特集・コラム
映画のとびら
2022年6月10日
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド 4Kリマスター版|映画のとびら #186【ポスタープレゼント】
謎の「殺人集団」に襲われ、とある民家に追いつめられた男女7人。その絶望的な一夜の戦いを描いたホラー映画。今日、すっかりポピュラーになっている「ゾンビ映画」の端緒と目されている作品であり、後に恐怖映画の泰斗(たいと)として尊敬を集めるジョージ・A・ロメロ監督の長編デビュー作である。
16ミリ・フィルムを使って自主映画同然の作り方をされたモノクロ映画。公開当時28歳だった若きロメロが創作の下敷きとしたのはリチャード・マシスンの小説『地球最後の男』(1954年発表)といわれている。同小説は、全人類が吸血鬼となった世界で、たったひとり、人間として残された男の孤絶の戦いを描いたものだが、その根っこにあるのは吸血鬼伝説。そして、吸血鬼は死者の復活を恐れる人間心理から生まれた民間伝承のキャラクターである。ロメロが登場させた「生きる屍(しかばね)」も吸血鬼の亜流、傍流といっていい。吸血鬼同様に人を襲い、噛みつかれた人間は人間とは別の生きものと化す。吸血鬼は胸に杭を打たないと死なないが、生きる屍は頭部や脳を破壊しないと動きを止められない。
いわゆる「ゾンビ映画」のくくりにおいてもルーツがあり、ヴィクター・ハルベリン監督による『恐怖城』(1932)や『ゾンビの反乱』(1936)、ジャック・ターナー監督の『私はゾンビと歩いた!』(1943)、ジョージ・マーシャル監督の『ゴースト・ブレーカーズ』(1940)などは同カテゴリーの最初期の作品に当たるわけだが、それらは往々にしてブードゥー教をめぐる先入観に端を発しており、「ゾンビ・パウダー」などの秘薬を使っての死者復活を題材にした恐怖映画である。どちらかといえば「邪教映画」のカテゴリーに入る作品としてよく、広い大衆性を生むことはついになかった。一方、ロメロのデビュー作では巧まずして劇中に「ルール」が定められたことで、製作側にも観客側にも「基準」ができた。すなわち、先述の「生きる屍は人間の生肉を食らう」「一部を喰われた人間は生ける屍として復活する」「生きる屍は頭が破壊されないと死なない」という三原則である。それをロメロは続く連作『ゾンビ(Dawn of the Dead)』(1978)、『死霊のえじき(Day of the Dead)』(1985)でも踏襲した。基準があると作り手も観客も安心するのだろう。世代を重ねるごとに「ゾンビ映画」はどんどんロメロ作品の「意向」を軸に製作され、世間になじんでいった。SF作家アイザック・アシモフが提唱した「ロボット三原則」と同様の効果と影響を生んだわけである。その意味で、これはゾンビ映画の「端緒」であり、正統なる「元祖」だった。
今ではゾンビも多種多様となり、走りもするし、頭脳派も登場したりする。基本、ロメロによる初期の「生ける屍」は走らない。むしろ、動きが鈍い。走るのが当たり前になっている現代の観客からすれば、もどかしく感じる部分もあるだろうか。だが、動きがゆるやかゆえに迫ってくる恐怖は確かにあり、そのジワジワとした恐怖は古来の「怪談」に通じるところもあるだろう。日本でも、死者がよみがえらないように遺体を縄でくくって埋葬する文化が地方によってはあったといわれる。それでも地中からのっそりと這い出してくるかもしれないという恐怖、である。死への恐れ、死者への畏怖というのは、いつの世にも、どこの国でも、じっくり、じっとりと表現されるほどボディーブローのように効いてくるのではないか。人間の無様な抵抗をよそに、生ける屍は幽霊のごとく悠然と押し寄せる。生きながら喰われるという絶望、それがゆったりと迫ってくるのだ。根源的にしてシンプルな「生の恐怖」がここにはある。そして、それは古びない。
かつては安手の「ミッドナイトムービー」として扱われていた『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)だが、今ではMOMA(ニューヨーク近代美術館)に所蔵されるほど歴史的価値が認められ、保存支援に関してはジョージ・ルーカスゆかりの財団までもが名を連ねている。ゾンビという枠を超えて、もはや映画としての「古典」なのだろう。古いゾンビ映画を知る観客ほど驚く現状である。ただ、古典を知らずして、現代は語れない。たとえば美術を学ぶにしても、いきなり絵を描きまくるわけではない。まず、歴史を学ぶ。基本を知る。それがあって、現代の創作に実りが出る。見識も確かになる。ゾンビ映画が無造作にあふれかえっている現在だからこそ、その古典を振り返る意義は大きい。
ちなみに、今回の「4Kリマスター」は、2016年に米クライテリオン・コレクション社が生前のロメロ、および共同脚本ジョン・A・ルッソらの監修のもと「レストア」が行われたバージョンだという。4Kリマスターで見るこのモノクロ古典は映像も音も美しい。そして、やはり怖い。
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ゾンビという呼称は『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)には登場しない。続く「夜明け編」の『ゾンビ』(1978)にもない。「The Dead」(死者)であることがロメロの「意志」なのだろう。
イタリア恐怖映画界の巨人ダリオ・アルジェントが製作に協力した続編『ゾンビ』は公開当時、日本では大ヒット。一カ所に「籠城」して、どんどん追い込まれるという設定も通底しており、「昼間編」にあたる第3弾『死霊のえじき』(1985)も軍事施設で登場人物たちの命運は尽きた。『ゾンビ』の場合、ショッピングセンターという籠城舞台の使い方もうまかった。
ゾンビ映画は、エピゴーネン(亜流作品)大国のイタリアでもガンガン作られ、ルチオ・フルチ監督あたりが放った「荒技の怪作」が人気を博した。フルチなら『サンゲリア』(1979)、『地獄の門』(1980)、『ビヨンド』(1981)は必見。ウンベルト・レンツィ監督の『ナイトメア・シティ』(1980)ではゾンビが早くも俊敏になっている。ホルヘ・グロウ監督による『悪魔の墓場』(1974)などは「マカロニ・ゾンビ」ものの中では古典の部類に入るだろう。
走るゾンビでいえば、ダニー・ボイル監督の『28日後…』(2002)あたりが若い世代に響いた様子。同作のゾンビは正確にはゾンビではなく、謎のウィルスに感染した人間なのだが、いずれにせよ21世紀では、ゆっくり迫ってくるゾンビはもはや希少な存在になっている。ブラッド・ピットがプロデュースと主演を兼ねた『ワールド・ウォーZ』(2013)などは、あまりのゾンビ数と走りの早さに雪崩でも起きたかのようだった。それにしても、人気美男スターがゾンビ映画をハリウッド大作として製作する時代なのである。人肉をむさぼる描写だけでも失神しかけた観客が大勢いたという1960年代のモラル社会からは到底、考えられない事態だろう。ロメロがまいた種はこれからもさまざまに「成長」していくに違いない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。