特集・コラム
映画のとびら
2022年11月10日
すずめの戸締まり|映画のとびら #216
『君の名は。』(2016)、『天気の子』(2019)に続く新海誠監督による長編アニメーション。「閉じ師」と名乗る青年に出会ったことをきっかけに、日本各地の廃墟から現世に漏れ広がる「災い」と対峙することになった女子高生の姿を描く。主人公・すずめの声を演じるのは、1,700人を超えるオーディションから選ばれた原菜乃華(はらなのか)。閉じ師・草太には「SixTONES」の松村北斗。
宮崎県南部の田舎町に住む高校生の岩戸鈴芽(すずめ/声:原菜乃華)は、登校の途中、廃墟を探している大学生・草太(松村北斗)に出会う。一旦、別れたものの、引き返して草太の後を追ったすずめは、山の中の廃墟にひっそりと立つ古ぼけた扉を発見。開けてみると、その向こうには得も言われぬ不思議な空間が広がっていた。しかも、それは幼い頃から何度も夢で見ていた風景。驚きながらも、扉の前に打ち込められていた杭のようなものをつい引き抜くと、それは突然、猫の姿になって逃亡。やがて、扉からは「ミミズ」と呼ばれる災いがヘドロのようにあふれ出してきた。それを食い止めようと、草太が扉を閉めにかかる。草太は災いのもととなる扉に鍵をかけて日本中を回る「閉じ師」であり、すずめがうっかり引き抜いてしまったのは災いを抑える要石だったのだ。宮崎の廃墟ではなんとか事なきを得たものの、逃げた要石=猫(自らダイジンと名乗る)をなんとかつかまえなければならない。しかし、ふたりの前にふいに現れたダイジンは「すずめ、好き。おまえは邪魔」と言って、草太を椅子の姿に変え、再びどこかへ逃亡してしまう。ダイジンの行方を追って、すずめと椅子=草太、ふたりの冒険の旅が今、始まった。
物語の大枠は、世界が転覆するような天変地異の危機を防ごうとする少女の冒険ファンタジー。しかし、その実体はナイーヴな女子高生の感情のひだを描く思春期映画。宮崎では叔母(深津絵里)の庇護を受けていた主人公は、椅子に変貌した閉じ師の青年とともに、最終的に「心の故郷」へと向かうことになる。
「ミミズ」と呼ばれる災い、扉の向こうにすずめが見る世界、そして、閉じ師と呼ばれる青年の存在。それらを理詰めで解釈し、一本の線でつなごうとしてもきっとかなわない。理想の答えは作り手の頭の中にしかない。ただ、この作品の場合、そんな世界観への共感は恐らく二の次で、とことん女子高生の目線に同化し、そこから始まるドライブ感に酔う方が賢明だろう。そもそも、主人公が行動を起こす動機は単純。田舎には珍しいイケメンが道を歩いていた。話してみたら、心がときめいた。追いかけた。そうしたら、彼は大事な役目を担っている人だとわかり、なんとか手助けをしたいと思った。行動を共にしたいと決心した。いわば、一目惚れの暴走なのである。すべては思春期女子の直情が原動力で、物語もその一点で弾む。よくわからない世界の危機、上等。なんとかしなくちゃ、の心意気が、それとはハッキリ気づかぬ恋の気分とともに爆発する。どこまでも心の声にしたがってまっしぐら。特に、十代の客層に響くこと間違いなし。
宮崎の事件を端緒とするドラマは、愛媛、神戸、東京、宮城へと続いていく。その折々にさまざまな人間と出会っていく流れは、ロードムービーのそれと一緒。どこか観光気分をもって九州から四国、中国地方、関東、東北へと主人公の旅を楽しめるかも。ただし、すでに新海誠が発言しているように、その果てには東日本大震災へのレクイエムがにじんでいる。すずめの心の旅は明るい冒険やロマンスばかりではない。ゴールの地に漂うおごそかで切ない空気感は、この作品の要石であった。
「かしこみ、かしこみ」と祝詞(のりと)をつぶやく閉じ師の青年は『もののけ姫』(1997)以降、アニメーション作品の巫女&神主表現の定番。「ミミズ」も同作品の森の神々の変化(へんげ)と重なる? いきなり挿入される松任谷由実のヒット曲《ルージュの伝言》は宮崎駿作品『魔女の宅急便』(1989)を連想させる青春旅情。キスで好きな人の意識を回復させる仕掛けは『眠れる森の美女』(1959)以来の常套手段? そんなこんなの関連付けも楽しいこの作品は、新海誠作品らしい「遠距離恋愛」ムードも端々ににじませて、なんだかんだと「ヒロイン映画」として収斂(しゅうれん)していく。
後ろを振り返らず、目的へまっしぐらの主人公にのるかそるか。人によっては自分勝手、おせっかいにも映るヒロインは、それでも生命力にあふれ、健康的にまぶしい。ここはひとつ、のっていただきたい。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。