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映画のとびら
2022年9月22日
アバター:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター|映画のとびら #205
:ジェームズ・キャメロン 3Dリマスター
2009年12月23日の日本公開から13年。待望の続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022)の劇場公開を年末に控え、ジェームズ・キャメロン監督による3Dアドベンチャー大作が、未発表映像を交えたリマスター版としてスクリーンに帰ってくる。
時代設定は西暦2154年。アルファ・ケンタウリ星系のガス状惑星、その衛星のひとつパンドラを舞台に、新たな鉱物資源の採掘をもくろむ地球側企業と、それを頑なに拒む先住民ナヴィとの確執と戦い、及び結束と愛を、先住民の化身(アバター)となった海兵隊員の目を通してダイナミックに描いていく。
物語の大枠としては、ディズニー・アニメーションの『ポカホンタス』(1995)、テレンス・マリック監督作品でいえば『ニュー・ワールド』(2005)と変わらない。要するに、1607年、黄金採掘を求めて新大陸へやってきたイギリス開拓団とアメリカ先住民の間で起きたトラブル、及びイギリス人冒険家ジョン・スミスと先住民酋長の娘ポカホンタスの間で生まれたラブロマンスを下敷きにしているとしてよく、ここでは主人公のジェイク・サリー(サム・ワーシントン)がスミス、ナヴィの娘ネイティリ(ゾーイ・サルダナ)がポカホンタスに該当する。すべて空想の産物とはいえ、ドラマ全体にただならぬ安定感と風格が漂っているのはそんなアメリカ建国神話の既視感がなせる技ともいえるだろうか。未来というより、むしろ懐かしく、身近なドラマなのだ。それでなくとも、骨太で簡潔、巧妙にして円滑なるジェームズ・キャメロンの語り口は、見る者を細かくデザインされた独自の世界観の中へあっという間に引き込み、魅了していく。
映像の素晴らしさは言わずもがなで、今日に至るまでこの作品を超える3D仕様の映画は恐らく出ていない。こんな目に優しく、見やすい3D映画はなかった。ほぼストレス・ゼロで物語に没頭でき、誰もが主人公のそばで一緒にパンドラ体験をしている気分になる。奥行き感、広がりがただごとではなく、そこには確かな「空間」があった。CGを組み立て、合成しながら、キャメロンは「空気」を生んでいる。空気を撮っている。ちょっと考えられない。技術革新と同時に、高い作家性がなし得た至芸である。
すでに初公開時にこの映像世界を体験している者は、あらためてその完成度に舌を巻くだろうし、初めてこの作品にふれる観客は映画館の大スクリーンでこれを体験できる契機に僥倖を感じるだろう。一時期、この映画の成功に便乗しようとした3D映画が雨後の竹の子のように現れたが、いずれも質的に成功していない。技術も志も演出力も、何もかもが桁違いだった。まさにエポックメイキング。配信やDVDなどの家庭視聴では到底追いつけない映画ならではの醍醐味がここにある。その美しさ、その臨場感において、この映画自体がもはや「神話」となりつつあるのではないか。
物語をめぐって自然讃歌の側面に感服する向きもあれば、一方的侵略を否定する現代メッセージを感じる観客もいるだろう。どう楽しんでもいい。どう切り取ってもいい。現在も全世界歴代興行収入第1位の座を誇るSF大作は、その数字に偽りなく、あらゆる客層のあらゆる思いを呑み込んで今日も輝いている。
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「パンドラ神話」の第2章ともいうべき続編『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』(2022)の劇場公開が迫っている。設定は前作から10年後。夫婦となり、子ももうけたジェイクとネイティリに、再び地球から侵略の手が伸びる、というもの。副題にあるとおり、今回はパンドラの海が主な舞台となる。海の部族へ身を寄せたジェイクとネイティリがいったいどんな情景を目の当たりにするのか。
サム・ワーシントン、ゾーイ・サルダナはもちろん、企業側の顔パトリック役のジョヴァンニ・リビシも再登場。驚くべきは出演者リストにシガーニー・ウィーヴァーやスティーヴン・ラングの名前まで刻まれていることだろう。役名は前者がグレースからキリに変わり、後者はクォリッチのままとなっているが、詳細は不明。これまたいったいどんなキャラクター設定になっているのか。地球人の体を捨てナヴィの一員となったジェイクはもはやアバターとは呼べない。次はどんな新たなアバターが登場するというのか。
現時点で5部作になるといわれている『アバター』シリーズだが、第1作は森の部族の戦いを描く「局地戦」に過ぎなかった。第2作は海。どうもキャメロンは今後、パンドラの各所で物語を編む気配があり、最終的にはパンドラの自然、生態系のすべてを映像化しようとしているのではないか。いわば、神の行為である。シガーニー・ウィーヴァーが第1作で演じた植物学者グレースは「エイワ」(パンドラの生物すべてをつなぐ交感ネットワーク。ナヴィにとっては女神的存在)の一部となり、自然界の天上へと昇っていったわけだが、キャメロンはさらにその上の、創造主の位置にいる。架空のパンドラ物語には、目に見えぬ「神の化身」も存在していたのだ。「アバター」というシリーズの題名、ダテではない。
1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。