特集・コラム
映画のとびら
2020年10月9日
望み|映画のとびら #080
『犯人に告ぐ』『検察側の罪人』で知られる作家・雫井脩介が2016年に発表した同名ベストセラー小説を映画化。とある殺人事件をめぐって揺れる建築家一家の姿をじっくりと描く。監督は『明日の記憶』(2006)、『20世紀少年』(2008)、『十二人の死にたい子どもたち』(2019)の堤幸彦。脚本を『サマーウォーズ』(2009)、『八日目の蝉』(2011)の奥寺佐渡子が書いている。
建築事務所を経営する石川一登(堤真一)は、妻の貴代美(石田ゆり子)、高校1年生の長男の規士(岡田健史)、中学3年生の長女の雅(清原果耶)という妻子3人との暮らしに何も問題を感じていなかった。自宅をモデルルームのように設計依頼者に見学させることも、生活のためだということを家族はきっとわかってくれている。そう信じていた。少し気になり始めたのは、規士が友人とのいざこざでサッカー部を辞めて以来、どこか反抗的な態度をとっていることだった。切り出しナイフをこっそり購入していたかと思えば、夜に出かけることもしばしば。理由を話すこともない。そんな規士が出かけたきり帰ってこなかったある日、ニュース報道で、とある車のトランクに若い男の他殺体が発見されたことが伝えられる。目撃情報では、現場からは高校生と思われるふたりの青年が逃げていったことが発表され、さらにSNSを中心に死体はもう一体あるとのうわさも流れ始めた。尋ねてきた警察関係者は、トランクの遺体が規士の親友だったことを石川家に語った。規士は逃亡中の殺人犯なのか、それともうわさの被害者なのか。やがて、息子の犯人説に世論が傾くと、一家はマスコミや仕事仲間、近隣の住民から追われることになっていく。
父親は、たとえ死んでいても息子には無実であってほしいと望んだ。母親は、殺人犯でもいいから生きていてほしいと願った。受験を前にした娘は、兄には犯人であってほしくない、とつぶやいた。どちらに転がっても地獄。やりきれない空気に、見ているだけで息苦しくなっていく。心がざわめいていく。
「愛する息子は、殺人犯か、被害者か」という宣伝コピーは、そんな家族、とりわけ両親の思いを反映させたものだ。犯人捜しのサスペンスという趣意も感じられるかもしれないが、それ以上に夫婦の葛藤を重点的に掘り下げた人間ドラマであろう。ある種の家庭崩壊の様相を呈しながら、負のスパイラルに陥っていく家族の姿は、たった数日間の物語でありながら、重く厳しい日々がどこまでも続いていくかのような気分を観客に与えてやまない。過酷な環境ほど体感時間として長く感じられるものはない、というひとつの示しになっているといえるだろうか。もちろん、登場人物の心情をきめ細かく見つめた結果でもあり、とりわけ息子の無事を最優先に考えるあまり、思い詰めていく石田ゆり子の母親などは、重い空気を助長させる要因となっている。人物描写もドラマ構成もわかりやすい。そのわかりやすさが見る者の心を真っ直ぐに揺さぶる。果たして、この「痛み」を他人事にしていいのだろうか。そう思わせる覚悟がこの作り手と演じ手にはあった。
「感動」は、ない。いや、「感動」など覚えてはいけないのではないか。そんな「戒め」の気持ちを抱えつつ、劇場をあとにする観客もきっと少なくないだろう。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。