特集・コラム
映画のとびら
2022年2月25日
ウェディング・ハイ|映画のとびら #168
お笑い芸人バカリズムが『地獄の花園』(2021)に続いて手がけた映画用オリジナル脚本の映像化。とあるカップルの結婚披露宴で起こるドタバタ騒動をコミカルかつさわやかに描く。会場を切り盛りするプランナーに篠原涼子。新婚カップルに中村倫也&関水渚。新婦の元カレに岩田剛典。監督は『勝手にふるえてろ』(2017)、『私をくいとめて』(2020)の大九明子。
思うところはそれぞれあるが、出会いから今日までなんとか愛をはぐくんできた石川彰人(中村倫也)と新田遥(関水渚)のカップルは、ついに結婚式を迎えるところまで来た。披露宴のプランナーを務める中越真帆(篠原涼子)の協力もあり、準備は万端。ところが、いざ披露宴を始めてみると、彰人や遥の上司たち(高橋克実&皆川猿時)の主賓スピーチや乾杯音頭が想像以上に盛りだくさん&大ウケ。これを皮切りに、宴は想定外の事態へと陥ってしまう。新郎新婦からのSOSを受けた真帆は自身のプライドを賭けた一大作戦を決意。同僚の友梨(臼田あさ美)や瞳(久保田磨希)の力を借りて、これまで経験のない荒技を仕掛けていく。一方、温泉旅行先で遥の結婚を知った元カレの裕也(岩田剛典)は、彼女が見合い相手と嫌々ながら結婚するものと早合点。映画『卒業』(1967)よろしく、新婦奪還の野望に燃え、披露宴会場へと突き進む。ところが、会場には裕也のほかに、得体の知れない男(向井理)まで現れたのだった。
結婚披露宴までの過程が序盤で描かれるとはいえ、基本的に結婚披露宴会場での出来事を軸にした構成。その現在時間だけで2時間を持たせようとするとどうしても無理が出てくるところだが、バカリズムの脚本は折々の場面の中心人物にスポットを当て、彼らの来歴や裏事情を挿話の形で紹介。当該人物がどのような思いを込めて披露宴に参加しているかを観客に伝えることで笑いを倍加させる仕掛けをとった。
個々の登場人物をめぐるエピソードの連続紹介は、そのまま作品を群像劇のスタイルに仕上げている。篠原涼子が演じるプランナーは披露宴の進行係であると同時に、物語の狂言回し的な気分も放っているだろうか。最終的に彼女のエピソードで締めくくられることで篠原の主演作品に落ち着くが、それぞれの裏事情エピソードでフォーカスされる登場人物の誰もが「瞬間的な主役」。つい共感しちゃうキャラクターがひとりは登場するはずで、笑いの果てに、思わぬ感動の涙に暮れる観客もいるかもしれない。
映画ファン、特にソビエト映画に少しでも見識を持っているファンなら、新郎の後輩でロシア映画大好きのテレビディレクター(中尾明慶)が披露宴で見せる努力の結晶(新郎新婦の生い立ちを描くショートムービー)のシーンに注目。新郎新婦の紹介にロシア語の字幕を入れるばかりか、音楽にアンドレイ・タルコフスキー監督の哲学SF『惑星ソラリス』(1972)で有名なバッハのコラール《主イエスよ、我、なんじを呼ぶ》まで使用。場違いな「深刻と深遠」が披露宴会場にまき散らされる光景、笑いなしには見られない。中尾明慶が上映後に静かにつぶやく「スパシーバ」(ロシア語で「ありがとう」の意)の台詞も最高。
総じて「結婚披露宴あるある」を描くコメディーであり、脚本がバカリズムとくれば、そのあたり、テレビのバラエティー番組を見る気分だけで終わるのではないかと不安に思う向きもあるだろう。しかし、懸念はご無用。ここには披露宴をめぐるしつこいマニュアル臭もなければ、気取ったハウツー意識もない。シソンヌのじろうが脚本を書いた『甘いお酒でうがい』(2020)でも洗煉された手綱さばきを見せた大九明子だが、ここでも芸人発の脚本を最良の方向へと舵取りをかなえた格好といえるだろうか。
バタくさい喜劇表現がないわけではない。岩田剛典演じる新婦の元カレなどは、品性に一本欠けた大暴れを見せる。しかし、岩田がこの作品で披露する体当たりの「尻演技」は彼にとってターニングポイントになるかもしれない。端麗な容姿を逆手にとったかのような向井理の喜劇芝居も大きな見どころだ。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。