特集・コラム

映画のとびら

2023年1月19日

母の聖戦|映画のとびら #228

#228
母の聖戦
2023年1月20日公開


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『母の聖戦』レビュー
ただ固唾を呑んで見守るだけ

 第74回カンヌ映画祭の「ある視点部門」に出品され「勇気の賞(Courage Prize)」を受賞。第34回東京国際映画祭でも審査委員特別賞を受賞したスリリングな人間ドラマ。ひとり娘を誘拐されたメキシコのシングルマザーが、その行方を追ってどこまでも追及の手を伸ばしていく。主演は『赤い薔薇ソーズの伝説』(1994)、『君がそばにいたら』(2020)のアルセリア・ラミレス。監督はルーマニア生まれ、現在はベルギーを拠点に活動をしているテオドラ・アナ・ミハイ。ドキュメンタリー制作を経て、これが彼女にとって記念すべき劇映画デビュー作となった。プロデューサーとして『イゴールの約束』(1996)、『トリとロキタ』(2022)などのダルデンヌ兄弟が名を連ねている。

 メキシコ北部の町に住むシングルマザー、シエロ(アルセリア・ラミレス)は外出先で見知らぬ若い男に声をかけられた。いわく「娘を誘拐した。15万ペソ(約100万円)を明日までに用意しろ。警察には知らせるな。すぐにわかる」。慌ててシエロはデートに出かけたはずの娘ラウラ(デニッセ・アスピルクエタ)に連絡を取ってみたが、電話の応答はなかった。デート相手によると、突然、会うのをやめたという。身代金を用意できないシエロは、愛人と暮らしている別居中の夫(アルバロ・ゲレロ)に協力を要請し、なんとかお金を工面して待ち合わせ場所に向かったが、娘の姿はついに見ることはできず、それどころか5万ペソを追加で払うように要求されてしまう。知人の実力者ドン・リケ(エリヒオ・メレンデス)に協力を求めて用意できた追加の身代金も、あっけなく犯人たちに吸い上げられた。たまりかねて警察にも向かったが、彼らにはまったくやる気が見えない。意を決したシエロは自力で捜索に乗り出すのだった。

 麻薬カルテルの台頭による犯罪の激化、及びそれに伴う誘拐ビジネスといえば、最近ではシルヴェスター・スタローン監督・主演作『ランボー ラスト・ブラッド』(2019)でも題材に取り上げられている。屈強のベトナム帰還兵は敵を一網打尽にして観客の溜飲を下げたわけだが、そんなヒロイックな解決は当然ながら難しい。ランボーですら頭を抱えたメキシコの闇は、細腕の母親をめぐる苦悩の物語を通して、いよいよ底深く、いかんともしがたい現実を観客に突きつけてくるのである。

 とにかく映像から目が離せない。作品が犯罪映画の気分をたたえていることもさることながら、シングルマザーに張り付いて離れないカメラワークが大きいだろう。あくまで主人公の主観的立ち位置に限定することで、情報が遮られ、相手の正体も動機もほとんど読めない。ドキュメンタリー映画出身の演出家らしい手際ともいえるが、むしろロマン・ポランスキー監督の『フランティック』(1988)あたりに手法の共通項を見いだすべきではないか。主人公につきまとう不安と緊張が寸分も絶えることなく、最後まで何が起きるのかわからない展開が続く。希望と絶望の狭間で揺れる観客は、誰にも甘えられない母親の状況、手探りの行動を、ただ固唾(かたず)を呑んで見守るしかない。最良の結果を願うしかない。

 日本の観客からすれば一見、無茶に感じられるシングルマザーの行動も、それを余儀なくさせるメキシコの絶望が大きく覆いかぶさり、ぐうの音も出ない。実に、誘拐事件の発生件数は年間6万件。犯罪者たちは大金持ちを狙って億単位の身代金を要求するのではなく、一般市民を襲って彼らから出そうなギリギリの額面をサラリと奪い取る。万引き感覚、と例えると語弊があるだろうか。犯罪組織は誘拐を手軽で割のいい仕事と考えている。かの地の街では人間の価値が安い。駄菓子のように人間が持ち去られていく。

 邦題に「聖戦」とあるが、無論、宗教的な意味はない。母親としてとるべき行動、その一途さと決意の崇高さを指した表現だろう。原題の「LA CIVIL」とは「市民」の意。なんでもない一介の大衆が誘拐ビジネスに隙を突かれる恐怖が、その簡潔な単語表現に込められているようで胸が痛い。

 もともとドキュメンタリー企画として出発している作品だが、モデルとなった女性は「毎朝、起きるたびに、この拳銃で自殺するか、人を撃ちたいと思う」と監督に語ったという。言葉の奥に怒りと絶望が垣間見える。犯罪組織に対する執拗な追及を続けたモデル女性は、映画の完成前の2017年5月10日、組織の報復によって自宅前で惨殺された。一瞬、空気が変わる映画のラストシーンに接するとき、観客はそこに何を見るだろうか。同情の涙すら許さない気迫、それが切ないほどに全編からにじむ力作である。

 1月20日(金)より全国ロードショー
原題:La Civil / 製作年:2021年 / 製作国:ベルギー・ルーマニア・メキシコ合作 / 上映時間:135分 / 配給:ハーク / 監督:テオドラ・アナ・ミハイ / 出演:アルセリア・ラミレス、アルバロ・ゲレロ、アジェレン・ムソ、ホルヘ・A・ヒメネス
公式サイトはこちら
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文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 


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