特集・コラム
映画のとびら
2021年4月16日
SNS-少女たちの10日間-|映画のとびら #111
ネット上の児童虐待をテーマに制作されたチェコ発の異色ドキュメンタリー。監督はいずれもチェコ出身で、数々の記録映画で受賞歴を重ねてきているバーラ・ハリポヴァーとヴィート・クルサーク。クルサークがハリポヴァーを企画に誘う形で、共同演出の形をとっている。
広々としたスタジオに並ぶ、3室の異なる子ども部屋のセット。それぞれの部屋に入ったのは、オーディションで選ばれた小学生のような顔立ちの童顔女性たち。偽のSNSアカウントを与えられた彼女たちは、これから10日間、毎日12時から24時までの間、それぞれのアカウントに接触を試みてくる男たちとPCを通して交流をするのである。インターネット上で子どもたちがどれほどの虐待を受けているのか、その実態を検証するのが製作側の目的であった。テレザ、アネジュカ、サビナの3人には、それぞれミーシャ、ターニャ、ニキという仮名も与えられている。私物も一部、セットに持ち込まれた。全員が準備に追われる中、まずテレザの写真をSNS上に掲載してみると、5分で16人もの男から連絡が入った。インド人からは電話も入る。各種専門家の立ち会いのもと、3人は接触者たちに対してあいまいな対応を繰り返していくが、相手の男たちも性的興味の対象として遠慮のない言葉や画像をぶつけてくるのであった。
作中では、接触を求めてくる男たちの顔はボカされ、音声も変えられている。もっとも、目と口だけボカシ加工されていない。このあたりは演出的に秀逸で、顔がさらけ出される以上に欲情が浮かび上がる。実際、局部のアップ写真や自慰行為の動画も平気で送ってくるわけで、こうなるといくらボカシ処理をしても追いつかない。目をこらさなくたって、モノの形状が見える。「行為」がわかる。矢継ぎ早に飛んでくるそんな性欲のビーンボール、すさまじく気色悪い。奴らはすぐに見せたがる。すぐに性交渉のテーブルに「少女」をつかせようとする。「性獣」とは奴らのこと。病気どころではない。いいかげん、見ていて頭が痛くなってくる。この映画のレイティングが「R-15」(15歳以下の鑑賞不可)なのも致し方がない。
では、単なる性獣の実態のオンパレードに終わっているかといえばそうでもない。「検証」という枠組みに対してこの映画の製作陣は冷静といってよく、たとえば下劣な投稿映像の最中に専門家の解説を重ねたりする。「奴らは一見、小児性愛者と思われがちだが、小児性愛者は裸の写真に興味を持たない、子どもの世界に入り込みたいだけ」と。スタッフの顔見知りが接触してくるというハプニングで緊張感を高める一方、性目的ではない男性が現れた場合には追跡調査で証明して安心させる。そのバランス感覚。観客心理を見越した編集も悪くなく、状況によっては知識欲が満たされる部分もあるだろう。
チェコでのプレミア上映では客席から笑いも起きたとのことだが、それも当然。ある程度、性獣たちのやり口に馴れてくると、嫌悪感を超えて「つぎはどうやって口説くのか」という興味へと変わってくるのである。頭の中がソレしかない奴らはなんとか性的興奮を得ようと、被害者面したり甘言を繰り返したりで、もう必死。「裸を見せてくれないと苦しい!」「服を脱いで! かわいい! 見せて、お尻だけでも!」「一緒に住もう。学校も探してあげる!」「オシッコが欲しい! それも温かいのが」。若い奴らばかりじゃない。中年を過ぎたような男までもが「今“(アレを)磨いて“いるよ」と言ってのける。あまりに見下げ果てた発言の数々は、もはやプチ大喜利状態。変態も度を過ぎるとお笑いである。
もちろん、笑いがこぼれたからといって、総計2,458匹の性獣たちの脅迫行為は決して許されるものではない。その意味では、これは告発映画でもある。製作陣が検証の果てに起こした行動は倫理的に正しい。しかし、それを疑問視する向きもあるだろう。作品と現実の境界線をどう引けばいいのか。その問題をあらためて考えさせてくれる作品ともいえる。
さても、どの国のどの町で起きてもおかしくないネット社会の問題を描いた作品だが、舞台となったチェコについてひと言加えるなら、社会主義時代の古い町並みが残る美しい国。食べ物では、ビールの美味しさはドイツやベルギーと肩を並べるほど格別。観光に値する場所だということを付け加えておきたい。
公式サイトはこちら
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。