特集・コラム
映画のとびら
2021年10月1日
ONODA 一万夜を越えて|映画のとびら #144
1974年3月10日、すでに戦死したと思われていた陸軍兵が30年ぶりに日本の地を踏んだ。当時、社会的話題を呼んだ和歌山出身の陸軍兵・小野田寛郎の帰還である。彼は、太平洋戦争の終結も知らず、フィリピンの島でただひとり、戦争を続けていたのだ。いったい、彼の身に何が起こったのか。孤独な山の中でどんな生活を送っていたのか。驚くべき実話を新たな視点で切り取ったのは、これが『汚れたダイヤモンド』(2016)に続く長篇監督作品第2作となるフランス人監督アルチュール・アラリ。若き日の小野田を『無頼』(2020)、『辰巳』(2021)の遠藤雄弥が、中年期の小野田を『シン・ゴジラ』(2016)、『名前』(2018)の津田寛治がそれぞれ演じている。第74回カンヌ国際映画祭では「ある視点」部門に出品され、オープニング作品として紹介された。
1974年2月、ひとりの日本人バックパッカーがフィリピンのルバング島に降り立った。彼、鈴木紀夫(仲野太賀)の目的は、この東南アジアの島に戦後30年近くを経た今も、戦争状態で隠れ住んでいるとウワサされている日本兵との接触。その若気の至りともいうべき行動が実るのかどうか、それは確かなものではない。事実、1972年に行われた政府関係者や親族による捜索には成果が上がらなかったからだ。しかし、密林の奥深くでは、鈴木がカセットテーププレーヤーから流す日本の歌に耳を傾ける男・小野田寛郎少尉(津田寛治)が確かにいたのである。時をさかのぼること1944年8月、22歳の小野田(遠藤雄弥)は絶望の淵にあった。久留米第一予備士官学校を卒業したものの、希望する航空隊への入隊がかなわなかったのだ。そんな小野田を「誇りは別の方法でも持てる」と諭したのが谷口義美少佐(イッセー尾形)だった。少佐の勧めにより、小野田は陸軍中野学校へ入校。卒業後の1944年12月、ルバング島へ派遣される。ルソン島を制圧しつつある米軍との徹底抗戦を指導するためであった。しかし、指揮権を得られない小野田の意見は通らず、やがて敵の猛攻にルバング島の守備隊は徐々に山間部へと追いやられていく。
小野田少尉の実体験を描いた戦時ドラマだが、すべての事象が事実に即しているわけではない。監督のアラリによれば、ジョセフ・コンラッドやロバート・スティーヴンスンの海洋冒険小説に興味をひかれている時期に、父親から小野田の逸話を伝え聞いたという。原案として提示されているのは、ベルナール・サンドロンが著した『Onoda: Seul en guerre dans la jungle(ジャングルの中での孤独な戦争), 1944-1974』。ありふれた戦争悲話とは異なるとらえ方があったと見えて、事実、小野田を「あくまでも物語を動かす架空の人物」「小野田自身の主観に囚われたくなかった」との声明を出している。アラリにとって、小野田は一種のロビンソン・クルーソー的な人物に映っていたのかもしれない。しかし、このロビンソン・クルーソーは、滅多なことでは望郷の念にとらわれない人物なのであった。
小野田に家族の描写がないわけではない。ただし、刻まれるのは戦地へ旅立つ息子に「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかし)めを受けてはならぬ」と厳しく勧告する父親像のみ。「敵につかまるくらいなら死ね」とは、軍人並みの厳しい叱咤(しった)。もし日本人監督が撮っていたら、優しい親族を思ってむせび泣く描写のひとつもあったろう。それがこの映画の小野田にはほとんどない。もしかしたら、小野田の退路を断つ演出的意味合いもそこに含まれていたのかもしれないが、それにしても抑制のかぎりを尽くした仕掛けとしてよく、安っぽいセンチメンタリズムからどこまでも遠い。この点、クリント・イーストウッドが監督した『硫黄島からの手紙』(2006)の方がよほど日本的なメロドラマに浴している。
