特集・コラム
映画のとびら
2022年9月29日
アイ・アム まきもと|映画のとびら #206
『舞妓Haaaan!!!』(2007)、『なくもんか』(2009)、『謝罪の王様』(2013)という3本の喜劇映画で顔を合わせてきた水田伸生&阿部サダヲの監督&主演コンビによる新たなヒューマン・コメディー。引き取り手のいない遺体の管理をする福祉局職員の「最後の仕事」が笑いと涙の中に描かれる。
主人公・牧本壮(阿部サダヲ)は市役所の福祉局に勤めているが、孤独死をはじめとする身寄りのない遺体を無縁墓地に埋葬する「おみおくり係」をたったひとりでこなしている。理由は、比類のない変わり者だから。その唯我独尊的なKYぶりはかなりのもので、友人もひとりもいない。しかし、遺体に関するケアは行き届きすぎるほどで、葬式を自費でまかなうばかりか、身寄りが出現するのを待って、なかなか遺骨を墓地に持っていかない。おかげで市役所には骨壺があふれ、しまいには局長室の棚にまで入れ込む始末。あきれた新任局長(坪倉由幸)は「おみおくり係」の廃止を決定。牧本は最後の仕事として、孤独死した老人・蕪木孝一郎(宇崎竜童)の葬儀にひとりでも弔問客を呼ぶべく、彼の身寄りを探し始めるのだった。
ウンベルト・パゾリーニ監督によるイギリス・イタリア合作映画『おみおくりの作法』(2013)を下敷きにした作品。筋立てに大きな変化はないが、決定的に違うのは主人公の性格づけ。阿部サダヲを念頭に置いたとおぼしきそれは、主人公の奇人変人ぶりを戯画的に高めており、それがそのまま作品にコメディー色をまとわせることになった。キャラクターの個性や好感度次第で観客の印象が変わりがちな日本市場においては、性格的に堅物に映るだけのオリジナルの主人公に対して当然の仕掛けだろう。そもそも物語の土台がしっかりしている今回の場合、実際、喜劇演出以上にプラスに働いている。
そう、阿部=牧本が見せる行動は単なる笑いのネタに終わっていない。孤独死をめぐる過酷な現実に軽みと丸みを帯びさせ、結果としてほどよく観客を重苦しさから解放しているだろうか。身寄り探しのそれも少々、珍道中の気分がにじんでおり、優しい語り口を保ちながらラストの涙に結びつけている。主人公の「キャラ変」こそがオリジナル以上に「温もり」が感じられるゴールをもたらしたといっていい。
オリジナルにおいても「もらい泣き」必至の物語だが、日本版の翻案もそれと負けないくらい涙を誘う展開になっている。それについては、阿部が醸す「笑い」からの落差だけでなく、脇を支える演じ手の存在感、演技も大きかった。蕪木の「身寄り」として満島ひかり、宮沢りえ、片山友希、松尾スズキ、國村隼、でんでんらが登場しているが、日本版独自の役どころということでは牧本に振り回される刑事・神代役の松下洸平が新鮮。恐らく喜劇パートで最大の受け手であり、エンディングでは「もらい泣き」をめぐるさりげなくも的確なアシストをこなしている。見方によっては、最後の「おみおくりの人」ともいえるだろう。
エンド・クレジットでは蕪木役の宇崎竜童が編曲とヴォーカルを務める《Over the Rainbow》が流れる。ご存じ、『オズの魔法使』(1939)の主題歌。変人ながら無垢の人でもあった主人公の心根を表現すると同時に、牧本によって見送られた人から主人公への返礼の歌として機能しているといっていい。
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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。