特集・コラム
映画のとびら
2023年2月3日
コンパートメントNo.6|映画のとびら #233
第74回カンヌ映画祭にてグランプリ(最高賞のパルムドールに次ぐ第2席/旧・審査員賞)に輝いたとある男女の心の物語。1990年代を背景にモスクワからムルマンスクへ、ペトログリフ(岩石彫刻)を見に出かけたフィンランド人女学生と、列車で相席となった粗野なロシア人炭鉱夫の旅を描く。監督は、長編デビュー作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』(2016)で第69回カンヌ映画祭「ある視点」部門のグランプリ(最高賞)に輝いているフィンランドの新鋭ユホ・クオスマネン。今回が長編第2作となる。フィンランドのアカデミー賞に当たるユッシ賞では作品賞、監督賞、脚本賞、主演女優賞(セイディ・ハーラ)、撮影賞、編集賞、メイクアップ賞、セット・デザイン賞を受賞。米アカデミー賞国際映画賞部門にフィンランド代表で出品されたほか、第79回ゴールデングローブ賞では外国語映画賞の候補となった。
フィンランド人女学生のラウラ(セイディ・ハーラ)がモスクワ発の寝台列車・二等車6号コンパートメント(客席)に乗り込むと、そこにはすでにひとりの若いロシア人男性が座っていた。その男リョーハ(ユーリー・ボリソフ)はムルマンスクの鉱山に向かうつもりだという。実はラウラの目的地もムルマンスクで、古いペトログリフ(岩石彫刻)を大学教授の恋人イリーナ(ディナーラ・ドルカーロワ)と一緒に見に行く予定だった。ところが、イリーナは旅をドタキャン。ただでさえ滅入っているところへ、目の前の若い炭鉱夫はウォッカをがぶ飲みし、タバコをふかしながらロシア自慢ばかり。酔っぱらった声で「フィンランドで“愛している”は何て言う?」と聞かれたラウラは嫌味を込めて「ハイスタ・ヴィットゥ(フィンランド語で“くたばれ”の意)」と答えて応じるが、しまいには「列車で売春でもしているのか?」などと聞かれて怒り心頭。女性車掌のつっけんどんな態度にも愛想が尽きて、モスクワに引き返そうと考え始める。
ムルマンスクとはモスクワから北上すること2,000kmの場所に位置する極寒の地。ほぼ北極圏である。凍てついた心で列車に乗り、凍てつく男との出会いをし、凍てつく数日間を列車移動に費やす。寝台列車の客室で男と相席になるという状況は、もはや一つ屋根の下に住むことになった男女と同じ。設定も展開もラブストーリーとして定番の仕掛けといっていい。とはいえ、ラブストーリーと呼ぶにはちょっと悩ましい。少なくとも、大人の恋物語ではない。実際、描かれたのは子ども同然の純真で無垢な心のふれあい。大きいなりして、精神的にはガキ。どこまでもウブな男と女なのである。年端もいかない少年少女がケンカし、仲直りし、しまいには相手がいなくて寂しくなる。そんなような、かわいい映画。
物語の骨格は単純な「ボーイ・ミーツ・ガール」もの。だから、複雑な心理のあやや、意外な事件、先の読めないミステリアスな展開などを期待してはいけない。それこそ、客室でにらみ合っているふたりを横から眺めるような、そんな気分で接すると、彼らの心の動きに胸が躍ってくる。関心が徐々に深まる。
ラウラ、リョーハを演じる俳優たちは決してアカ抜けた美男美女ではない。きれいに見せようともしていない。それがまた「心のウブ」を引き立たせる。彼らを身近に感じさせる。スマホのようなお手軽な通信手段などない時代、男と女はどこまでも素朴だった。そんなかつての「顔」がここにあるといってもいい。
演出的には、あっさりしたタッチ。冷めているといってもよく、設定はベタでも、ベタな感情をたきつけることはない。同じフィンランド人監督のアキ・カウリスマキと比べるなら、ずっと大衆性を持った演出スタイルで、様式にこだわるような素振りなども見えない。無論、喜劇もねらっていない。でも、軽妙。無駄もない。この感触は同じ監督の前作『オリ・マキの人生で最も幸せな日』にどこか通じる部分で、そんな独特の作家的ニュアンスにあらためて目を向けるのももちろん一興だ。
歴史的、国家的な切り口から眺めることもできる。ロシアという国名が用いられていることを思うと、恐らくこれはソビエト連邦崩壊から間もない時代の物語。フィンランド人学生がモスクワでロシア人女性教授との自由恋愛にふけっているあたりもなかなかだが、列車の一室にフィンランド人とロシア人を同席させるという構図がとりわけ象徴的だろう。くっついたり離れたり、ケンカしたりを続けている両国の姿を、列車内の男女に重ねてみるのもきっと楽しい。ロシアによるウクライナ侵攻が起きてしまった現在、両国の距離は政治的にずいぶん遠くなったが、この映画を見ながら再び平和的に接近してほしい願う観客も出てくるかもしれない。無論、粗野なロシア人炭鉱夫にプーチン大統領をダブらせる必要はないけれど。
クライマックス。吹雪の北極圏の情景が広がる。まさに凍てつくような荒涼たる岩の港町。そこに静かに立ち上ってくる抒情感、感動をどう説明したらいいだろう。そして、誰もが胸をなで下ろすラストシーン。ラブストーリー以外の表現を探るなら、さしずめ、心の雪解けを描く物語、というべきか。暖かい陽差しと満面にあふれる笑顔が主人公を待っている。新しい春の夜明けが今、始まる。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。