Vol.10

南新宿

小さな町の小さな冒険。

「新宿駅は乗降客数が世界一なのに、その隣の南新宿駅は小田急線でいちばん乗降客が少ないんだって。私そこに住んでるの。」と友達の女の子が話すのを聞きながら、僕は耳元の小さなピアスを見ていた。静かでいいところだよ、としきりにアピールするので、週末に仕事仲間3人と彼女の家で食事会をする約束をした。
当日、待ち合わせの南新宿駅に着くと、まだ誰も来ていなかった。僕は改札をくぐって散歩することにした。街は冬の夕方の柔らかな光にあふれていた。路地を抜けると住宅街があった。夕飯のにおいがする。シチューか、ポトフか、もしかしたらカレーに変身するかも。そんなどうでもいいことを考えていると、スマホの充電が切れていることに気づいた。彼女の家の住所も電話番号も覚えていない。ふと、窓から高層ビルが見えると言っていたのを思い出して、僕は心細さをごまかすように上を見ながら、あちこちを歩き回った。寒くて耳がちぎれそうだった。30分ほどさまよったころ、いたいたー、と彼女の声。遅いからみんなで買い出ししちゃったよ、とスーパーの大きな袋を僕に手渡す。迷子になってさ、と言う僕に「でもちゃんと会えたでしょ?そういう町なの、ここは」と笑う彼女の耳元に、あの小さな青いピアスが揺れていた。

船じゃなくて舟、樹じゃなくて木、華じゃなくて花、街じゃなくて町。小さな町で迷子になって、小さな部屋で過ごした夜を、僕は頭の中の小さな引き出しにそっとしまった。

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