特集・コラム

映画のとびら

2021年5月14日

茜色に焼かれる|映画のとびら #116

#116
茜色に焼かれる
2021年5月21日公開


©2021『茜色に焼かれる』フィルムパートナーズ
『茜色に焼かれる』レビュー
茜色の母の戦い

 『舟を編む』(2013)、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』(2017)で知られる石井裕也が昨年、コロナ禍のさなか、一気呵成に書き上げたオリジナル脚本による人間ドラマ。混乱の現代を生きるシングルマザーの葛藤と尽力を渾身の筆致で描き出している。脚本執筆時から石井が念頭に置いて書いたという尾野真千子がシングルマザーを熱演。コロナ禍の苦境、人心荒廃を直視したという点で、まさに今、見るべき一作であり、石井裕也作品としては『生きちゃった』(2020)、『アジアの天使』(2021年7月2日公開)に続く「生きる」を主題にした三部作のトリを務める力作となった。

 7年前、最愛の夫(オダギリジョー)を交通事故で失った田中良子(尾野真千子)は、中学1年のひとり息子・純平(和田庵)と格安の公営団地でふたり暮らし。以前は小さなカフェを経営していたが、コロナ禍のあおりで閉店。1カ月で16万5千円もかかる老人ホームで義父を養うなど、何かとお金がかかる日々の中で、スーパーでの花屋でのアルバイト(時給930円)だけでは到底、暮らしは成り立たなかった。やむなく息子に内緒で時給3千2百円のピンクサロンで働くも、同僚のケイ(片山友希)がのぞいた彼女の家計簿は真っ赤っか。なぜなら良子は夫がほかの女とつくっていた娘の養育費(月々7万円)まで面倒を見ていた上、交通事故を起こした元官僚の加害者(当時85歳の老人。ブレーキとアクセルを踏み間違えたのに無罪)からは慰謝料を一切、受け取っていなかったのだ。理由を尋ねても「謝罪の言葉がひと言もなかったから」と答えるだけ。一方で、老人が天寿を全うして死ぬと、その葬儀に参列しようとする。息子にも母の考えていることはよくわからない。ひとつ確かなことは、良子は「芝居が得意」な人間ということだけだった。いぶかしがる息子に母は「お芝居だけが田中良子の真実」と、こともなげに語って微笑むのである。そんなある日、良子の前に、かつて恋心を抱いていた中学時代の同級生・熊木(大塚ヒロタ)が現れ、ふたりは徐々に距離を縮めていく。一方、上級生からひどいいじめに遭っていた純平は、ケイにほのかな心の安らぎを抱いていくのだった。

 少年時代に母親を亡くした石井裕也が、その母の年齢に追いついたことで、「母」を描こうと考えたことがそもそもの企画の出発。弱者ほど理不尽な憂き目に遭うこのご時世を、母ならどう見るのか。どう生きるのか。そんな思いが主人公のシングルマザーにあふれた。決して強くない母も息子のためならどこまでも強くあろうとする。きっとどんなウソをついても息子の生活を守る。母とは息子にとって絶対神=明日の太陽。そんな「母」の奮闘をコロナ禍の現代にぶつけることで「生きること」の意義をあぶり出そうした。まさに現代への怒りをあらわにした叫びであり、安らかな日常を請うた願いの作品である。

 文字面だけなら、主題もメッセージもありふれたものに映るだろう。コロナ禍の状況として、夫と死に別れて赤字まみれの生活を送るシングルマザー、風俗での就業を余儀なくされている女性、それを理由にいじめに遭う息子などの設定も、図式的といえば図式的。しかし、それらが型どおりであればこそ、逆にヒロインの「あがき」が際立った。この主人公はへこたれない。愚痴をこぼして涙を流すことがあっても、「難病もの」のように安い同情や憐憫(れんびん)を観客に請うようなことはない。どんな人もなんらかの「芝居」をして生きている。ウソで身を守っている。しかし、田中良子の覚悟は度を超えている。不屈の魂でもがいて、もがいて、もがき抜く。彼女の意地はハンパな失敗や不運ですぐ悲鳴を上げるヤワな現代人に活を入れる。見ていて身が引き締まる。圧倒される。ついには、涙が誘われる。