回想部分で表現される小野田の過去で注目すべきは、陸軍中野学校二俣分校にリクルートされるくだりだろう。中野学校といえば、開戦直前まで陸軍のスパイ育成機関と知られており、戦争末期に至ってはゲリラ戦用の兵士を短期間で養成した。実に、小野田の頑ななまでの孤軍奮闘は、かような教育の影響も大きかったといって差し支えあるまい。日本への帰還時、多くの日本人は彼の潔癖なまでの信念、精神力にほだされたと思われるが、その背後には特殊機関による「隠された精神改造」が確かにあった。小野田の真の悲劇は、空白の30年以上に、ゆがんだ戦時教育を受けたことにあるのではないか。戦争は人間の精神も環境も変えてしまう。その事実を冷徹に突きつける点において、この映画はすぐれた反戦ドラマでもあった。
ルバング島の密林の中で、わずかな部下とともに「籠城」した小野田は、歳月の流れとともに、ひとり、またひとりと仲間を失っていく。やがて「自らを率いる司令官」となった彼は、いよいよ任務に忠実な兵士へと自身を昇華させる。たびたび食料を強奪されるルバング島の住民には狂気の敗残兵に過ぎなかっただろうが、「戦争継続中の陸軍兵士」としては痛々しいほどに実直だった。バックパッカー青年に出会った小野田が、日本への帰還に際して出した条件にも将校の品格がにじんでりりしい。恐らく監督のアラリには、軍人という枠組みや反戦意識を超えて、ひとりの男の精神力がまぶしかったのではないか。戦争の極限状況、南の島での孤立が、人間の精神を磨き、透明化させた。「小野田寛郎の主観は不要」としたアラリの発言には、そんな演出家の感慨が垣間見える。狂気と信念の差は紙一重であった。
もちろん、小野田少尉自身の物語としても、この3時間尺の映画、見る価値は大きい。小野田の存在に全く知識がない観客にとっては、すべての瞬間が新鮮な「真実」だろう。日本人なら誰もがこの男の境遇に同情を寄せる。だが、この映画の切り口に「お涙頂戴」は最後までなかった。泣かせようとはしなかった。小野田の顔が延々と映されるラスト、そこには涙を流すことすらかなわない澄んだ感動だけがある。
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小野田少尉が教育を受ける特務機関を描いた作品となれば、やはり市川雷蔵主演の大映作品『陸軍中野学校』(1966)が筆頭に来る。後に『陸軍中野学校 雲一号指令』(1966)、『陸軍中野学校 竜三号指令』(1967)、『陸軍中野学校 密命』(1967)、『陸軍中野学校 開戦前夜』(1968)という4本の続編を生んだ人気サスペンスで、間諜(スパイ)の訓練を受けた主人公・三好次郎の諜報戦をスリリングに描いたもの。小野田は主にゲリラ戦の教育を戦争末期に仕込まれたわけだが、養成校に集められた若者たちは一種のエリート集団であることでは共通しており、ルバング島でのサバイバルもそれ相応の英知が備わっていたからこそ実行できたと考えていい。
南の島での戦争狂気となれば、市川崑監督の『野火』(1959)も参考になる。レイテ島での飢え地獄を描いた秀作で、後に塚本晋也の監督・主演で同題『野火』(2014)としてリメイクもされている。レイテ島もルバング島も、フィリピン群島のひとつだ。
レイテ島同様、日本軍玉砕の地となったサイパン島で抗戦を繰り広げた日本軍の物語として、竹野内豊主演の『太平洋の奇跡 -フォックスと呼ばれた男-』(2011)もある。実在した大場栄大尉を描いた人間ドラマで、後味も苦くなく、見やすい。サイパン守備隊が玉砕した1カ月後に、小野田は士官学校を卒業、翌月に中野学校二俣分校に入学している。
外国人が撮った日本の戦争ドラマということでは、やはりクリント・イーストウッド監督作品『硫黄島からの手紙』(2006)が最高峰といっていい。硫黄島守備隊の指揮官となった栗林忠道中将が主人公だが、西郷一等兵役の二宮和也、西竹一中佐役の伊原剛志らの好演も光った。硫黄島が陥落したのは、小野田がルバング島に赴任して3カ月後のことである。敗戦へのカウントダウンはすでに始まっていた。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。
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陸軍中野学校
陸軍中野学校 雲一号指令
陸軍中野学校 竜三号指令
陸軍中野学校 密命
陸軍中野学校 開戦前夜
野火(1959)
野火(2014)
硫黄島からの手紙
太平洋の奇跡
-フォックスと呼ばれた男-
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