特集・コラム
映画のとびら
2023年3月2日
Winny|映画のとびら #239
2004年、ひとりのプログラム開発者が逮捕された。革新的なファイル共有ソフト「Winny(ウィニー)」を作り上げた金子勇である。しかし、それは警察側による不当な嫌疑なのではないか。彼を擁護する弁護団は金子とともに、7年半にわたって司法の場で争った。この映画はその記録を映像化したもの。金子役に東出昌大、主人公を支える弁護士に三浦貴大。監督は『ぜんぶ、ボクのせい』(2022)の松本優作。
「Winny」が開発されたのは2002年のこと。開発者の金子勇(東出昌大)は難しいことなど考えずに「47」というハンドルネームで電子掲示板「2ちゃんねる」に無料公開したが、瞬く間に200万人以上の人間に利用され、大量の映画やゲーム、音楽などが違法アップロードされる事態を引き起こした。折しもネット上で違法コピーが問題となっていた時期。京都府警は2004年、著作権法違反幇助の容疑で金子勇を逮捕に踏み切る。サイバー犯罪に詳しい弁護士の壇俊光(三浦貴⼤)はこれを不当逮捕と判断し、弁護団を結成。金子を責めるマスコミや検察側と真っ向から対決する決心を固めるのだった。
弁護士の壇は言う。「誰かがナイフで⼈を刺すという犯罪があった場合、ナイフを作った⼈間を罪に問うことはできない」と。金子勇についても同様であるという理屈で、金子を国家権力が断罪するということは開発者の権利はおろか、日本の未来も危うくするのだ、と。その点では一種の社会派ドラマといってよく、後半から始まる裁判場面ではいよいよ法廷ドラマの様相を呈し、その緊張感で見る者の目を離さない。
「Winny」をめぐる刑事裁判があったことを記憶している人でも、その細部、顛末までは知らないはず。いったいどんな結末がそこには待っていたのか。それを目撃する興奮は大きく、いろんな意味で蒙(もう)を啓(ひら)かれる観客も多いのではないだろうか。一方で、金子勇の逮捕がいかに他人事ではないか、日本の技術者にとって重要な裁判であるかが太い説得力をもって迫ってくる作品でもある。語り口に専門的な偏りはなく、コンピューター、ネット関係に不案内な人でも全く理解が難しくない。
昨年8月、『ぜんぶ、ボクのせい』で商業映画デビューを果たした新鋭・松本優作だが、「社会と人間」という切り口は前作と相通じるものであり、個々の人間を丹念に見つめようとする演出も同様に肝が据わっている。『ぜんぶ、ボクのせい』を一種の思春期映画としてとらえていた向きには、突然、硬派な作品を撮ったかのように映るかもしれない。それほどに、7年半に及ぶ法廷闘争を2時間あまりにぎっしり詰め込んだ構成の妙と作劇のエネルギーは圧巻。人間ドラマとしての面白みに引き込まれながら、今年31歳という若き才能の可能性にあらためて感嘆の声を上げることになるだろう。
東出昌大は金子を研究する過程で18kgの増量を敢行。三浦貴大も当事者の壇俊光から弁護士としての矜持、言動、仕草を学んで、主任弁護士を演じる吹越満とともに役の現実感をみなぎらせた。サブストーリーとして、警察の裏金問題を告発する巡査部長(吉岡秀隆)の姿が刻まれるが、一見、何の関係もなく映るそれが最終的に本筋、及びマスコミ問題に絡んでいくあたりもスリリングだ。
壇俊光によれば、実際の金子勇はプログラムにしか興味のない人間だったとのこと。一種の「おたく」。裏返せば、どこまでも純粋な男だった。裁判の行方よりも、係争中にプログラムをいじれないこと、親しい姉と話せないことの方が苦しい。自身の体面などどうでもいい。ただ、新しい開発をしたい、その作業に没頭したい。そんな邪気のない姿に弁護士たちもほだされたのではないか。観客も同じ。ドラマが進むごとに、金子勇という男のことを応援している。いつの間にか、好きになっている。
果てなき闇の中にやがて浮かび上がる無垢なる魂、その美しさこそがこの作品のハイライトだろう。ラスト、運命の皮肉に観客はきっと心のざわめきを隠せない。得も言われぬ感動がそこにある。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。