特集・コラム
映画のとびら
2021年9月9日
MINAMATA―ミナマタ―|映画のとびら #138
ジョニー・デップが主演のみならず、プロデューサーとして企画開発にも臨んだ意欲作。1975年に発刊された写真集『MINAMATA』を原作に、その著者であり、デップが尊敬するアメリカ人写真家ユージン・スミス(1918-1978)の水俣病取材時の姿を描く。主人公を水俣市へ導き、後に妻となるアイリーン役に『乱暴と待機』(2010)、『ばるぼら』(2019)の美波。公害補償運動メンバーのキヨシ役に加瀬亮、山崎役に真田広之。ユージンを温かく迎える水俣市在住の松村夫婦に浅野忠信と岩瀨晶子。ユージンと親しくなる少年に『うみべの女の子』(2021)の青木柚。水俣病の原因企業チッソの社長・ノジマ役に國村隼。監督は、画家、彫刻家としても活動し、今回、ジョニー・デップから直々に指名を受けたアンドリュー・レヴィタス。そのレヴィタスの強い要望を受けて、坂本龍一が音楽を担当している。
1971年、ベテラン写真家のユージン(ジョニー・デップ)はどん底の日々を送っていた。かつての栄光も家族も去り、今は金もなく、酒に溺れる日々。その彼の個人スタジオへある日、現れたのがアイリーン(美波)だった。彼女は、熊本の大企業チッソが工場排水を垂れ流したことで近隣住民に深刻な病を引き起こしている現実を取材してほしいと彼に頼む。当初はすげなく断ったユージンだったが、アイリーンが置いていった資料写真を見るや、すぐに翻意し、長年の友人の『LIFE』誌編集長ボブ(ビル・ナイ)に特集記事を組むように直訴。自らはその特集用写真を撮影するために、一路、アイリーンと熊本へ飛ぶ。そこでユージンが目にしたのは、さまざまな形で病と向き合う日本人の姿であった。
原作書名を題名に掲げているとはいえ、編集者とカメラマンによる写真集完成のプロセスを追う経緯がドライに追跡されるわけではない。そこに重なるのはもちろん水俣病をめぐる現実への思い。水俣病が公式に確認されて今年で65年。戦争と同様、薄れつつある水俣病問題の記憶を現代によみがえらせている点で、有意義な社会性を含んだ作品であることが魅力のひとつ。実際、ジョニー・デップがプロデューサーとして目指したのも、産業公害の事実を正しく伝えることであった。水俣の海はなぜ危険な水銀にまみれることになったのか。それを今一度、観客自身が考える好機になっている節がある。
一方で、これはあくまでもアメリカ人写真家の目を通した物語であり、同時に彼自身の人格再生を描く人間ドラマであった。水俣取材を通して、人生の行方を見失っていたカメラマンは自らを見つめ直す。水俣の人々と接することで何かが彼の中で変わる。そして、ついに写真作品として結実する。
映画の冒頭、水俣病に冒された娘とともに入浴する母親の姿がつむがれる。それは、ユージンが撮った最も有名な水俣取材の写真を再現した映像。慈愛を込めて娘に湯をかける母、それを身動きすることなく受け止める娘。なんと美しく、胸に迫るショットだろう。やがて、その映像は写真のように静止画となって映画のエンディングも締めくくる。このブックエンドの仕掛けがこの映画のすべてといっていい。
母子を写した実際の写真は1971年12月に撮影されているが、遺族の希望により、1998年にアイリーンによって娘の両親に返されている。したがって、映画では実物は登場しないわけだが、映画の製作陣、出演者が再現したそれは、元の写真同様、あらゆる感情を呼び起こすものであった。その神々しさにおいては宗教画のようでもあり、母子の情愛においては温もりをたたえ、病の問題においては厳しさを刻む。この一瞬に映る情感、この瞬間にかける製作陣、俳優陣の尽力を目の当たりにするだけでも、この映画を見る価値は大きい。その美しさと切なさと温もりに、思わず涙がこぼれる。
ちなみに、『LIFE』誌編集長役のビル・ナイは、『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズ(2003~2017)の第1~3作に出演し、以来、ジョニー・デップとは親しい仲。今回はデップとの再共演をかなえているだけでなく、共同プロデューサーも務めた。カメラの前と後ろ、両面でデップを支えた格好である。シリーズのファンにはうれしい二重のタッグといえるかもしれない。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。