一種の「幸せな日々への憧憬」を描いた作品であり、描写がいちいちみずみずしく、鑑賞後の後味も清涼感しかない。「あの頃」の最高の瞬間がここには刻まれている。あたかも最初から約束されていたかのように。

 描写そのものは日常風景のスケッチに過ぎず、その積み重ねでしかない。度重なる夫婦げんか、それを止めようと子どもたちが折る紙飛行機、木の枝に吊り下げられて作られるブランコ、祖母と孫の懐柔、教会で知り合う少年とその一家の風景、家族の問題となる持病、そして、どうしても治らないおねしょ。それらが単なる郷愁への甘えに終わるのではなく、むしろあっさりとしたショットの連続でしかないことに驚かされるだろう。この監督は感傷を観客に押しつけない。問題意識を声高に叫ばない。

 昨今の作品なら、事件を山場に描いたとしても、それを解決に導く場面、さらに続くエピローグ的な部分を15~20分ほど用意するだろう。ところが、この映画は劇中最大の事件を残り15分ほどで発生させ、エンド・クレジットを抜いた残り3分ほどしかエピローグの時間を用意しない。無駄口がないにもほどというものがある。あっけなく映る観客は多いだろう。もっと盛り上げてよとわめく向きもいるだろう。しかし、思えばそれも地味な劇中描写の果ての、ある意味で当然の帰結であり、仮に「もう終わり?」と感じたとしても、エンド・クレジットの最中、あるいはその後の時間の中で得も言われぬ感慨にジワジワととらわれるのではないか。ラストはあのわずかな数シーン、数ショットで十分だった。実に奇妙な、でも、どうにも得心するほかない特別な情感の現出。それが重賞レースで取り沙汰されている理由と真相でもある。

 大きな事件を派手に見せる作品、大号泣の感情揺さぶり系の映画を好む人間には強く勧められない。そういう娯楽映画的なサービス精神はこの映画にはないからだ。しかし、確かな情感表現、普遍的な絆の物語が、実に無理なく鮮やかにつむがれている点において、この映画を否定する言葉を探すのは難しい。控えめに言って、素晴らしい。リー・アイザック・チョンは一見、簡単そうに見えて、その実、だれにもマネできそうもない語り口、演出をサラリとやってのけた。「うまい」などというレベルではない。すごい。まったくすごくなく見えるのに。この才能に対する感心と感嘆の心持ちをどう表現したらいいのか。

 アカデミー賞の助演女優賞候補となっている祖母役ユン・ヨジョンは名役者だが、それ以上にこれはもうけ役。個人的には、農業の手伝いをするアメリカ人ポール役のウィル・パットンを称えておきたい。風変わりな慣習を披露するこの役には、最近になくパットンの個性と存在感が映えており、物語においても最高の薬味となっている。少なくとも、ロジャー・ドナルドソン監督作品『追いつめられて』(1987)における軍の高官にしてスパイ陰謀の発案者・スコット・プリチャード役以来の名演といっていい。

 2021年3月19日(金)全国ロードショー
原題:Minari / 製作年:2020年 / 製作国:アメリカ / 上映時間:116分 / 配給:ギャガ / 監督・脚本:リー・アイザック・チョン / 出演:スティーヴン・ユァン、ハン・イェリ、アラン・キム、ネイル・ケイト・チョー、ユン・ヨジョン、ウィル・パットン
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文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 


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