特集・コラム
映画のとびら
2021年8月27日
ホロコーストの罪人|映画のとびら #136
第二次世界大戦下、北欧の国ノルウェーで起きた実話の映画化。ナチス・ドイツの侵攻により日常が一変したユダヤ人一家の悲劇を描く。主人公のユダヤ人青年チャールズ・ブラウデに『獣は月夜に夢を見る』(2014)、『トム・オブ・フィンランド』(2017)のヤーコブ・オフテブロ、チャールズの父ベンゼルに『ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女』(2009)のミカリス・コウトソグイアナキス。監督は『HARAJUKU』(2018)のエイリーク・スヴェンソン。本国ノルウェーでは2020年のクリスマス・シーズンに公開され、興行成績の1位にのぼるヒットを記録した。
1939年、ノルウェーを代表するボクサーのチャールズ・ブラウデ(ヤーコブ・オフテブロ)は、スウェーデン選手との試合で見事KO勝ち。ガールフレンドのラグンヒル(クリスティン・クヤトゥ・ソープ)との結婚もかなうなど、まさに人生最良のときを過ごしていた。翌1940年4月9日、ナチス・ドイツがついにオスロを侵攻。これに伴い、姉のヘレーン(シルエ・ストルスティン)一家はスウェーデンに避難することを決意するが、母サラ(ピーヤ・ハルヴォルセン)の強い希望により、チャールズとその父ベンツェル(ミカリス・コウトソグイアナキス)、兄のイサク(エイリフ・ハートウィグ)、弟のハリー(カール・マルティン・エッゲスボ)はノルウェーに残ることにする。敬虔なユダヤ教信者であるブラウデ家にとって、家族の結束力もまた誇るべき信念。ただ、ナチスの迫害は徐々に一家の絆をむしばんでいく。1942年10月26日、地元警察によってチャールズはラグンヒルと引きはがされ、父、兄弟とともにベルグ収容所に連行される。そこで待っていたのは、理不尽なまでの強制労働であった。
一般的な意味でホロコーストの「罪人」を問うなら当然、ナチス・ドイツが張本人として該当するわけだが、本作品での「罪人」はほぼ「隣人」を指している。要するに、ナチスに屈服したノルウェーの政府や人々のことで、戦争当時、ノルウェーでは自治体から警察、民間に至るまで、ユダヤ人迫害の片棒を担いだという。いわば自国に対する「告発映画」であり、とりわけノルウェーという土地柄を考慮するなら題材的にかなり新しい。当時のノルウェーではユダヤ人の数は2千人にも満たない小さな存在だったが、単位が小さいことでかえってくっきりと浮かび上がる悲劇もある。たとえば、ブラウデ家がリトアニアからの亡命者だったこと。戦禍を逃れて国を渡ってきた一家だからこそ、もう一度、別の国に逃げる気持ちにはならなかった。では、リトアニアではどんな悲劇があったのか。それを映画鑑賞後に学ぶと、一層、この映画の人物たちが身近になる。もちろん、亡命のくだりには「流浪の民」との異名をとるユダヤ人の歴史も重なっているだろう。チャールズの妻ラグンヒルがアーリア人だったという設定も切ない後味をのこす。
題材、製作意図、物語、すべてが重い。つらい。苦い。しかし、同時に、この映画は「見せる」作品にもなっている。見ていて滞るところが微塵もない。家族の絆をテンポよく積み上げたかと思えば、いざ1942年11月26日という運命の日を追うクライマックスとなると、鈍重なまでに腰を据えた状況描写を始める。とりわけ、貨物船「ドナウ号」へと向かう母親サラの姿を追った一連の映像はスリルの度を超え、胸が詰まって痛いほど。彼女を見つけて安堵の叫びをあげる夫、息子たち。そして一転、絶滅収容所にともるまばゆい光。ノルウェーのユダヤ人にはこんな末路が待っていた。それを目撃する醍醐味。
ある意味、予想の範囲で幕を閉じる作品であり、その意味で大きな意外性はない。しかし、当初から展開が「わかった」上で製作されている映画には、それ相応の「覚悟」もにじむ。俳優陣は皆、その覚悟を持った好演だが、ベンツェル、サラの老夫婦を演じるミカリス・コウトソグイアナキス、ピーヤ・ハルヴォルセンは群を抜いて名演。再見の機会がもしあるなら、その重みがいよいよ眼前に迫ってくるだろう。
ノルウェーにオスカー・シンドラーはいなかった。代わりに、ナチスを幇助(ほうじょ)した人々がいた。世界にはまだまだ知られざる物語が潜んでいる。映画はいつもそれを最良の形で教えてくれる。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。