 ハッキリ言って、良子の境遇は息が詰まるほどどん底であり、純平へのいじめも単なる心の痛みを超えている。持病を抱えるケイにもひどい性的虐待の過去があり、2時間24分という長尺の中にこめられた「多難の時代のゆがみ」は図式的どころか、重く生々しい。換言するなら、臭みが感じられるほど人間味にあふれた作品であり、すなわち俳優陣の熱演がまた作品の主題とメッセージを陳腐なものに落とし込まなかった。息子役の和田庵(わだいおり)、ケイ役の片山友希は、ともに素直でひたむき。風俗店の店長役を務める永瀬正敏もいい味を出している。オダギリジョーの夫も母子の生活空間に重い「死者の存在感」を醸し出した。何よりも尾野真千子である。この作品で彼女は衣服を脱ぎ捨てるどころか、心まで裸になった。むき出しの女、妻、母となった。体当たりの演技とはまさにこのこと。クライマックス、ついに感情を爆発させる彼女の姿は見方によっては無様。しかし、途方もなく痛快で美しい。尾野真千子という女優の「全力疾走」を目撃するだけでも、この作品にふれる意味は大きい。

 今でこそ『茜色に焼かれる』との題名に落ち着いているこの作品、編集段階までは『茜色の母の戦い』という仮題で製作が進んでいた。広い観客にアピールするための改題だったが、ある意味、その仮題にこそ作品のすべてが刻まれていたといっていい。石井裕也は着想時、夕陽の中、自転車で二人乗りをしている母子のイメージを思い浮かべたという。その夕陽=茜色=希望という構図に得心と共感を覚える観客も多いだろう。同時に、この映画はそれぞれにとっての「茜色」について考える機会でもある。感動する、というより、うちのめされる、とする方が正しいだろう。僕らもまたコロナ禍の時代を生き、戦っているのだから。

 2021年5月21日(金)全国公開
原題:茜色に焼かれる / 製作年:2021年 / 製作国:日本 / 上映時間:144分 / 配給:フィルムランド 朝日新聞社 スターサンズ / 監督・脚本・編集:石井裕也 / 出演:尾野真千子、和田庵、片山友希、オダギリジョー、永瀬正敏
公式サイトはこちら
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(C) 2017「いつまた、君と~何日君再来~」製作委員会
DRAMA
タイトル いつまた、君と~何日君再来~
製作年 2017年
製作国 日本
上映時間 115分
監督 深川栄洋
出演 尾野真千子、向井理、野際陽子、岸本加世子、駿河太郎、イッセー尾形

尾野真千子の「母」または、強く生きる女性

 尾野真千子の母親役といえば、NHKの連続テレビ小説『カーネーション』(2011)が真っ先に浮かぶのではないか。コシノヒロコ、ジュンコ、ミチコの有名三姉妹を育てたファッションデザイナー・小篠綾子をモデルに描く傑作。夫を失ったシングルマザーという点でも共通点があり、その力強く生きる姿は『茜色に焼かれる』の田中良子に先んじるものがある。尾野真千子にとっても出世作となった。

 俳優・向井理の祖母の実話を映画化した『いつまた、君と ~何日君再来(ホーリージュンザイライ)~』(2017)も強き母親を描く人間ドラマ。戦中・戦後を生き抜く尾野のヒロインがりりしい。

 最近では、瀬々敬久監督の新作『明日の食卓』(2021)でも尾野は母を演じている。どちらかといえば息子に翻弄される役でもあり、『茜色に焼かれる』とは正反対の設定といえるかも。藤井道人監督の『ヤクザと家族 The Family』(2021)では綾野剛の恋人から娘を持つ母へと進む女性を演じた。

 母を演じなくとも、尾野の場合、意志の強い妻や女性を演じる機会が多い。映画での出世作『クライマーズ・ハイ』(2007)では勝ち気な新聞記者、WOWOW製ドラマ『フジコ』(2015)では連続殺人鬼、『後妻業の女』(2016)では大竹しのぶの毒婦に啖呵(たんか)を切る女、テレビドラマ『夏目漱石の妻』(2016)では文豪を支える妻、などなど。いずれも女優・尾野真千子の「迫力」が映える作品ばかりだ。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 

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