特集・コラム
映画のとびら
2022年10月6日
七人樂隊|映画のとびら #208
『ザ・ミッション 非情の掟』(1999)、『ブレイキング・ニュース』(2004)などの人気作で知られる香港映画界の雄ジョニー・トーの呼びかけにより、7人の香港人監督たちが集結。各話10分程度のエピソードの中に、それぞれの視点、立場で香港を見つめた感動と笑いのオムニバス映画。
第1話『稽古』は、サモ・ハンの監督&チョイ役出演作品。1950年代の戯劇学校を舞台に、日々、カンフーの稽古に励む少年少女たちの姿をコミカルかつノスタルジックに描く。武術の師範役はサモ・ハンの息子で『イップ・マン 最終章』(2013)などに出演しているティミー・ハン。
第2話『校長先生』は、香港女性監督の草分け的存在のアン・ホイによる人間ドラマ。1960年代を出発点に、優しい校長先生と彼を慕う生徒たちの交流を描く。
第3話『別れの夜』は、ウォン・カーウァイ監督の『欲望の翼』(1990)で編集業務を務めたパトリック・タム監督作品。1980年代を舞台に、イギリス移住が決まった男子高校生とその恋人の一夜を描く。
第4話『回帰』は、『ドランクモンキー 酔拳』(1978)でジャッキー・チェンを世に送り出し、『マトリックス』(1999)のアクション監督として世界的な知名度を得たユエン・ウーピン監督作品。中国への返還直前の香港を舞台に、カンフーの鍛錬に励む老人とその孫娘の交流を描く。
第5話『ぼろ儲け』は、ジョニー・トー監督作品。2000~2007年を舞台に、投資で一攫千金をもくろむ若い男女3人の姿を通して、香港世相、文化の変化を見つめる。
第6話『道に迷う』は『友は風の彼方に』(1986)、『ワイルド・シティ』(2015)などで知られるリンゴ・ラム監督作品。2018年を舞台に、久しぶりに香港へ里帰りした中年男が、すっかり変わってしまった町並みに戸惑い、妻子との待ち合わせがなかなかうまくいかない姿を描く。
第7話『深い会話』は『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地黎明』(1991)、『桃(タオ)さんのしあわせ』(2011)などで知られる香港映画界のヒットメーカー、ツイ・ハーク監督作品。未来の精神病院を舞台に、奇妙な会話を続ける医師と患者の姿をコミカルかつシニカルに描く。
香港映画のファンならたまらない監督の顔ぶれ。サモ・ハン作品は彼自身の幼少期をそのまま切り取っているかのような空気があり、アン・ホイ作品には彼女らしい人情の温もりが漂う。パトリック・タム作品にも確かな青春の痛みがあり、ユエン・ウーピン作品にはカンフーを絡ませた家族描写がさすが。ジョニー・トー作品は時間のうねりと飛躍が痛快で、リンゴ・ラム作品はこれが彼の遺作という重みが重なって、なんとも言えない悲哀が刻まれた。ツイ・ハーク作品はただただ自由すぎる。
表現の差こそあれ、いずれの作品にも刻まれているのは「感傷」だろう。それも、澄んだセンチメンタリズム。香港に生き、香港で人間を見つめてきた者たちにとって、これは愛する街へのラブレターといっていい。中国への返還以後、将来の暗雲を感じない香港人はいない。実際、行く末を憂い、故国を脱出している映画人も少なくない。そんな現状を過去から現代、未来へと視線を送りながら、監督たちはただ愛すべき香港と住人たちを描いた。反動のメッセージを込めることもなく、社会運動を叫ぶわけでもない。ただ大好きだった時間と日々を見つめている。そこには慈しみが刻まれるのみ。それで十分。その心根が胸を打つ。
どのエピソードも満点の出来というわけではない。全部が全部、満腹感を覚える仕上がりではない。しかし、この表現でしか味わえない思いや温もりがある。一種のお祭り、イベント的な作品だろう。香港映画にふれる機会がなかった人は、これを契機にこれまでの「映画の遺産」に接してみてはどうか。それが新たな未来を切り開くきっかけになるかもしれない。
個人的には、ユエン・ウーピン作品の祖父と孫娘の物語に惹かれる。カンフーとは戦いのためにあるのではなく、もしかしたらコミュニケーションの一手段。そんなことを諭されているような錯覚がある。これまで娯楽アクション一辺倒の人という印象が強かったが、この小品においてユエン・ウーピンの優しい素顔に初めてふれた気分というべきか。そういう「新しさ」をぜひほかの挿話にも発見していただきたい。
公式サイトはこちら
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。