特集・コラム
映画のとびら
2020年12月18日
声優夫婦の甘くない生活|映画のとびら #094
1990年代初頭にソビエト社会主義連邦(当時/現ロシア連邦)からイスラエルへと移民してきたユダヤ人夫婦の悲喜こもごもを描くハートフル・コメディー。2019年に催されたタリン・ブラックナイト映画祭では脚本賞とNETPAC(最優秀アジア映画賞)を、2020年のバーリ国際映画祭では監督賞と特別賞(女優部門[妻役のマリア・ベルキンに対して])を受賞している。監督はこれが長編映画第5作にして、初めての日本公開となるイスラエル在住の新鋭エフゲニー・ルーマン。
1980年代後半、ソ連ではペレストロイカ(再建)を提唱するミハイル・ゴルバチョフによるグラスノスチ(情報公開)が進み、「鉄のカーテン」の緩みも重なって、1989年には出国制限が解除された。これを機にソ連からはユダヤ人の出国ラッシュが始まり、その主な行き先はといえばイスラエル。ヴィクトル(ウラジミール・フリードマン)とラヤ(マリア・ベルキン)の中年夫婦もこの波に乗ったクチで、1990年9月、仲間とともにイスラエル空港に降り立った。当初は新生活に明るく臨んでいたふたりだったが、現実はそんな甘いものではなく、なかなか新しい就職先が決まらない。かつてはソ連でハリウッド映画やヨーロッパ映画の吹き替えで人気声優だったふたりも、イスラエルではロシア語声優のニーズはほとんどなく、それどころか語学学校で共通言語のヘブライ語を学ばなければならない始末。そんなある日、新聞に「感じのよい声を求む。高収入」の文句をうたった募集告知をヴィクトルが見つける。ラヤが面談に行くと、そこはテレフォンセックスの会社だった。一度は逃げ出したラヤだったが、生活のためには背に腹はかえられず、夫に「香水を電話でセールスする仕事」と偽って、源氏名マルガリータで受話器を手に取ることに。一方、ヴィクトルはロシア語吹き替え業の当てを見つけるも、それは映画館で隠し撮りをし、お粗末なアフレコで声を吹き込んで制作する海賊盤ビデオの仕事だった。
日本ではあまり伝わっていない1990年当時のソ連とイスラエルの実情、生活風俗が垣間見える点にまず興味がひかれるだろう。監督のエフゲニー・ルーマンはベラルーシの生まれで、1990年にイスラエルに移住した過去を持つ。当時11歳だった彼にとって、この映画は一種の記憶の再現であり、ロシアからの移民の様子をはじめ、イラクの化学兵器を警戒してガスマスクが市民に配布される描写など現実感たっぷり。史実では1991年初頭にサダム・フセインによってスカッド・ミサイルが撃ち込まれているが、その混乱もドラマのクライマックスに合わせて表現されていてなかなか巧妙だ。
ルーマンはロシア語吹き替えの海賊盤ビデオも借りて見ていたという。声優という職業が中年夫婦に設定されたのは、ルーマンの映画好きが反映された結果といえる。とりわけ、イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの名前が言及されるのは面白い。夫は若い頃、モスクワ映画祭でフェリーニの『81/2』(1963)の上映運動に参加し、ロシア語吹き替えも担当したと自慢げに語る。実際、フェリーニは『81/2』でモスクワ映画祭のグランプリに輝いており、以後、ソ連では作品の上映が許される数少ない外国の映画監督だった。架空の声優を通して語られる歴史には独特の実感がこもっている。
日本では字幕付き上映がまだまだ一般的だが、諸外国では一部の芸術作品を除き、基本、吹き替えが常識だったりする。声優夫婦の物語は現実感があふれるのと同時に、映画として視点の面白さが際立った。かつてのソ連映画界の花形スターも異国の地ではテレフォンクラブのような仕事しかない。屈辱的。でも、それが妙にハマって常連客がつくというおかしみ。夫は夫で、海賊盤ビデオの仕事で声優としてのプライドを潤わすも、ぬか喜びの果てに辛酸をなめる。悲劇と喜劇の表裏一体が笑いのツボを押さえた。
