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映画のとびら

2020年7月31日

剣の舞 我が心の旋律|映画のとびら #068

#068
剣の舞 我が心の旋律
2020年7月31日公開


© 2018 Mars Media Entertainment, LLC, DMH STUDIO LLC
『剣の舞 我が心の旋律』レビュー
「我が心の旋律」が投げかけてくるもの

 《剣の舞》という曲名にピンと来なくとも、日本人なら恐らくだれの耳にもなじんでいるだろう。ルロイ・アンダーソンの《ラッパ吹きの休日》とともに、運動会の定番BGMになっている舞踊曲。正確にはバレエ曲《ガイーヌ》(1942年初演)の最終幕に登場する楽曲であるが、旧ソ連が生んだ作曲家アラム・ハチャトゥリアンは、この曲をたったひと晩で作曲したといわれる。そこにはいったいどんな事情が隠されていたのか。これが日本で最初の正式な劇場公開作品となるウズベキスタンのベテラン監督ユスプ・ラジコフが、フィクションを折々に交えつつ、伝説的作曲家の苦悩を鮮やかに描き出していく。

 時は1942年11月29日。キーロフ記念レニングラード国立オペラ・バレエ劇場では、12月9日に初演を控えたバレエ《ガイーヌ》のリハーサルが連日、続けられていた。振付師ニーナ・アニシモア(インナ・ステパアーノヴァ)から度重なる変更の声がかかる中、アラム・ハチャトゥリアン(アンバルツム・カバニャン)は苛立ちを抱えながら、譜面の改訂に余念のない日々を送っている。そんな折り、文化省の役人プシュコフ(アレクサンドル・クズネツォフ)が視察に訪れ、ほどなくして《ガイーヌ》の最終幕に戦意昂揚のための踊りを追加せよとの命令を下した。実は、かつてプシュコフはハチャトゥリアンとは同じ音楽家の師を持つ学友だったものの、彼の才能をねたんだ末に決別した過去を持っていたのである。国策に乗じて個人的な怨恨を晴らそうとする下劣な圧力に、希代の作曲家が選んだ道とは何だったのか。

 クルド人の踊りを描く楽曲《剣の舞》が今日、これほど東洋の少年少女たちの運動会で士気高揚をかなえているとはハチャトゥリアンも想像しなかったろう。逆に、運動会のたびに耳にしている大半の日本人が曲名はおろか、ハチャトゥリアンの名前にもたどりつけないでいる事実もちょっとさびしい。その意味では、ひとつの「答え合わせ」作品としてこの名曲誕生秘話が紹介されることは楽しく、そもそもハチャトゥリアンの人生がわずか数日間とはいえ、映像化されること自体、貴重な機会といえる。

 果たして、ここに描かれる名作曲家、39歳の冬の物語は、戦争と政治に翻弄される一種の悲劇だった。スターリンを最高指導者に仰いだソビエト社会主義共和国連邦は当時、第二次世界大戦の真っ直中にあり、民衆はスターリンによる粛正の恐怖におびえる日々を送っていた。芸術家たちも例外ではない。劇中、彼らに対する体罰や拷問の描写などは描かれないが、いかんともしがたい社会主義大国の理不尽かつ抑圧的な空気、それがこの映画にはある。とある時代のとある大国には国家権力の非道が確かにあったのだ。

 ハチャトゥリアンの場合、少なくとも政治的圧力の前に自作の加筆を余儀なくされた。当然、鬱屈(うっくつ)もあったろう。しかし、この映画はその葛藤だけで終わらせない。精神的逆境のなかでもアルメニア人としての民族意識を噴出させる作曲家、その激しい気概を刻み込む。小国の集合体でもあった旧ソ連ならではの描写といえるかもしれない。監督のユスプ・ラジコフもウズベクの人。ハチャトゥリアンの故郷ジョージア(グルジア)同様、旧ソ連時代にはさまざまな圧力を受けたことだろう。作曲家の苦闘に自らの経験を重ねて描いている節は十分にあり、やはり作品を単なる評伝に終わらせていない。

 実話の反映ということでは、疲弊したハチャトゥリアンのもとにドミトリー・ショスタコーヴィチ、ダヴィッド・オイストラフという作曲家、ヴァイオリン奏者が訪ねてくるばかりか、3人で路上三重奏を披露する場面が楽しい。実際はこの映画とは別の時期に3人の三重奏は開かれているのだが、彼らの友情が具体的に描かれる上に、ハチャトゥリアンのチェロ演奏まで提示される。実はハチャトゥリアン、学生時代の専攻科目のひとつがチェロだった。《ガイーヌ》初演時の舞踊再現ともども、クラシック・ファンの溜飲をさげるだけでなく、一般の観客にもこぼれ話、プチ情報として興味深い仕掛けではないだろうか。

 映画の冒頭には、ジョージア時代のハチャトゥリアン少年を描く構成もとられている。彼と一緒に遊ぶ少女、彼女の名がイカしている。さりげなく台詞の中に登場するその名前は「ガイーヌ」。ハチャトゥリアンはバレエ曲に初恋の人の名を冠したのだ。個人的にはそんな逸話、聞いたことがない。恐らくフィクションだろう。だが、バレエ曲の主人公にアルメニア人女性を配した理由に対して、これほどロマンティックな推察的解釈もない。劇中でハチャトゥリアンが当局の改作命令に悩んだ意味も大きく変わってくる。同じくフィクションという部分では、ハチャトゥリアンに思いを寄せるバレエ団員のエピソードもロマンティックだろう。こちらは甘い、というより切ないロマンなのだが、これも作品に情感的うねりを加えている。概して淡々とドラマが進んでいく本作品は、その意味では水面下の情熱をどうすくいとるかが肝要だろう。

