特集・コラム
映画のとびら
2021年4月23日
大綱引の恋|映画のとびら #113
鹿児島は薩摩川内(せんだい)市の伝統行事「川内大綱引」をめぐる人々の絆と交流を描いた感動作。3年に及ぶシナリオ・ハンティング、ロケーション・ハンティングの末、2019年秋にオール鹿児島ロケを敢行。実話のエピソードを織り交ぜながら、心温まるオリジナル・ストーリーを完成させた。主演は『ダンス ウィズ ミー』(2019)の三浦貴大。監督は『半落ち』(2004)、『ツレがうつになりまして。』(2011)などの佳作で知られる佐々部清(1958-2020)。これが遺作となった。
令和元年6月。今年も「川内大綱引」の準備が始められようとしていた。川内の人々にとって、それは中秋の慣例というだけでなく、400年以上の歴史を持つ地域の心のよりどころ。特に、太鼓の打ち鳴らしで綱引の号令をかける「一番太鼓」は行事の花形であり、川内の男にとって憧れの役割であった。かつて一番太鼓をたたいていた鳶(とび)の親方を父に持つ武志(三浦貴大)にとっても、一番太鼓への思いは幼いころから変わらない。しかし、東京での生活に失敗し、35歳にもなって地元へ出戻ってきたような息子に、父・寛志(西田聖志郎)は一番太鼓を任せる気にはならず、武志にしても自分には一番太鼓はまだ遠いものと思い込んでいた。そんなある日、母・文子(石野真子)が突如、主婦業引退を宣言するという一大事が発生。妹の敦子(比嘉愛未)は、敵方の有力人材で中学時代の同級生だった福元(中村優一)となんだか怪しい様子。自分も家族も揺れる中、武志は離島の下甑島(しもこしきしま)で研修医を務めている韓国人女性ヨ・ジヒョン(知英)とひょんなことで知り合い、徐々に結婚を意識していくのだった。
鹿児島出身の俳優・西田聖志郎が川内市民から大綱引を題材にした映画の提案を受け、懇意の映画監督・佐々部清にこれを依頼。西田、佐々部両人のお眼鏡にかなった三浦貴大を主演に迎えて完成に至ったこの作品。いわば一種の「ご当地映画」となるわけだが、そこは佐々部作品、単なる観光映画に終わっていない。たとえば、とある家族を中心にした物語として物語の軸が形成されていること。佐々部作品は往々にして群像劇の側面を持っており、その最小単位が家族、もしくは疑似家族となることが多い。今回の場合、鳶職の会社を経営する一家(有馬家)がドラマの基盤で、その家庭で起きる問題で物語が広がり、収束するという形がとられた。薩摩川内の設定だが、起きる問題、事件は普遍的で一般性が高く、特殊性が極めて小さい。結果、どんな観客にも無理なく飛び込めるキャンバスが広がり、登場人物に共感が募る。主人公の武志に関していえば、東京で会社が倒産した後、地元に戻ったものの、どうも人生に宛てがない。それが、父親との葛藤、韓国人の研修医との恋、母親の秘密などで揺さぶられた後、大綱引で自身の明日を賭けることになる。バロック音楽でいうところの通奏低音に当たるのが大綱引であり、無理に前面に押し出さないことで逆にドラマ部分を血肉にして太い幹を屹立させていく。泣き、笑いをほどよく絡めながら、いつの間にか、恐らく観客さえ気づかぬうちに、最終的にご当地映画の使命を果たしているわけである。うまい。
演出としても正攻法で、変に凝った映像演出なども、もちろんない。カットは割っても、細かいカットの積み重ねなどない。波風を立てるのは俳優たちが奏でるドラマ部分であり、映像ではない。波風といっても殺人や殺陣があるわけでもない。そんなホームドラマに特化した日常演出の姿勢は現代においては古びた仕掛けに映るかもしれないが、同時に往年の日本映画の伝統に接する気分もある。人間ドラマをきちんと正視すること、受け止めること。主人公とその周辺の人たちがほんの半歩だけ人生で成長する喜び、穏やかな変化をとげる哀感。佐々部演出はここでも変わらず優しい。それでいてりりしい。
