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映画のとびら

2019年7月12日

存在のない子供たち|新作映画情報「映画のとびら」#017

#017
存在のない子供たち
2019年7月20日公開


©2018MoozFilms/©Fares Sokhon
レビュー
絶望の日々と闘った少年は今、どうしているのか

 レバノンの貧民街に生きる少年の苦難と闘いを描く人間ドラマ。

 原題の「カペナウム」とは、フランス語においては新約聖書のエピソードから転じて「混沌」、あるいは「修羅場」の意味合いを持つという。日本では『存在のない子供たち』という邦題が採用されているが、その両者を鑑みながら作品に接すれば、その世界観が理解されやすいだろうか。

 存在しない、すなわち、出生届を親から提出されていないがゆえに、法的に存在していない少年が主人公。出生届を出すお金もない両親から生まれた彼が、監獄から法廷へと出向き、原告席に立つところから物語は本格的に始まる。少年が投獄された理由は、怨みのある男を刺したこと。だが、マスコミを通じ、裁判に繰り出してまで訴えたかった相手は自身の両親だった。その罪状は、少年いわく「自分を産んだこと」。

 ここから映画は裁判に至るまでの経緯を回想していく。自身と同様の境遇にある兄弟姉妹、街の仲間と路上で違法な物販をしながら、日々を暮らしていた彼、その名もゼイン(ゼイン・アル=ラフィーア)は推定年齢12歳。わずか11歳でアパートの大家アサードに強制的に嫁がされようとしていた妹のサハル(シドラ・イザーム)と逃亡を図るも、これに失敗。失望からそのまま家を後にし、見知らぬ街で不法就労しているエチオピア移民の女性ラヒル(ヨルダノス・シフェラウ)と出会う。彼女の赤ん坊ヨナス(ボルワティフ・トレジャー・バンコレ)の子守りをしつつ、ラヒルのバラックで共同生活を始めたが、ある日、市場に出かけたラヒルがそのまま失踪。乳飲み子を抱え、行き詰まった彼は、やがて悲痛な決心をする。

 物語自体は絵空事だが、監督のナディーン・ラバキーが3年もの時間をかけ、貧困地域でのフィールドワークを重ねて生み出したもの。その上、俳優経験のある監督自身がゼインの弁護士役で出ている以外、登場人物と境遇が同じ、もしくは遠くない素人がそろえられており、カメラの操作も全編、ブレや揺れを生かした手持ち撮影。観客によっては現実感を超えて、ある種のドキュメントを見る気分に陥るのではないか。

 ラバキーのモットーは「第一に、映画は疑問を投げかけるためのツール」。つまり、問題提起が第一の人物であり、恐らく彼女にとって「物語」はそれを飲みやすくする食品カプセルのようなものだろう。確かに、この映画で描かれる貧民窟の地獄には、それを見る人間に痛みや戸惑いを与え、現代社会の歪み、不条理を考えさせる瞬間がある。そのあたり、まさに製作者の意図に沿う形になっているわけだが、一方でこの理知的な女性監督はドキュメンタリーという手法を選んだわけでもなかった。結果、その作品は特定の現実にとどまらない、地域も人種も民族も超えた普遍的なメッセージへと昇華している。その豊かさ、強さ。

 この映画は一種の社会批判である。改善への願いでもある。それでいて、単に痛ましいだけの告発劇に終わらなかったのは、出演陣からにじむ経験、人となりゆえ、だろう。とりわけ、主演を務めたゼインのりりしい存在感にとどめを刺す。憂いと怒りをあわせたたえたその目力は印象的で、作品の良心となって観客を導いた。目鼻立ちが整った美男子でもある彼の素顔は、シリア難民。2018年8月、国連難民機関の助力でベイルートからノルウェーへの定住がかなったという。今年15歳。現在、どのような生活を送っているのか。この映画を見た観客で、その行方が気にならない者など、恐らくどこにもいないだろう。

 公的証書の有無にかかわらず、子どもたちは確かに「存在」しているのだ。

 7月20日(土)より新宿武蔵野館ほか全国公開
原題:Capharnaüm / 製作年:2018年 / 製作国:レバノン、フランス / 上映時間:125分 / 配給:キノフィルムズ / 監督・脚本・出演:ナディーン・ラバキー / 出演:ゼイン・アル=ラフィーア、ヨルダノス・シフェラウ、ボルワティフ・トレジャー・バンコレ
公式サイトはこちら
あわせて観たい!おすすめ関連作品

(C) 2015-ALL Rights Reserved Dorje Film
DRAMA
タイトル ブランカとギター弾き
(原題:Blanka)
製作年 2015年
製作国 イタリア
上映時間 77分
監督・脚本 長谷井宏紀
出演 サイデル・ガブテロ、ピーター・ミラリ、ジョマル・ビスヨ、レイモンド・カマチョ

スラムで生きる少年少女たち

 映画『存在のない子供たち』以外にも、スラム街を生きる人間を描いた21世紀作品は少なくない。

 ブラジルのリオデジャネイロの貧民街を舞台にした『シティ・オブ・ゴッド』(2002)は、犯罪社会の中で生き延び、のし上がっていく少年たちを迫真の暴力描写で見せた佳作。後に『ナイロビの蜂』(2005)という傑作を撮るフェルナンド・メイレレスという映画監督の名を世界的に広めた作品でもある。

 インドはムンバイ出身の若者がクイズ番組で快進撃する物語『スラムドッグ・ミリオネア』(2008)は、主人公の回想描写でかの地の格差社会問題を考えさせつつ、スピーディーかつ娯楽色豊かな語り口で見せた快作。第81回米アカデミー賞で作品賞ほか6部門を制する快挙も成し遂げた。

 シュボシシュ・ロイ監督による『アリ地獄のような街』(2009)では、バングラデシュのダッカが舞台になっている。ストリートチルドレンの保護活動を行うNGOの代表が作った作品だけに、興行収益が路上生活をしている子どもたちに還元されているのがミソ。

 日本人の監督・長谷井宏紀が撮った『ブランカとギター弾き』(2015)はフィリピンのスラムが対象。ストリートチルドレンの少女と盲目のギター弾きの交流が優しく描かれ、感動を呼んだ。

 ドキュメンタリーでは『未来を写した子どもたち』(2004)が一見の価値あり。こちらは、インドのカルカッタにある売春窟が舞台。カメラを手にして才能を発揮していく少女たちの姿がまぶしい。

 上記の映画題名にもあるとおり、「子供」という表現には「子ども」「こども」などと表記がわかれることがある。今回、その違いが意味するところを考えるのも、一興ではないだろうか。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 


【小田急沿線での上映予定】

川崎市アートセンターアルテリオ映像館(2019/8/31~9/13)

*『存在のない子供たち』は、TOHOシネマズ海老名、イオンシネマ、ユナイテッド・シネマでの上映はございません。(2019年7月12日現在)