映画自体は、時代設定が古いということとは別に、やや古いタイプの喜劇を想起させる味わいを持っているといっていい。ルーマンからはアキ・カウリスマキやアレクサンダー・ペインという映画作家の名前が参考例として挙がっているが、ビリー・ワイルダーやハワード・ホークスの喜劇作品を連想する人もいるかもしれない。決して派手ではないが、構成のしっかりした脚本から繰り出される朴訥(ぼくとつ)とした人情譚(たん)は、どこか郷愁をたなびかせて、それだけで心地いい。
結局のところ、中年夫婦の結婚生活の危機と回復に収れんしていく物語は、国と時代に関係のない普遍的なそれとして、恐らく多くの観客の心にしみこんでいくだろう。フェリーニの新作(にして遺作)『ボイス・オブ・ムーン』(1990)の上映にこだわる夫は、やがてそれも過去の栄光を引きずる行為だと思い知る。フェリーニの話なんて誰も聞かない。そもそも知られていない。フェリーニのよさをわかってくれるのは妻だけ。ああ、なんとかけがえのない人生のパートナーなんだろう。
フェリーニという共通の好みで結ばれる夫婦、それこそ最大の映画の夢ではないか。
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タイトル | 道(原題:La Strada) |
製作年 | 1954年 |
製作国 | イタリア |
上映時間 | 104分 |
監督 | フェデリコ・フェリーニ |
出演 | アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベイスハート、アルド・シルヴァーニ |
フェデリコ・フェリーニは、故国イタリアにとどまらず、世界の映画史においても伝説的な巨人である。
ネオレアリズモの巨匠ロベルト・ロッセリーニに招かれて、まず彼の監督作品『無防備都市』(1945)、『戦火のかなた』(1946)の脚本で世に注目された。1950年、『寄席の脚光』で映画監督デビュー(アルベルト・ラットゥアーダと共同)。『白い酋長』(1952)で単独監督デビューを果たした。
奔放にして大胆な映像感覚と語り口が花開いた『甘い生活』(1959)、『81/2』(1963)、『サテリコン』(1968)、『フェリーニのローマ』(1972)、『フェリーニのアマルコルド』(1973)、『カサノバ』(1976)あたりが熱狂的なファンを形成しており、世評どおり「映画を自由に解き放った人」としていい。歯ごたえが大きすぎるフェリーニ初心者には『道』(1954)のような感動作から入ることをオススメしたい。個人的には『世にも怪奇な物語』(1967)内の一編『悪魔の首飾り』を推す。
そのフェリーニは1990年、第二回「高松宮殿下記念世界文化賞」受賞のため来日を果たしている。明治記念館での記念パーティーに参加した際、筆者はフェリーニその人と簡単に面会したが、おおらかで明朗なる人物との印象が強い。『道』が好きだと伝えると、いきなり彼は「ジュリエッタ!」と叫んだ。ヒロインを演じた妻のジュリエッタ・マシーナを呼んだのである。「この日本の若者が僕らの映画を気に入ってくれているぞ!」と、マシーナに向かってはしゃぐフェリーニの顔は今も記憶に鮮明だ。マシーナもまた夫の喜びをうれしそうに見つめていた。1993年10月にフェリーニが世を去るまで、この夫婦はついに50年もの結婚生活を続けたのである。マシーナも夫の後を追うようにその5カ月後に鬼籍に入った。
映画『声優夫婦の甘くない生活』(2019)で主人公夫婦がイスラエルに来たとき、彼らの好きなフェリーニは東京に来ていた。そして、夫のヴィクトル同様、イタリアの巨匠も猛烈な愛妻家なのであった。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。
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