特集・コラム
映画のとびら
2022年10月7日
もっと超越した所へ。|映画のとびら #209
劇作家・根本宗子が2015年に発表した同名舞台劇を、根本自身の脚色で映像化。緊急事態宣言発令直前の2020年3月を背景に、4組のカップルをめぐるドタバタがコミカルに描かれていく。監督は、映画『あさはんのゆげ』(2016)、『傷だらけの悪魔』(2017)や、WOWOW制作のテレビドラマ『有村架純の撮休』(2020/第4、8話)を手がけ、今回、根本から直々に指名された山岸聖太。
物語は、まずそれぞれのカップルの女性たちを映し出していく。衣裳デザイナーの真知子(前田敦子)は彼女の中学時代の同級生だった怜人(菊池風磨)とSNSを通じて久しぶりに再会。部屋に上がり込んだ怜人は、そのまま真知子の部屋に居座り、ろくな仕事もせず、なし崩しの同棲生活を始めていく。
バラエティタレントの鈴(趣里)はゲイの富(とみー/千葉雄大)と高級マンションで同居中。恋愛に関する愚痴ばかりをこぼす富を、ずっと温かい目で見守っている。
ショップ店員の美和(伊藤万理華)とフリーターの泰造(オカモトレイジ)は無邪気なカップル。自分のことは棚に上げて甘えてばかりの泰造は、ある日、美和がコロナに感染したのではないかと疑う。
風俗嬢・七瀬(黒川芽以)のもとへ熱心に通う常連客は、子役出身の売れない俳優・慎太郎(三浦貴大)。いつも虚勢を張って文句たらたらの彼だったが、七瀬の目線は優しい。そして訪れたホワイトデーの日、それぞれのカップルはささいなことから関係にひびが入ってしまう。
基本的に、室内での会話劇が中心。原作となっている舞台劇の名残が大きい仕上がりで、ともすれば窮屈になりがちなところを、こなれた台詞回し、軽妙なカッティングでうまくかわしている。シチュエーション・コメディーに似た気分もあり、男女の日常風景に「あるある」とうなずいて接する観客も多いだろう。とりわけ、現在熱愛中の若いカップルにとっては「等身大の実感」が味わえるはず。
カップルの状況、関係図はそれぞれ異なるが、共通しているのは男が全員、ダメ人間だということ。どの女性もダメ男の沼にハマっている。そして、徐々に不満を抱き、怒りの感情をみなぎらせる。ほぼ女性側の立場を「是」とする展開で、女性観客が感情を込めやすいドラマ仕立て。男性観客にとっては身につまされる記憶や失敗の痛みを覚えながら接することになる作品ということになるだろうか。
俳優陣は皆、好調。しっかり芝居で見られる作品になっている。根本宗子と舞台活動を通じて関係の深い趣里や伊藤万理華はもとより、前田敦子、黒川芽以も安定の演技。キャスティングの進捗に合わせて脚本を調整している部分もあり、役へのなじみは当然の結果というべきか。千葉雄大、三浦貴大は圧倒的に芝居巧者であり、OKAMOTO’S のドラム奏者・オカモトレイジなどもこれが演技初体験とは思えない。今やバラエティー番組で全裸を披露することもいとわない菊池風磨は、その「笑い」の印象を軽薄な役どころに投影させて、これまた絶妙。「笑われること」の難しさ、喜びをきちんと知っている人間ならではの味わいが出ているともいうべきか。ほかの3人と同様、ダメダメの臭み、嫌みに埋没することなく、チャーミングな表情を演技のひだに心地よくのぞかせる。ちゃんとコメディーにしている。
だめんずに鬱憤を募らせた女性たちはいったいどんなゴールを選ぶのか。「もっと超越した所」とはどこなのか、「超越」とは何なのか。どこか『スーパーマン』(1978)を連想させるようなクライマックスの仕掛けに快哉を叫ぶか、呆気にとられるかはあなた次第。いい意味で、奇妙な個性を放っている。異色の痛快さを破裂させている。舞台劇的などんでん返し表現を披露しつつ、それでいて通り一遍の笑いに終わらぬ大胆な大団円。その発想と仕掛けは一見の価値あり、とだけ添えておきたい。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。