特集・コラム
映画のとびら
2021年3月26日
ノマドランド|映画のとびら #108
第93回(2020年度)アカデミー賞にて、作品、監督(クロエ・ジャオ)、脚色(クロエ・ジャオ)、主演女優(フランシス・マクドーマンド)、撮影(ジョシュア・ジェームズ・リチャーズ)、編集(クロエ・ジャオ)の6部門で候補となっている人間ドラマ。キャンピングカーに乗って、ひとり、アメリカの西部をさすらう60代女性の姿を切なくも優しく見つめ、第77回ヴェネチア国際映画祭で最高賞となる金獅子賞、第45回トロント国際映画祭で観客賞を受賞。去る2月28日に発表された第78回ゴールデングローブ賞でも、作品賞(ドラマ部門)と監督賞を獲得するなど、2020年度主要映画賞の覇者となっている感のある話題作。監督は、長編第2作となる前作『ザ・ライダー』(2017)で評価され、現在、アンジェリーナ・ジョリー主演のマーベル・シネマティック・ユニバース作品『エターナルズ』(2021)も任されている北京出身の女性監督クロエ・ジャオ。
2011年1月31日、業績悪化のため、USシプサム社がネバダ州の石こう採掘所を閉鎖した。これに伴い、企業城下町だったエンパイアの街も閉鎖され、同年7月には街から郵便番号も消失。ファーン(フランシス・マクドーマンド)も立ち退きを余儀なくされた住民のひとりだった。倉庫から必要なものを引き上げると、「先駆者」と名づけたキャンピングカーに乗って車上生活を開始。まずデザートローズへやってきた彼女は、Amazonの配送センターで短期の季節労働をこなし、その後、旅の途中で知り合ったリンダ・メイからノマド(放浪の民)の水先案内人ともいわれる人物ボブ・ウェルズの存在を聞き、一路、アリゾナ州の砂漠地帯クォーツサイトへと向かう。そこでウィルズを中心に開かれた集会はRTR(ラバー・トランプ・ランデヴー)と名付けられており、いわばノマド初心者の訓練所であった。ファーンは同地で余命幾ばくもない女性スワンキーに刺激を受け、息子夫婦と離れて旅を続けるデイヴ(デヴィッド・ストラザーン)とは後にバッドランズ公園での仕事を通じて一層、友情を深めることになる。そんなある日、キャンピングカーが故障。全く動かなくなってしまった車を見て「買い換えた方がいい」という修理業者に対し、ファーンは断固としてそれを拒絶するが、2,300ドルものお金が彼女の手元にあるはずもなかった。
ジャーナリストのジェシカ・ブルーダーによるノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(春秋社刊)が原作。何よりも、ノマドという存在が目に新しい。アメリカの格差社会の象徴とも評される彼らは、実際はどんな人々なのか。どんな意識の中で生活を送っているのか。リンダ・メイ、スワンキーら、本物の高齢者ノマドを出演者として交えた撮影は、見る人間によってはドキュドラマ的な気分すら放っており、創作とも記録映像とも割り切れない独特の空気感を物語に刻んだ。それは単なる社会問題の訴求以上に、より人間的な情感、詩情をあぶり出していて、生々しくも麗しい。
ボブ・ウェルズは言う。「この(ノマドの)生き方が好きなのは最後の“さよなら”がないからだ。“See you down the road(また道々で会おう)”と言うだけなのさ」。一方、75歳のスワンキーは「病院で死ぬのを待つのは嫌だ」と、現在の生活を説明する。そんな言葉の数々ににじむ実感。
ファーンは数年間の事務職、レジ係、5年に及ぶ代用教員を経て1年前に立ち退きを迫られたという設定。ギリギリまでエンパイアの街から離れなかった。そして、自らの意志でキャンピングカーでの車上生活を選んだ。バケツで排便する日常に向かった。彼女はノマドのコミュニティーで人々とふれあい、心を通わせるが、自らをノマドの一員ととらえていたのかどうか。明言はされない。かつての教え子に近況を聞かれれば、自身を「ハウスレス」とサラリと言ってのける。その平然とした態度。ここには、彼女自身が考える立ち位置とともに、彼女の生き方を見つめる我々観客の目線も問われているといえるだろうか。
ファーンを追う物語に悲壮感や哀れみを期待すると、肩透かしを食うだろう。実のところ、彼女は悲劇のヒロインではない。つらい経験をしても、自らを哀れむことはない。同情を求めることもない。むしろ、無表情ともいえるほど硬い表情を顔に刻み、それを崩さない。彼女を追う映像も劇的というより淡泊。その抑制が逆に見る者を引きつける。物語の行方に関心の目を向けさせる。
プロデュースも兼ねるフランシス・マクドーマンドは劇中、全く飾りっ気なし。ある種の無防備状態にあるといってよく、その体ひとつをまざまざとカメラの前にさらけ出す。撮影ではキャンピングカーに私物を持ち込み、Amazonでも従業員に交じって働いた。その気概にも観客はのまれる。
映画は、なぜファーンが頑なに「ハウスレス」の暮らしを続けようとするのか、その背景にある感情を徐々にあぶり出していく。答えまでにはたどりつかない。きれいな終劇感が待っているわけでもない。ひとつ明らかになるのは、彼女が内に秘めている意志の強さである。それが荒野でのさすらいを求めた。その感情の正体は映像のあり方に反して非常にロマンティックであり、この作品最大の美しさかもしれない。比較するには暴論かもしれないが、たとえばヴィム・ヴェンダースの『パリ、テキサス』(1984)における主人公トラヴィス(ハリー・ディーン・スタントン)の彷徨に近いのではないか。置かれた状況も設定も縁遠い両作品の主人公だが、失われた何かを求めて彼らは旅を続けている。まさに人生という旅である。
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タイトル | スリー・ビルボード (原題:Three Billboards Outside Ebbing, Missouri) |
製作年 | 2017年 |
製作国 | イギリス、アメリカ |
上映時間 | 115分 |
監督・脚本 | マーティン・マクドナー |
出演 | フランシス・マクドーマンド、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェル、アビー・コーニッシュ、ジョン・ホークス |
映画『ノマドランド』(2020)の主人公が旅の端々ににじませる「決意」は、そのままフランシス・マクドーマンドという女優の役者人生に通じている。
演劇出身の彼女が映画デビューを果たしたのは27歳のとき、ジョエル&イーサン・コーエン監督の『ブラッド・シンプル』(1984)において。後に夫となるジョエル・コーエンとは、その後も監督と女優の関係を続け、『ファーゴ』(1996)でアカデミー賞主演女優賞を受賞。
最近ではマーティン・マクドナー監督の『スリー・ビルボード』(2017)でもアカデミー賞主演女優賞を獲得しているが、シニカル喜劇、シリアスの差こそあれ、地に足のついた役どころでの評価が高い。実際、役に向き合う際の人物の掘り下げは定評があり、『ノマドランド』におけるノマドたちとの距離感においては、相手に女優だと認識させなかった。この人は演じる役をウソにしない。
一方で、明朗喜劇やサスペンス系の映画にも顔を出しており、わずかながらアクションやホラーのカテゴリーにも門外の人ではない。今となってはサム・ライミ監督とのホラー・コメディー『XYZマーダーズ』(1985)、『ダークマン』(1990)などは奇妙な出演歴に映る人もいるだろうか。いずれもコーエン兄弟とライミが友人だったことから出演がかなったわけだが、彼女ならではの俳優としての志向がそれぞれ現実離れした物語を本物にした、といえる。今こそ見直すべき作品かもしれない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。