特集・コラム

映画のとびら

2019年5月24日

長いお別れ|新作映画情報「映画のとびら」#009

#009
長いお別れ
2019年5月31日公開


©2019『長いお別れ』製作委員会 ©中島京子/文藝春秋
レビュー
思わず「もらい笑い」もこぼれる家族の風景

 認知症を発症した父親とその家族の交流を描く人間ドラマ。徐々に父親が記憶を失っていく過程、具体的には7年という歳月が流れるわけだが、その時間経過を指して題名の「長いお別れ」は掲げられている。

 70歳という節目の年に、父の病気を知った娘ふたりは何を思うのか。そのことを告げた母にはどんな思いが隠されているのか。父親の病が物語の根っこにありつつ、病の経過を中心に描いていない。病をめぐる家族の意識や生活の変化、絆の風景が前面に浮かぶ仕掛けになっており、深刻な空気が流れることはほとんどなく、むしろどこか飄々と、ユーモラスに、ほのぼのとした日常ドラマへと進んでいく。

 監督を務めた中野量太は『湯を沸かすほど熱い愛』(2016)で一躍、注目を集めた人。同作品では、重い病の母親が残された時間の中、いかに家族の修復を図っていくかが描かれており、仕掛けとしては主人公を演じた宮沢りえに観客の視点を集める構造になっていた。娘を思う彼女の熱意、いまわの際の凄まじいほどの憔悴描写に言葉を失い、涙を誘われた者は多いはず。そんな「押しのメロドラマ」に比べれば、視点が病の人から周囲の動きに一層大きく及んだ今回は、ある意味で正反対の仕上がりになったといえるだろう。もしかしたら「もらい泣き」よりも「もらい笑い」を誘われる観客もいるやもしれない。

 実のところ、プロデューサー陣から中野への演出依頼が届いたのが『湯を沸かすほど熱い愛』の劇場公開より前のことだった。すなわち、もう一本の中野作品『チチを撮りに』(2013)が評価基準のひとつになっていたわけで、父親が登場人物たちの動機の中心になること、節々に笑いがにじむことなど、今回の物語と通底する描写に得心する映画ファンもいるのではないか。

 病を抱える父・昇平を演じる山﨑努は例によって行き届いた存在感。姉妹の長女・麻里に竹内結子、次女・芙美に蒼井優がキャスティングされているが、物語をリードするのは次女。長女の描写はいわばサブテキストとして、映画の別方向、もしくは裏側から調子をとっている格好か。ユニークな際立ちを見せるのは母親・曜子を演じる松原智恵子だろう。娘以上に娘のような無邪気、溌剌を発しており、見方によってはとんでもなく調子はずれに映る。妙に明るい。ある種の異物感すらある。まさに、この映画ならではの特徴的存在としてよく、曜子をどう受け取るかで、この作品の評価も大きく変わってくるのではないか。

 平易な表現に平易な展開。意外性もほぼないといっていいが、それゆえに終始、わかりやすく安心して見られるホームドラマであり、サラリとした人情ドラマにふれたい向きに最適の作品といえる。

原題:長いお別れ / 製作年:2019年 / 製作国:日本 / 上映時間:127分 / 配給:アスミック・エース / 監督:中野量太 / 出演:蒼井優、竹内結子、松原智恵子、山﨑努、北村有起哉、中村倫也、杉田雷麟、蒲田優惟人
公式サイトはこちら
あわせて観たい!おすすめ関連作品

(C)2006「明日の記憶」製作委員会 原作 荻原浩『明日の記憶』(光文社刊)
DRAMA
タイトル 明日の記憶
製作年 2006年
製作国 日本
上映時間 122分
監督 堤幸彦
出演 渡辺謙、樋口可南子、坂口憲二、吹石一恵、水川あさみ

認知症を扱った映画のこと

 老齢夫婦の物語となると、自ずと認知症が題材のひとつに選ばれることが多い。現在ほど「認知症」という表現がなじむ前から映画作家の関心がいく病例であり、叫ばれざる切実な社会問題であった。

 有吉佐和子原作、豊田四郎監督の『恍惚の人』(1973)は、認知症問題を扱った秀作として今も輝きを失っていない。森繁久彌が「老人性鬱病」をわずらった老人、その面倒を見る息子の嫁に高峰秀子。恐らく、認知症を正面から扱った最初の作品だろう。リアルな問題作にして、時折笑いも交錯する日常ドラマ。その完成度においても、日本映画史を振り返る意味でも、見ておきたい一本だろう。

 伊藤俊也監督の『花いちもんめ』(1985)は、より認知症の現実的問題に踏み込んだ作品。千秋実演じる老人の面倒を見る息子の嫁に十朱幸代。やはり、嫁が義父の一切を支えるあたりに、『恍惚の人』同様、時代の空気がにじむ。泣き笑いの日々もさることながら、介護描写がまた実に丁寧。

 認知症が決して老人だけのものでなく、一般的な社会問題になった現代では、それ相応の作品も生まれた。渡辺謙が主演した『明日の記憶』(2005)は若年性アルツハイマーを扱った作品。49歳にして病気を宣告された広告マンが妻(樋口可南子)の支えで日々の生活を前向きに歩こうとする物語。夫婦の奮闘の結果のラストシーンに観客は何を思うのだろうか。

 最近では森﨑東監督、岩松了、赤木春恵主演の『ペコロスの母に会いに行く』(2013)が評判を呼んだ。ドキュメンタリー映画『幸せな時間』(2011)、『毎日がアルツハイマー』(2012)も印象的&象徴的。スペイン製アニメーション『しわ』(2011)で描かれる養護施設の模様などにも学ぶ部分はあるはずだ。

文/賀来タクト(かく・たくと)
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。