特集・コラム
映画のとびら
2019年12月18日
この世界の(さらにいくつもの)片隅に|映画のとびら #040
(さらにいくつもの)片隅に
こうの史代原作、片渕須直監督による人気アニメーション『この世界の片隅に』(2016)が、装いも新たに公開される。2016年11月12日の初公開時、129分の尺をもって完成とされていた同作品は、実のところ、製作資金の関係から、もともと約135分の尺にギュッと圧縮されていた絵コンテを30分ほど刈り込んだ上、窮屈になっていたシーン、カットの間尺にゆとりを持たせて構成、作画を行い、2時間の尺を目処にまとめたものだった。あれから3年。『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』と改題された2019年完成作は、その未映像化に終わっていたコンテ部分を129分版に歩調をそろえたテンポで復刻し、168分という長尺の中に戦時を見つめ直した、もうひとつの「新作」となっている。
物語の大筋は変わらない。広島に生まれた少女・浦野すず(声:のん)が、18歳で呉に嫁ぐことになり、海軍軍法会議所に勤める4歳上の男性・北條周作(細谷佳正)の妻として、北條家や地域の面々とともに太平洋戦争下の日常を過ごしていくというもの。
実に250以上ものカットが追加され、40分近くの増補が行われた新作画部分の内容を眺めるなら、大半が遊郭で働く女性・リンをめぐるエピソードである。129分版では、リンは遊郭に迷い込んだすずがひょんなことから遭遇する「かりそめのひと」でしかないのだが、原作の読者なら承知のとおり、やがてすずとほのかな友情を育んでいく相手であり、同時に夫と知られざるつながりを持つ存在だった。129分版のエンド・クレジット後では、紙芝居のようにその人生が紹介されていた登場人物だ。
リンと周作との関係を知り、すずは揺れる。ある種のひとり相撲、取り越し苦労に終わっている部分があったとはいえ、その感情のひとつは明らかに「嫉妬」だった。
129分版では、どこかウブで性的な匂いが少ない、もしくは抑えられている女性だったすずは、この168分版で明らかに「大人の女性」になった。生々しいオンナの情感が、そこに漂う。その新しさ。
すずの感情が波打つことで、129分版で何気なく通り過ぎていたカットや場面が共鳴を始める。たとえば、夫・周作の言動。すずとその幼なじみ・水原哲(小野大輔)に対して行った周作の行為は、すずがリンに抱いた感情に正対するものだ。あるいは、すずが空襲時に「広島へ帰る!」と周作に激情をほとばしらせる場面。そこに、どんな思いが重なっていたのか。一方通行だった感情表現が立体的な彩りを迎える。
感情的な部分だけではない。すずの日常描写が増えることで、ちょっとした小物までもが存在の裏付けを得ていく。たとえば、口紅。129分版でいきなり登場し、空襲で粉々にされる口紅を、すずはどういう経緯で自身のものとしていたのか。その理由が明らかになる。見応えとなる。
168分版の彩りとふくらみを前にすると、129分版がいかに真っ直ぐな「速球」だったかがわかる。
一旦、ひとつの映画として完成を迎えた129分版を前に、この168分版はどういう位置づけになるのだろうか。単なる長尺版に映る人もあるだろう。増補完全版=一種のディレクターズ・カット版だと叫ぶファンもいるかもしれない。中には、それぞれ全く別の作品として、棲み分けを楽しむ観客もいるはず。反対に、満足の度を超え、戸惑いや嫌悪感を覚える向きも出てくるだろうか。日常だけを追う物語としては尺が長すぎるという意見が出たとしても驚かない。それほど「いくつもの」心の機微がスクリーンに映し出され、それを見つめる観客に「さらにいくつもの」感情を弾けさせる。「世界」が広げられる。
恐らく、原作を読み込んでいる観客は「あるべき姿に仕上がった」と膝を打つだろう。作られるべくして作られた作品だと。もちろん、片渕須直の「世界の完成」への執念の結果である。129分版が興行的成功を迎えなかったら、この新作はなかった。129分版の劇場公開前、「興行収入が10億円を超えたら(当初の絵コンテのとおりに)作っていい」と片渕に語ったのはプロデューサーの真木太郎である。129分版の興行成績は今日までに27億円を超えていた。真木は約束を守った。動き出した片渕は当初、2018年暮れの公開だった作品をさらに1年、完成を延期させ、劇場公開直前まで細部に手を入れ続けた。尽力は復元カット以外の既存カットにも及んでいる。その情熱が、すずの感情をより強くした。すずの世界をより精緻にした。予算に苦しみながら、7年をかけてコツコツと129分版を仕上げた片渕にとって、これはご褒美の新作ともいえる。それは同時に、この作品を愛でる多くの観客にとってもご褒美となった。
新作部分の追加に当たって、コトリンゴによる音楽も新曲が追加制作されている。エンディングに流れる歌曲《たんぽぽ》については打ち込み音が混じった伴奏に「いくつもの」生楽器が新たに注ぎ込まれた。その響きが見る者の耳にどう映えるのか、どう新たな意味を持つのか。心のざわめきは最後まで尽きない。
この世界の片隅には、まだまだ、さまざまな感情が横たわっている。
公式サイトはこちら
(C)2017 Breadwinner Canada Inc./Cartoon Saloon (Breadwinner) Limited/ Melusine Productions S.A.