 ハチャトゥリアンは後年、《剣の舞》人気が独り歩きする状況に苦言をもらしたという。実際のところ、《剣の舞》はヤケクソで書いた曲だったかもしれない。作曲者としては単なる一部ではなく、《ガイーヌ》全体での評価、あるいはそのほかの著作への関心も求めたかったのだろう。今日の日本の運動会での《剣の舞》のありようは、だから彼にとって苦笑の対象になるかもしれないが、この曲を端緒にハチャトゥリアンを知る人間も少なくないわけで、彼が残した作品には聴く者の心をかきたてる名旋律がほかにも数多くある。「我が心の旋律」という副題が投げかけてくる意味を、むげに袖にしてはいけない。

7月31日(金)新宿武蔵野館ほか全国順次公開
原題::Tanets s sablyami / 製作年:2019年 / 製作国:ロシア・アルメニア / 上映時間:92分 / 配給:アルバトロス・フィルム / 監督・脚本:ユスプ・ラジコフ / 出演:アンバルツム・カバニャン、アレクサンドル・クズネツォフ、セルゲイ・ユシュケビッチ
公式サイトはこちら
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タイトル パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト
(原題:Der Teufelsgeiger)
製作年 2013年
製作国 ドイツ
上映時間 122分
監督・脚本 バーナード・ローズ
出演 デイヴィッド・ギャレット、ジャレッド・ハリス、アンドレア・デック

クラシックの作曲家を描いた映画たち

 クラシックの作曲家を扱った映画といえば、モーツァルトの半生を描いた『アマデウス』(1984)が最も大衆認知を得ているだろうか。モーツァルトと同時代に活躍した宮廷作曲家サリエリが語り部となって進行するドラマ構成が鮮やかで、第57回アカデミー賞での作品賞受賞も納得の傑作。

 モーツァルトを描いた作品には『モーツァルトの恋』(1942)もある。こちらは、モーツァルトの恋愛部分にのみ焦点を当てた内容で、妻と妻の姉の間で揺れる彼の姿が描かれている。

 同じく楽聖と称されるベートーヴェンでは『不滅の恋 ベートーヴェン』(1994)と『敬愛なるベートーヴェン』(2006)が秀逸。それぞれバーナード・ローズ、アニエスカ・ホランドという映画監督の個性が強烈に反映された内容で、前者ではベートーヴェンの秘めた恋が、後者では女性写譜師との交流がシリアスに、時に人間くさく描かれていく。

 ショパンには『楽聖ショパン』(1945)と『ショパン 愛と哀しみの旋律』(2002)があり、ラフマニノフには『ラフマニノフ ある愛の調べ』(2007)がある。超絶技巧で知られる美男ヴァイオリン奏者パガニーニについては『パガニーニ』(1989)と『パガニーニ 愛と狂気のヴァイオリニスト』(2013)の2作品がオススメ。前者ではクラウス・キンスキーの怪演が、後者では現代の美男ヴァイオリニスト、デイヴィッド・ギャレットの容姿&演奏がそれぞれ映画ファンと女性観客を狂わせるはず。

 リストを描いた『わが恋は終りぬ』(1960)やストラヴィンスキーを扱った『シャネル&ストラヴィンスキー』(2009)もそうだが、大半が作曲家の恋愛部分に目を向けた作品で、題名にも愛、恋の文字が躍る。製作側にも配給側にも、音楽にロマンティックな情感を重ねる傾向が強いのだろう。

 シューマン関連では『愛の調べ』(1947)を筆頭に、『哀愁のトロイメライ』(1983)、『クララ・シューマン 愛の協奏曲』(2008)などと、妻クララに比重を置いた作品が多いのも一興。また、ハリウッドの西部劇で高い人気を誇った作曲家ディミトリ・ティオムキンが晩年、プロデューサーに転じ、故国の大作曲家を取り上げた『チャイコフスキー』(1970)という作品もなかなかの力作。

 クラシックの作曲家を題材にした映画を最も多く撮った監督といえば、イギリスのケン・ラッセルだ。ただでさえエッジのきいた異色作を作る監督だが、その類い希な手腕は音楽映画でも遺憾なく発揮された。中でもチャイコフスキーを描いた『恋人たちの曲 悲愴』(1970)は圧巻。ティオムキンが作った伝統的な大作とは全く趣向の異なる傑作で、一刻も早いDVD化が望まれる。ほかにも『マーラー』(1974)、リストを描いた『リストマニア』(1975)などがあり、テレビ用記録作品『ケン・ラッセル/エルガーの肖像』(1962)はさておき、いずれも一度は見ておきたい奇作ばかりだ。

 ちなみに、ハチャトゥリアンは《ガイーヌ》でヒリヒリするようなアダージョも書いており、それを効果的に使ったのがスタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』(1968)。《剣の舞》以外でもハチャトゥリアンの名旋律に気づかぬうちにふれている映画観客も多いのではないだろうか。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。

 

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