特集・コラム
映画のとびら
2022年4月15日
ツユクサ|映画のとびら #175
『かもめ食堂』(2006)、『めがね』(2007)の小林聡美主演で描く優しい日常ドラマ。とある事情で田舎の港町に暮らす独り身女性のささやかな偶然と運命が、『築地魚河岸三代目』(2008)、『ふしぎな岬の物語』(2014)などで知られる脚本家・安倍照雄のオリジナルストーリーの中に描かれる。監督は『愛を乞うひと』(1998)、『閉鎖病棟 -それぞれの朝-』(2019)の平山秀幸。平山と安倍はこの作品が『やじきた道中 てれすこ』(2007)に次ぐ2度目のタッグ。
夜の港でお酒を海へ流し捨てている中年女性がいる。彼女、五十嵐芙美(ふみ/小林聡美)は断酒の会に通って2週間ほどの身。あるときから静岡の田舎町にひとりで住んでいるが、その理由を知っているのはごく一部の友人だけだ。昼間、芙美はその友人たちと一緒に浴用ボディタオルの縫製工場で働いている。昼休みには防波堤に座って、直子(平岩紙)、妙子(江口のりこ)のふたりと家から持ってきた弁当を食べながら他愛のない女子トークを繰り返していた。直子は再婚した夫(渋川清彦)と息子の航平(斎藤汰鷹)がイマイチなじんでいないのが気にかかる。未亡人の妙子は新しい彼氏ができた様子。芙美は航平の髪を切ったり、一緒にドライブに出かけたりと、まるで本当の息子のように可愛がる。宇宙に関心を持つ航平に、芙美はある夜、自分の車を直撃した隕石のかけらを分け合う。航平によれば、隕石が人に当たる確率は1億分の1。芙美は幸運のしるしとして隕石をペンダントに作り替える。新たな「偶然」は数日後、行きつけのバーで起きた。芙美はカウンター席で隣同士になった男性から声をかけられる。彼・吾郎(松重豊)は、芙美が日課のジョギング中、公園でよく見かける人。ツユクサの葉を使って、きれいな草笛を奏でる人だった。
小林聡美といえば、『かもめ食堂』の興行的成功により、スローライフの象徴のようになった女優。彼女が主演するというだけで「おひとりさまオーガニックライフ」という一連のシリーズを見るかのような気分がにじむ。この『ツユクサ』もその印象から大きくはずれていない。とりわけ、前半には「小林聡美」という現在の一般イメージ=ブランドを裏切らない映像がつむがれる。ほどよく優しく、ほどよくコミカルに。ただし、この映画は小綺麗な現状描写に終わらない。物語が進むにつれ、生活感がにじみ、主人公をはじめとする登場人物たちの問題が静かに浮かび上がってくる。
清潔感は貫かれている。一見、無臭・無色でもある。笑いの取り方もギャグに近い表現がある。だが、平山秀幸という映画監督は人間の体臭を捨てない。いや、捨てきれない。笑顔の陰には哀しみもある。積み重ねた人生の経験の上に現在がある。なぜ彼女はそこに生きるのか。その視点に立脚したドラマはヒロインの日常を変化させ、新たな選択の瞬間を提出する。一皮むけば、重々しい人間ドラマでもあるだろう。見方によっては、これまでの「小林聡美シリーズ」へのアンチテーゼともいえるかもしれない。少なくとも、涼しげな空間でおいしそうな料理と軽妙な友人たちとの会話に終始する単純な物語などではない。
軽さと重さ、現実とファンタジー。生活感と性活感。その同居がコメディーという枠の中でバランスよくなじんだ。仮に喜劇色が強い前半部に鼻白む向きがあっても、後半での確かな人間味にきっとほだされる。とはいえ、前半部のトーンに居心地のよさを感じた観客が取り残されるようなこともないだろう。シリアスと喜劇の狭間にあるような作風は平山秀幸という監督にとってもちょっと新しい。
小林聡美が演じる主人公は50 代一歩手前の年齢という設定。松重豊はもう少し上の役だろうか。そんな中年男女が醸すロマンスの気分は、漫画でいえば弘兼憲史の『黄昏流星群』の世界観に近い。人生はいつからだって再出発できる。リセットのチャンスがある。そんな希望、そんな前向きな気分がここにはある。
終盤、ヒロインが何気なく語る。「痛みがとれたら、またがんばれる」。この作品だからこそ、しみる言葉。普段の生活の中でいつの間にか強ばった心、この映画でほぐしていただきたい。
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小林聡美が最初に注目を集めたのは、やはり大林宣彦監督の『転校生』(1982)だろう。男女の心が入れ替わる物語で、堂々たる「少年演技」を披露。以後、大林のお気に入りとなり、福永武彦文学のヒロインを演じた『廃市』(1984)、『転校生』に続く「尾道三部作」の第2弾『さびしんぼう』(1985)に連続出演。大林の意地が炸裂した『北京的西瓜』(1989)にも招かれた。いずれも1980年代の小林聡美を知るには欠かせない佳作。わずかな出演だが、『理由』(2004)も見ごたえのある作品。
お茶の間では元夫・三谷幸喜脚本のトークドラマ『やっぱり猫が好き』(1988-1991)で人気を博したわけだが、映画では荻上直子監督とのタッグ『かもめ食堂』(2005)で女性観客の共感を集めた。この成功が連作にも似た『めがね』(2007)も誕生させる。見る者に何らかの安堵感を与える象徴になったとプロデューサー陣は判断したのだろう。人気脚本家・大森美香が監督を務めた『プール』(2009)、松本佳奈監督『マザーウォーター』(2010)&松本佳奈・中村佳代共同監督『東京オアシス』(2011)と、そのイメージを固めるような役を重ねていった。
今回、平山秀幸監督とは『閉鎖病棟 -それぞれの朝―』(2019)に続く顔合わせ。脚本家・安倍照雄と『ツユクサ』の企画を温めていた平山にとって、小林聡美という素材との出会いは映画化実現の拍車をかける原動力になったのだろう。平岩紙、渋川清彦も『閉鎖病棟 ―それぞれの朝―』からの「動員」なのだった。直近作が悲劇だったからこそ、その反動として一層の温もりがにじんだのかもしれない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。