タイトル | ブレッドウィナー (原題:The Breadwinner) |
製作年 | 2017年 |
製作国 | アイルランド・カナダ・ルクセンブルク |
上映時間 | 94分 |
配給 | チャイルド・フィルム、ミラクルヴォイス |
監督 | ノラ・トゥーミー |
公式サイト | https://child-film.com/breadwinner/ |
12月20日より全国順次ロードショー
戦時下の日常を描くということでは、こちらのアイルランド製アニメーションも捨て置けない。
『ブレンダンとケルズの秘密』(2009)、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』(2014)といった良作で知られるアイルランドのアニメーション・スタジオ「カートゥーン・サルーン」が、カナダの作家/平和活動家デボラ・エリスの小説『生きのびるために』を映像化した人間ドラマ。2017年度の第90回アカデミー賞において、長編アニメーション部門の候補となっている。
舞台は、アメリカ同時多発テロ発生直後の2001年、アフガニスタンの首都カブール。路上の物売りで細々と生活を続けていた少女パヴァーナ(声:サーラ・チャウディリー)は、ある日、いわれなき理由でタリバンに父親を連れ去られてしまう。残された母、姉、幼い弟の生活はたちまち困窮。女性だけでの外出を禁じられている同地で生き抜くため、パヴァーナは長い髪を切り、少年に化けて稼ぎに出るのだった。
原題の「Breadwinner」とは「稼ぎ手」の意味。すなわち、ヒロインを指す。
過酷な物語である。タリバン支配下のアフガニスタンは平和ボケにまみれた国の人間から見れば、あまりに理不尽であり、平気で女性を足蹴にするなど、男尊女卑もはなはだしい。収容所同然の刑務所に放り込まれた父親に会いたいがため、危険を冒さざるを得ない少女の姿には切なさを超えて胸が痛いほどだ。
少女が弟に語る「象の王様をめぐる童話」が折々に挟み込まれるなど、心がやわらぐファンタジー映像も出てくるが、映画は最後までかの地の「現実」から目をそらさない。その現実をただ観客が目撃する映画。否定も肯定もない。そんな世界にも人間の営みがあること、生きようとする人々の存在があることを、この作品は観客にあらためて確認させ、教えてくれる。識字率が高く、文盲率が低いわが国から見れば、路上で手紙を読むことでお金を稼ごうとする少女の行為ひとつにも蒙(もう)をひらかれるのではないか。
俳優業の一方、国連難民高等弁務官の特使を務めるアンジェリーナ・ジョリーが製作陣に協力を申し出たのも道理。エグゼクティブ・プロデューサーとしてのジョリーのクレジットは大きな後押しになっている。彼女による「パヴァーナのような少女は何百万人といる」との声明は、どこまでも重く、生々しい。ボクらはアフガニスタンについて、まだ何にも知らない。「知ること」から始めなければならない。
高畑勲監督の『火垂るの墓』(1988)ほどの絶望感はない。十分に救いのある物語であり、パヴァーナ一家の絆には心が動き、温まる。機知と配慮に富んだ作画と美術にも見るべき瞬間が多く、アフガンの民族楽器や合唱を取り入れたマイケルとジェフのダナ兄弟による音楽にも耳がそばだつこと間違いない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。