特集・コラム
映画のとびら
2023年1月20日
イニシェリン島の精霊|映画のとびら #229

第79回ヴェネチア映画祭で脚本賞(マーティン・マクドナー)とヴォルピ杯男優賞(コリン・ファレル)、第80回ゴールデングローブ賞では脚本賞に加え、「ミュージカル&コメディー」部門で作品賞、主演男優賞の2部門を獲得。現状、2022年度賞レースきっての注目作品となっている人間ドラマは、アイルランド西海岸沖の小島を舞台に、友情の断絶を迎えたふたりの男を独特のタッチで描いたもの。「イニシェリン島」という架空の島を設定の上、オリジナルで物語を編んだのは監督作品『スリー・ビルボード』(2017)でアカデミー賞脚本賞に輝いたロンドン生まれ、アイルランドで幼少期を過ごしたマーティン・マクドナー。「ふたりの男」を演じたのは、同じくアイルランド出身で、マクドナー監督作品『ヒットマンズ・レクイエム』(2007)でも共演経験のあるコリン・ファレルとブレンダン・グリーソン。
1923年4月1日、本土で起きているアイルランド内戦を対岸の火事のように眺め、妹のシボーン(ケリー・コンドン)と穏やかな日々を送っていたパードリック(コリン・ファレル)は、今日もきっかり午後2時に、長年の飲み仲間コルム(ブレンダン・グリーソン)をパブに誘おうとしていた。ところが、そのいつもの誘いをコルムは無愛想にはねのけてしまう。しかも、もう口も聞かない、などと言う。混乱するパードリックが理由を尋ねても「お前が嫌いになっただけ」と突き放し、フィドルを手にしながら「残りの人生を作曲と思索に没頭したい。お前とつまらない時間を使いたくない」と話すのみ。何かの冗談だろうと軽く考え、しつこくつきまとうパードックにコルムは「これ以上、俺をわずらわせるなら、俺は自分の指を一本ずつ切ってお前にくれてやる」とまで言い放つのだった。
いわば、頑固者たちによる意地の張り合い。アイルランドといえば、ジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン主演の『静かなる男』(1952)でも描かれているように、頑固者の巣窟。後に引けないような状況に自ら落ち込み、その中であがく。ブレンダン・グリーソンが演じるコルムなど、弦楽器を弾く音楽愛好家のくせに「話しかけたら指を落としてやる」などと言う。そこまでやるか? である。そういう土地柄、住民の性分を戯画的、もしくは皮肉っぽく見せようとした作品、と評するのが無難だろう。ただし、そうはいっても、この映画に出てくる人間たちは頑固というには度を超えた石頭ぞろいであった。
一応、ゴールデングローブ賞の「ミュージカル&コメディー」部門で受賞を果たしている作品だが、いわゆる「明るい笑い」などを期待して接すると戸惑いを覚えるに違いない。登場人物たちの行動や台詞に可笑しみを感じることはあっても、それらを笑い飛ばしていいものかどうか、対応に困る描写の連続なのである。むしろ、やりすぎと言ってもいい自傷的で常軌を逸した展開もあり、個人的には笑うに笑えない。
恐らく、外部の人間から見れば異常な物語も、アイルランドというお国柄をよく知る人間には少々、毒気の強い寓話、といったところだろうか。「あそこの人間ならやりかねない」という気分を知っているかどうか、あるいはそういう気分に乗ることができるかどうかが、この映画を楽しめるかどうかの分水嶺になっている。乾いたユーモア劇にも見える人もいるだろうし、単なる嫌がらせに過ぎないと思う向きもあるだろう。そういう部分で、観客にとってのリトマス試験紙的な作品になっているともいえるだろうか。
結局のところ、マーティン・マクドナーという奇人の語り口、人間を見る目がすべての作品であり、その意味ではなかなか他に類を見ないタイプのドラマに仕上がっている。大半の観客にとっては「風変わりな映画体験」になるかもしれないが、マクドナー自身はもしかしたら真正面から素直にアイルランドの土地と人を見つめたに過ぎないかもしれない。こういう人間観察のセンス、貴重である。アイルランド内戦が華やかなりし時代に物語を据えたのも、ある意味、非常に計算の行き届いた仕掛けで、どちらの「戦い」もどうしようもない意地の張り合いだという理屈だろうか。ジョン・フォードは殴り合いで事態を決着させたが、マクドナーは独自の視点、遊び心でアイルランド人魂を静かに映像に立ち上らせた。
ともすれば残酷な葛藤劇に終わってしまいそうなところを、コリン・ファレルはとぼけた味わいを随所にくゆらせて映画のトーンを優しくととのえている。これを受けるブレンダン・グリーソンも大真面目に時間の無駄を憂う「決意の男」を存在感豊かに見せきった。両者の間を漂う読書好きの妹役のケリー・コンドン、純真無垢な警察官の息子役バリー・コーガンもいい味を出している。

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1966年生まれ。文筆家。映画、テレビ、舞台を中心に取材・執筆・編集活動、および音楽公演の企画、講演活動も行う。現在『キネマ旬報』にて映画音楽コラム『映画音楽を聴かない日なんてない』を隔号連載中。