特集・コラム
映画のとびら
2022年7月14日
アウシュヴィッツのチャンピオン|映画のとびら #192【ポスタープレゼント】
かの強制絶滅収容所で、ナチス将校にボクサーとしての経歴を見込まれ、リングに立ち続けた実在のポーランド人、タデウシュ・“テディ”・ピトロシュコスキの姿を描く感動の人間ドラマ。主演は『暗殺者たちの流儀』(2015)、『イレブン・ミニッツ』(2015)、『ダーク・クライム』(2016)のピョートル・グウォヴァツキ。監督は、スティーヴン・キングの小説を短編映画化した『My Pretty Pony』(2017/日本未公開)で監督デビューし、これが初の長編劇映画となったマチェイ・バルチェフスキ。
テディがアウシュヴィッツ収容所に送り込まれたのは、1940年6月14日のこと。ユダヤ人としてではなく、ロマでも同性愛者でもなく、ナチスに反抗の意思を示し、国外脱出をはかろうとした政治犯として、アウシュヴィッツに最初に移送されてきた囚人のひとりだった。縦縞服に縫い付けられたのは赤い「▼」マーク。囚人番号は77番。ろくな食事も出ず、看守による無差別殺人も常態化している収容所で、黙々と施設の建設作業に就いていたという。そんなある日、ハンブルクのチャンピオン・ボクサーだった看守の目にとまり、ナチス将校やその下士官の「座興」として試合を重ねていくことになる。
勝てば食料がもらえて重労働は免除。薬も手に入る。ただし、派手に勝ちすぎると、将校たちからにらまれる。とはいえ、負ければすべてが終わってしまう。勝たなければ生き残れない。今日の「生」をかけたテディの収容所生活は日々、タイトロープをわたっているようなものだった。その緊張感。
強制収容所をめぐる逸話は数あれど、テディの物語は故国ポーランド以外ではほとんど知られていなかった。戦前に100試合をこなし、バンタム級とフェザー級の2階級でほぼ負けなしだったという。バンタムといえば、高森朝雄&ちばてつやの漫画『あしたのジョー』(1968-1973)における矢吹丈である。体重でいうと118ポンド(53.524kg)以下。フェザーとなると、小山ゆう原作の漫画『がんばれ元気』(1976-1981)の堀口元気である。こちらの体重上限は126ポンド(57.153kg)。もっとも、テディの体は収容所の貧しい食事でガリガリ。一時は40kgまでやせ細ったといわれる。そんな体でミドル級、果てはヘビー級とも思える体格の相手とテディは打ち合わなければならなかった。『あしたのジョー』でいえば「ストロー級以下にやせた矢吹丈vs減量をしない力石徹」である。そんな不利に屈せず、得意の防御技術を使って対戦相手を倒していくテディのファイトは当時の囚人仲間でなくとも力が入るというもの。逆境のスポーツドラマとしても十分、見ごたえがある。
無論、試合場面の興奮ばかりがすべてではない。同じ政治犯で捕まった少年ヤネック(ヤン・シドウォフスキ)との友情、ヤネックと診療所の少女ヘルチャ(マリアンヌ・パヴリツ)の悲恋、ヤネックの解放をかけた勝負への一大決心など、テディをめぐる節々の人間ドラマが丁寧かつ的確。テディの奮闘もむなしく、次々に尊い命が奪われていく後半の展開には思わず言葉を失う。その哀しみと憤り。
ナチス将校側の描写も、いい。大半は絵に描いたような鬼畜生だが、ただひとり、テディに同情し、徐々に正気を取り戻しかける将校を登場させている。彼がこの作品の「薬味」としてどう絶妙に機能しているかは、もしかしたら数度の鑑賞が必要かもしれない。
史実によれば、テディはボクサー活動の合間を縫って、地下抵抗組織への協力も惜しまなかったという。しかし、この映画ではそこまで物語の「枝葉」は広げられていない。あくまでボクシングと収容所での日常を描くのみ。やりすぎない。そのストイシズム。1時間31分という上映尺はあたかも磨き上げられたテディ役ピョートル・グウォヴァツキの肉体のごとくで、一分の贅肉もない。クライマックスの素手による決戦まで流れるように進む。うまい。美しい。グウォヴァツキはスタント代役を拒否してボクシング場面の撮影に臨んだとのことで、その意気込みがまたドラマを盛り上げた。パンチと人生の重みを本物にした。
実のところ、絶滅収容所で拳闘試合を強制させられた男はテディだけではない。そのひとり、ユダヤ人ボクサーのハリー・ハフトについては、バリー・レヴィンソン監督、ベン・フォスター主演により『The Survivor』(2021/日本未公開)の題名で映画化されている。同じくユダヤ人ボクサーのサラモ・アラウチを描いた『生きるために』(1989)ではウィレム・デフォーの熱演が胸に迫るはず。ホロコーストをめぐる名作は枚挙にいとまがないが、メリル・ストリープのアカデミー賞主演女優賞受賞作『ソフィーの選択』(1982)、スティーヴン・スピルバーグ監督の『シンドラーのリスト』(1993)、アラン・レネ監督の短編ドキュメンタリー『夜と霧』(1955)あたりはこの機会に見直しておきたいところ。
ポーランド語原題「Mistrz」は英語の「Master」のこと。テディは絶望の収容所内でささやかな将来の夢を思い描く。果たしてそれはかなうのか。真の意味でのマスター(先生)に、人生のチャンピオンになれるのか。ラスト、ナチス将校の問いにドイツ語でなくポーランド語で答える主人公がつとにまぶしい。
公式サイトはこちら
「アウシュヴィッツのチャンピオン」のポスターをプレゼント
「アウシュヴィッツのチャンピオン」のポスター(非売品)を
抽選で3名さまにプレゼント!
◆ご応募はOPカードWEBサービスからエントリーしてください。
<応募期間:
2022年7月14日(木)~28日(木)>
※当選者の発表は賞品の発送をもってかえさせていただきます。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。