Vol.12

新百合ヶ丘

必要な音。

この駅に来たのは二度目だ。まだ駆け出しのライターの頃に撮影の立会いで来たことがある。立会いと言うとかっこよく聞こえるけれど、いわゆる見学で、いてもいなくても何にも影響がない「おまけ」みたいなものだった。それに比べると、今回は重要な取材をまかされたのだから少しは成長したのかなと思う。新百合ヶ丘の改札をくぐると十何年も経っているせいかそれとも街が変わったのか、景色に見覚えがない。デジャブの反対?初めて訪れたような感覚が不思議だった。
無事に取材を終えて一人で駅に向かった。「丘」がつく街は坂が多い。坂を歩くのは嫌いじゃない。足元に意識を集中するせいか、小さな音やかすかな匂いに敏感になる。坂を越えると住宅街が見えてきた。さまざまな生活音に混じってピアノの音が聴こえてきた。練習中なのか同じフレーズを繰り返している。印象派のドビュッシーかラヴェルか、もしかしたらサティかも。心地よい音色が風を泳いで耳に届く。複雑な和音。ベースの音の上で、軽やかな音が踊る。新しい音が新しい世界を築く。広がって、膨らんで、輝きはじめる。音と音が連鎖して、違う表情を生み出す。そうか。不必要な音なんてないのかもしれない。一つひとつの音にちゃんと意味があるんだと、坂をのぼりながら僕は昔の自分のことを考えた。

あの時、僕がこの街に来たことにもきっと意味があったんだと思う。不必要なものなんてない。この世界は、必要なものだけでできている。坂の上で振り返ると、少しだけこの街を懐かしく感じた気がした。

沿線ではたらく人 OP PERSON 小田急線沿線ではたらく人と、ピックアップした方のおすすめのスポットをご紹介します。