特集・コラム
映画のとびら
2021年9月24日
人生の運転手(ドライバー)~明るい未来に進む路~|映画のとびら #143
失恋をきっかけに、心機一転、バス運転手へと転身した女性の奮闘を快活に描く人間ドラマ。主人公のヒロイン、ソックにシンガー・ソングライターにして俳優のイヴァナ・ウォン。ヒロインを誘い、元カノへの復讐を計画する男に『SHOCK WAVE ショックウェイヴ 爆弾処理班』(2017)、『トレイシー』(2018)のフィリップ・キョン。ヒロインの元恋人に『全力スマッシュ』(2015)のエドモンド・リョン。ヒロインから恋人を奪う女性投資家に『SPL 狼たちの処刑台』(2017)、『インビジブル・スパイ』(2019)のジャッキー・ツァイ。監督は、男女の三角関係ドラマに定評がある俊英パトリック・コン。彼にとって、これが最初の日本公開作品となった。
手づくりチリソースを看板商品にしている香港の食料品店「陳三益(チャン・サンイ)」では、女性従業員のソック(イヴァナ・ウォン)が大黒柱。社長のジーコウ(エドモンド・リョン)の恋人でもある彼女は、ギャンブル好きの男性従業員が文句を言えばたしなめ、ジーコウが無茶な販路拡大をつぶやくと「うちの店は地元向け」と反論するしっかり者。ジーコウの家族からはジーコウ以上に信頼が厚い。そんなある日、女性投資家のケイケイ(ジャッキー・ツァイ)が来店。店舗の中国本土進出を熱心に勧める彼女に、ソックはすげなくこれを拒否。一度は引き下がったケイケイだったが、彼女と仕事を重ねているうちに、ジーコウは「陳三益」の中国進出を進め、本店も売却。さらに、あろうことかケイケイと恋愛関係に落ちてしまう。失意のソックはバスの運転手へと転身、新たな人生を模索し始めるのだった。
ストーリーだけを文字面で追うと、しっとり切ない人間ドラマを想像するかもしれない。確かにそういう要素もあるが、どちらかといえば人情喜劇調の作品であり、ひとりの女性の奮闘記とするべきだろう。
喜劇要素については、後半部にその色合いを濃くする。ひとつは、ケイケイの元カレ、レイ(フィリップ・キョン)が始めるケイケイへの復讐計画。その幼稚でセコい作戦が生むドタバタ感。バスの走行中に乗客の出産騒ぎが勃発するくだりも同様の趣向といえるが、それらの前後に感傷めいた会話を交えることで、この映画はいよいよ泣き笑いの人情劇を際立たせる。
奮闘記ということでは、ヒロインの自立がそのまま当てはまる。バス運転手という転職先も、彼女の精神的回復を力強く見せるツールになっている部分もあるのではないか。失恋はショックだが、未練がましく過ごさない。簡単にくじけてはいけない。大型車を細腕で操る姿はそのまま現代へのメッセージであり、香港という街にとどまらず、前向きに生きようとする全女性への応援歌となっているだろうか。
「人生の運転手」という邦題に目を転じるなら、一種の人生訓ともいうべき台詞にあふれている部分こそ、この作品最大の個性があるとするべきかもしれない。
「人に頼るより己に頼れ。一番の味方は自分自身。幸せは当たり前じゃない」「世の中は突然変化する。思いどおりにはならない」「長く付き合っても、夫婦みたいにならないこと。時にはサプライズも効果的」「人生はバスに乗ることと似ている。乗り間違えても大丈夫。降りて正しいバスに乗ればいい。必ず目的地に着く」「人生は長い。何度か乗り換えて違う景色を見てもいい」
まるで、そのために物語があるかのような錯覚も覚えるほど、印象的に刻まれる名調子の数々。この映画は言葉で魅せる。言葉の温もりで見る者の心を優しく包んだ。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。