特集・コラム
映画のとびら
2022年3月11日
ベルファスト|映画のとびら #170【特製プレスシートプレゼント】
第94回アカデミー賞で作品、監督(ケネス・ブラナー)、助演女優(ジュディ・デンチ)、助演男優(キアラン・ハインズ)、主題歌(ヴァン・モリソン)、音響(デニス・ヤードほか4人)の7部門で候補になっている人間ドラマ。1969年の北アイルランドはベルファストを舞台に、とある一家の絆と旅立ちを描く。監督、プロデュース、脚本の3役を兼ねたケネス・ブラナー(『ハムレット』[1996]、『ナイル殺人事件』[2022])が、自身の故郷と幼少期を慎ましくも鮮やかに投影させた感動作。
9歳の少年バディ(ジュード・ヒル)は、母(カトリーナ・バルフ)と兄ウィル(ルイス・マカスキー)の3人とベルファストの街に住む小学生。父(ジェイミー・ドーナン)はイギリスへの出稼ぎで留守にしがちだったが、すぐそばには優しい祖父母(キアラン・ハインズ&ジュディ・デンチ)も住んでいて、毎日を楽しく暮らしていた。そんな平和な風景は1969年8月15日、突然に壊れ始める。プロテスタントの武装集団がカトリック住民への威圧を始めたのだ。その日を境に、街にはバリケードが張り巡らされ、まるで戦争地帯のように景色が一変。バディの一家はカトリックではなかったものの、このままベルファストで暮らす方がいいのかどうかという問題で、父母はたびたび衝突。一方、バディは北アイルランド紛争の行方よりも、同じクラスのキャサリン(オリーヴ・テナント)が気になって仕方がない。教室で彼女の隣の席を確保するため、なんとか成績を上げようと一生懸命なのであった。
ドラマ部分は全編、モノクロ映像。その節々にバディが接する映画やテレビ番組、ベルファストの空撮映像などがカラーで表現される。いわゆるパートカラー作品。ブラナーがかつて感じた故郷のくすんだ色調、それを現代によみがえらせるための手段としてモノクロ映像は選択された次第。ただし、寒々とした風景が続くわけではない。むしろ、温もりと優しさに満ちた空気が漂ってくるような作品である。
多くの人々がそうであるように、ブラナーの幼少期は牧歌的なものだった。紛争の喧噪が近くにまで迫っていても、夢に見るのはサッカー選手と大好きな女の子との結婚。待ち焦がれるのは映画館にかかる最新映画、テレビで放映される西部劇、SFドラマ、そしてクリスマスの贈り物。バリケードで分断された小さな街は、少年にとってはもはや冒険心を高ぶらせる荒野であり、全世界だった。共感などという生やさしいものではない。観客は彼が体験するすべてを、いつの間にか、わがごとのように慈しんでいくことだろう。そう、この映画に登場する人々は観客自身であり、ベルファストの街も観客がいつか見た風景なのだ。
作風がいちばん近いのはジョン・ブアマン監督の『戦場の小さな天使たち』(1987)だろう。幼少期を彩り豊かに振り返るという点で、ブラナー自身も同作品の影響を隠していない。ただ、ブラナーはブアマンほど楽天的でも皮肉屋でもなかった。彼の手による「人生の分岐点に差し掛かったプロテスタント一家」の日常は「悲喜こもごも」という表現に近く、ユーモアと誠実さのバランスにすぐれている。クスッと笑いがこぼれ、ほろりと目頭が熱くなる。大げさな笑いも涙もない。それは作り手として精一杯の誠実といっていい。ラスト、祖母の台詞を介してこみ上げてくる静かな感動は、まさに筆舌に尽くしがたい。
ブラナーにとって『ベルファスト』は最も個人的な部分が反映された作品であり、作品の質としても『ピーターズ・フレンズ』(1992)、『世にも憂鬱なハムレットたち』(1995)に続く秀作といっていい。派手な大作も悪くないが、ブラナーという演出家は小さい共同体の中で人間が向き合う小規模作品でこそ真価が発揮されるのではないか。その証の一本として『ベルファスト』は確かな光を放っている。
出演陣にはベルファスト、ないしは北アイルランドにゆかりのある俳優が集められた。中でも祖父母を演じるキアラン・ハインズとジュディ・デンチの存在感と芝居は絶品。ハインズはどんな人種の役でもこなしてしまうカメレオン俳優で、折々に粋なぼやきをこぼす今回のアイリッシュ老人ぶりもさすが。デンチとは19歳も年齢が離れているにもかかわらず、軽々と夫役をこなしたのであった。
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『ベルファスト』(2021)はブラナーの幼年期を題材にしているが、自伝というわけでもない。記憶や経験を事実と虚構の狭間で再現した作品とする方が正しいだろう。とはいえ、ブラナーという映画人の背景を知るには打って付けの「郷愁」も画面の節々に刻まれている。テレビでは『宇宙大作戦(スタートレック)』(1966-1969)が絶賛放送中。バディが大好きな西部劇ではゲイリー・クーパー主演の『真昼の決闘』(1952)やジェームズ・スチュワート主演の『リバティ・バランスを射った男』(1962)が登場し、映画館ではラクエル・ウェルチのナイスバディがはじけるファンタジー『恐竜100万年』(1966)も上映されている。また、バディが道ばたで広げているコミックはマーベルの『マイティ・ソー』だったりする。ブラナーは後にその映画化作品『マイティ・ソー』(2011)を監督として撮ることになるわけで、ちょっとした楽屋ネタとしても楽しめるだろう。
近年、ケネス・ブラナーは監督として大作を任される機会が増え、たとえば『エージェント:ライアン』(2014)、『シンデレラ』(2015)、『オリエント急行殺人事件』(2019)、『ナイル殺人事件』(2022)などといった作品で彼の名前に親しんでいる観客も多いのではないか。恐らく、最初の大作はフランシス・フォード・コッポラから声がかかった『フランケンシュタイン』(1994)だろう。ロバート・デ・ニーロの怪物とフランケンシュタイン博士としても堂々と対峙する姿は今こそ見直す価値があるかも。
ハリウッド・デビュー作は当時の妻エマ・トンプソンと共演した『愛と死の間で』(1991)。そのきっかけとなったのが、若干28歳で発表した監督デビュー作『ヘンリー五世』(1989)で、第62回アカデミー賞では衣裳デザイン賞を獲得したほか、監督賞と主演男優賞の候補になっている。
ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー在籍中から若くして名をはせ、28歳で自伝『私のはじまり』を上梓している早熟の舞台人。シェイクスピア俳優/演出家としての顔を知りたい向きには『から騒ぎ』(1993)、『ハムレット』(1996)、『恋の骨折り損』(1999)などもオススメしたい。
ちなみに、ブラナーが『ベルファスト』の製作で影響を受けたというジョン・ブアマン監督の『戦場の小さな天使たち』(1987)は正真正銘の傑作。第二次大戦中のイギリスを少年(ブアマンがモデル)の目線であれほど明るく豊かに描いた作品はほかにない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。