特集・コラム
映画のとびら
2022年3月4日
THE BATMAN-ザ・バットマン-|映画のとびら #169
米DCコミックスの代表的キャラクター、バットマンを新たな視点で描くアクション映画。犯罪都市ゴッサム・シティで発生した謎の権力者連続殺人事件にバットマンことブルース・ウェインが解決に乗り出す。新たにバットマン役に指名されたのは『トワイライト』シリーズ(2008-2012)、『TENET テネット』(2020)のロバート・パティンソン。監督は『モールス』(2010)、『猿の惑星:新世紀(ライジング)』(2014)、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』のマット・リーヴス。
次期市長選の熱気が高まる中、現市長のドン・ミッチェル(ルパート・ペンリー=ジョーンズ)が何者かによって自宅で撲殺された。検視の結果、死ぬ前に親指まで切り落とされているという残忍な犯行。死体に「No More Lies(ウソはたくさんだ)」、現場の壁には「ウソだらけ」の文字。犯人は現場に伝言カードも残していた。そこに記されていたのは「秘密の友人より。ゲームをしよう。死んだウソつきがつくのは何? ウソつきは誰?」という、これまた謎めくメッセージ。宛名はバットマンだった。実は、ブルース・ウェイン(ロバート・パティンソン)の父トーマスもかつて市長候補だったのである。名声を得る前に何者かによって殺されたわけだが、その事件と関連があるのか? 父の死によって受けた幼少期の心的外傷に今も悩まされているブルースは、ウェイン家の執事アルフレッド(アンディ・サーキス)、ゴードン警部補(ジェフリー・ライト)らの協力を得ながら、徐々に事件の真相に迫っていく。
監督のリーヴスがバットマンの役割を「探偵」と断じるとおり、犯罪ミステリーの味わいの中に物語は展開していく。そもそもDCコミックスの「DC」が「Detective(探偵)Comic」に由来しているのだから、それ自体は一種の原点回帰といっていい。ただし、ここでのブルース・ウェインは、バットマンの扮装をしてまだ2年という設定。夜な夜な繰り返される悪事への対処も、両親の悲劇からの反動であった。犯罪者たちに対していわく「2年の闇が俺を夜行生物に変えた。恐怖が武器だ。俺は影に潜んでいる。俺自身が影。俺は復讐者なのだ!」。正義心ゆえというより、苛立ち、もしくは恨み辛みのはけ口として事件を追っている節があり、端的に言ってちょっと病んでいる。その点、やや陰りのあるロバート・パティンソンの配役は悪くなく、筋骨隆々のヒーロー然としていないあたりがまず本作品ならではの味わいだろうか。
探偵物語という路線でいえば、一種のハードボイルドの風情もあり、歴々の名作探偵小説同様、ここでも主人公には苦いしっぺ返し、まんじりとしない運命が待っている。容疑者を追う過程に登場する悪人どもは裏街道に生きるギャング、堕落した公人らで、その意味では「暗黒街もの」のカテゴリーに属しているともいっていい。ほぼ夜の場面、尺も約3時間。見事に「長い、暗い、重い」の三拍子がそろったわけだが、ゴッサム・シティの名物「権力闘争」も含め、ドラマ部分でのそんな徹底ぶりがそのまま見ごたえとなった。つまり、ヒーロー映画という以前に人間ドラマであり、負の感情にまみれた人間たちの責めを負い合う饗宴とでもたとえようか。痛快なアクション描写となると、さまざまな謎が解かれたクライマックスまで待たなければならない。作り手の覚悟が垣間見えると同時に、観客の覚悟も必要となる。
暴論を承知で記すなら、この作品におけるバットマンはかっこよくない。トラウマに苦しむ主人公のもがき、あがきがマスクの下からダダ漏れであり、どこまでも個人の感情に振り回される。平たくいえば「ヒーロー誕生前夜の物語」となるが、正確には「ヒーローになりかけの物語」「ヒーローになるかもしれない男の葛藤劇」とするべきだろう。そんな「ヒーロー一歩手前」の主人公の立ち位置に合わせるかのように、いわゆる「怪人」たちも突飛な衣裳をまとっていない。「ペンギン」「キャットウーマン」「リドラー」といった人気キャラクターこそ登場するものの、名前はここでは俗称に過ぎず、いずれも人間名で姿を現し、「この人はあのキャラクターなんだな」と匂わせる程度。やはり、人間ドラマとしての注力が見える。
バットマンというキャラクターを熟知している観客にとっては、ほくそ笑みながら楽しめる新解釈のヒーロー・フランチャイズであり、バットマンを全く知らない人には「抗争、復讐に巻き込まれた男のアイデンティティーを探る物語」として楽しめるだろう。10月31日というハロウィンのコスチューム祭りに物語を始めているあたりも、絶妙なアイロニーが潜んでいる。リドラーをめぐってシューベルトの《アヴェ・マリア》が使用される仕掛けも「異常者」のムードをわかりやすく伝えていて悪くない。
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バットマンをヒーローではなく弱い人間として見つめようとした『THE BATMAN-ザ・バットマン-』(2022)は、その切り口からいって、ホアキン・フェニックス主演の『ジョーカー』(2019)と同軸にあるといっていい。漆黒の世界観におけるダークな犯罪劇という部分では、クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』(2008)の気分を思い浮かべても間違いではない。
DCコミックスのキャラクターをめぐる映像作品は「心の問題」に焦点を合わせることが多く、その結果として生まれる暗いドラマの象徴が「バットマン」なのだろう。ノーランが開発した路線以後、暗黒の世界観は定着しており、『バットマンvsスーパーマン ジャスティスの誕生』(2016)、『ジャスティス・リーグ』(2017)にもその片鱗は残っている。
いわゆる社会のはみ出し者、あるいはフリークたちへの同情、愛着を謳ったのがティム・バートンによる『バットマン』(1989)、『バットマン リターンズ』(1992)の連作であり、そこから怪人キャラクターを生かしアクション・エンタテイメント化をもくろんだのがジョエル・シューマカー監督による『バットマン フォーエヴァー』(1995)、『バットマン&ロビン Mr.フリーズの逆襲』(1997)の2作品だった。ジョージ・クルーニーがヒーローを演じた後者など、今では珍品化しているかもしれない。
暗いバットマンなどごめんだ、という向きには『バットマン』(1966/ソフト題『バットマン オリジナル・ムービー』)がオススメ。1960年代に放送されたテレビシリーズの人気から生まれた映画版で、主演はテレビ版と同じくアダム・ウェスト。相棒にロビンを従えて、終始明るく事件を追い、悪漢たちを片づけていく。名優バージェス・メレディスがペンギンを演じるほか、ジョーカー、キャットウーマンという人気怪人も登場し、サービス満点。こんなご時世だからこそ、なおのことふれてほしい一本だ。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。