題名では「恋」の文字が刻まれているが、ラブストーリーと断じるには照れがある。もちろん、主人公と研修医、あるいは主人公の妹と主人公の元同級生、それぞれの恋模様はあっても、やはりそれは物語の「人間模様」を埋めるパーツであって、すべてではない。個人というより、個々の物語、すなわち群像劇の気分が強い。だから、「恋」というより「思い」の作品、とするべきだろう。思いが募って恋になる。思いが通って情になる。あるのは、シンプルな出会いと別れの物語。基本的な人生の風景がここにはある。
クライマックス、大綱引の場面。実際に地元川内で行事を再現しての撮影だったとのことだが、その臨場感は見栄えだけによるものではない。明らかにそこに至るまでのドラマが積み重なっての迫力、情熱であった。佐々部作品『八重子のハミング』(2016)で見事な主演ぶりを見せた升毅による「実況」のもと、三浦貴大が太鼓を乱れ打つ。交錯する登場人物たちのかけ声、熱狂。なんという健康的なダイナミズム。なんという王道の美しさ。いつの間にか、拳に力が入る。涙が誘われる。良心的なるものの美しさを、佐々部清は最後まで正面から、全身全霊をかけて現代の観客に謳い上げてくれた。
©︎2020映画「大綱引の恋」フィルムパートナーズ
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(C)「六月燈の三姉妹」製作委員会
タイトル | 六月燈の三姉妹 |
製作年 | 2013年 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 105分 |
監督 | 佐々部清 |
出演 | 吹石一恵、吉田羊、徳永えり、津田寛治、西田聖志郎 |
和泉聖治、杉田成道、市川崑、降旗康男らの人気監督のもとで助監督を務めた後、西田敏行主演の映画『陽はまた昇る』(2002)で監督デビュー。このとき44歳。映画監督としては遅咲きのスタートとなった佐々部清は、20年近い助監督生活を送ったからこそ、骨組みの確かな人間ドラマを処女作から作り上げることができたといえる。デビュー作にして日本アカデミー賞の優秀作品賞に数えられたのもダテではない。
続く監督第2作『半落ち』(2004)がまた大きな評判をとった。こちらは日本アカデミー賞の最優秀作品賞を受賞。山田洋次監督が絶賛のコメントを出していたことも記憶に新しい。病に苦しむ元刑事(寺尾聰)は後年の『八重子のハミング』(2016)における痴呆症の妻を見守る夫(升毅)や『ツレがうつになりまして。』(2011)で夫(堺雅人)を支える漫画家の妻(宮﨑あおい)の姿に重なる。
1970年代を背景に日本人と韓国人の交流を描く『チルソクの夏』(2004)は『大綱引の恋』(2020)に直結する要素を持っていた。その『チルソクの夏』に出演していた上野樹里は『出口のない海』(2006)でも佐々部から声をかけられる。同戦争ドラマは市川海老蔵の映画初出演作品でもあった。
田中麗奈、麻生久美子主演の『夕凪の街 桜の国』(2007)は『この世界の片隅に』(2016)と同じこうの史代の原作。堺雅人主演の戦時下ミステリー『日輪の遺産』(2011)は浅田次郎の原作。
西田聖志郎の企画で鹿児島を舞台に仕上げた『六月燈の三姉妹』(2014)は、やはり『大綱引の恋』の前に予習しておきたいところ。こちらは吹石一恵、吉田羊、徳永えり主演のほのぼのドラマ。
小市慢太郎、高橋一生出演の『ゾウを撫でる』(2013/劇場公開は2017年)は、映画製作の現場を描いたバックステージ群像劇。佐々部作品の撮影現場はどんな感じなんだろうと想像しながら見ると面白いかも。音楽担当は『大綱引の恋』も担当している富貴晴美。
それぞれ物語、設定はさまざまだが、いずれも佐々部ならではの人間愛に裏打ちされた作品ばかり。佐々部清、享年62。鬼籍に入るには、やはり早すぎた。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。