特集・コラム
映画のとびら
2022年6月30日
エルヴィス|映画のとびら #189
1950~70年代に活躍し、「史上、最も売れたソロアーティスト」としてギネスブックに記録される希代のロックスター、エルヴィス・プレスリーの半生を描く音楽ドラマ。黒人街でゴスペルに影響を受けた若き時代から、後にマネージャーとなるトム・パーカー大佐に導かれ、世界中で人気を獲得した後、薬物と裏切りの渦の中で人生の落日を迎えていくまでを感動的につづっていく。タイトルロールには『デッド・ドント・ダイ』(2019)、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(2019)の新進俳優オースティン・バトラー。プレスリーを終生、支配したパーカー大佐にはトム・ハンクス。監督は『ロミオ+ジュリエット』(1996)、『華麗なるギャツビー』(2013)のバズ・ラーマン。
まるでネオンがきらめいているような映画会社のロゴから映画は始まる。盛り上がる音楽に乗って、気分はもうラスヴェガス。バズ・ラーマン監督らしいド派手で目を引く導入部といってよく、この映画がギャンブルの街よろしく、盛者必衰の物語であることを早々に示唆しているかのようだ。続く本編映像に、トム・パーカー大佐の姿を真っ先に刻むところに、やはりラーマンの意図は明らかで、プレスリーにとって天使でもあり疫病神でもあったこの狡猾なマネージャーが影の主役であることも観客に突きつける。
いわば「悪役」であるパーカー大佐を、トム・ハンクスはふてぶてしい肥満ルックで攻めた。『フィラデルフィア』(1993)、『フォレスト・ガンプ 一期一会』(1994)あたりから「アメリカの良心」のごとき高尚な位置に据えられた感のあるハンクスにとって、パーカー大佐はキャリア史上、最大の憎まれ役だろう。私利私欲にまみれた強欲なる豚であり、プレスリーを「契約地獄」に落とし込んだ死神だからだ。もっとも、悪人に徹しきれない温もりがその表情からにじんでしまっているのも致し方がないところで、それが映画を明快な勧善懲悪劇に転じさせない。ハンクス自身の人間味が「黒」を「グレー」にとどめることで、映画はプレスリーの家族にも「甘え」の罪をほのめかし、決定的な「悪」を介在させなかった。そこから立ち上る現代性にも無論、ラーマンの計算は働いているだろう。
プレスリーの人生に詳しい者には物語上、大きな新味はない。同時に、それはいかに映画の成功が有望な役者によって「歴史」が再現されるかにかかっていたともいえ、その点、プレスリーを演じたオースティン・バトラーの抜擢はスリリングにして安全な着地をかなえたとしていい。その甘い容貌以上に、ステージ・パフォーマンスがずば抜けて、いい。腰を振り、足を弾ませて自身の喉を鳴らす彼に、強烈な「バイブレーション」を感じ、熱狂の悲鳴を上げるのは、劇中の女性観客だけではあるまい。当時の「良識派」がロックを否定したのも、バトラーのパフォーマンスを見れば理解できる。プレスリーの歌唱は、もはや「性的興奮」そのものだった。彼が全身から放つ官能性に女性陣は年齢を問わず身をよじらせ、時に失神=昇天していく。ロック界の「セックス・シンボル」をよみがえらせたバトラーの功績は大きく、プレスリーの元妻プリシラ・プレスリーも絶賛を惜しまなかったという。もちろん、これもラーマンの作戦どおりなのだろう。
バズ・ラーマンという映画作家は『ダンシング・ヒーロー』(1992)という日本初お目見えの過去作に特に顕著だが、当初は派手な音楽使用、直裁すぎるドラマ表現に賛否が分かれた。大仰に構えすぎた『ムーラン・ルージュ』(2001)、『オーストラリア』(2008)の失敗も含め、多くの映画ファンからすればどこか繊細さから遠く、大味な作り手の印象が拭いきれなかった。その否定的見解に立たずとも、この映画はかなり良質の音楽劇となっており、人間ドラマとしてもこまやかな情感に富んでいる。2時間39分という長尺をほぼ隙なく音楽で埋め尽くし、プレスリーの短くも濃密な42年の人生をジェットコースターのように見せる力業も含め、これまでの監督作品の中でも最良の仕事になっているのではないか。
恐らく、今の若い観客がプレスリーのアーカイヴ映像を見ても、それほど感動しないだろう。なぜ当時の女性たちが絶叫の興奮に振り回されたかも理解できないだろう。しかし、この映画を見れば、プレスリーの魅力がわかる。プレスリーのすごみが容易に伝わる。かの時代の直中へ飛び込むことができる。
エルヴィス・プレスリーをその目で目撃してほしい。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。